【週末エッセイ|つまずきデイズ】上京して25年。東京での暮らしが、故郷で過ごした歳月より長くなっても。

文筆家 大平一枝

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第八話:大きくて小さい東京


 

毛穴のゆるみで緊張具合をはかる!?

 上京して25年経つ。故郷の長野で暮らした歳月よりはるかに長い。歌の詞ではないが、遠くへ来たものだなあと思う。
 盆などに実家で過ごし、東京に戻ると顔の毛穴がゆるみきっているのを感じる。いい年をして、上げ膳据え膳で母の料理に甘え、なんの手伝いもせず、ずっと家の中でゴロゴロしているので、体も毛穴も弛緩しきるのだ。いくつになっても、実家に帰ると、母からの小言が絶えない怠け者の子どもに戻る。

 上りの特急あずさが新宿に近づくと電車の窓ガラスに映る自分の顔をぱんぱんと取り組みの前の力士のように軽く叩いて気合を入れることがある。よし、と自分にはっぱをかけるように背筋を伸ばす。電車を降りたら足を踏まれないように、はたまた乗り換えの私鉄までのルートを間違えないように注意深く歩く。
 かように、東京は今でもほんの少し私を緊張させる。25年住もうが、慣れないし、心の隅によそ者の意識がはりついている。

 けしておおげさではなく、長年住んでいる下北沢は、数日の帰省の間に店が潰れたり新しい店が増えていたりする。この移り変わりの早さが、毛穴をきゅっと縮めるのかもしれない。

 

お台場にて

 先日、お台場に行った。波打ち際の舗道を歩き、東京にもこんなのんびりしたところがあったのかと驚いた。15年ほど前、子どもが小さかった頃何度か来たはずなのだがあまり風景の記憶が無い。あの頃は子どもの面倒に必死だったのだろう。

 夕方、オレンジの水面に屋形船のシルエットが美しく伸びる。江戸の頃もこんな景色が広がっていたのだろうか。
 やがて月が浮かび、ビーチレストランではビールやテキーラを飲む若者でいっぱいになる。
 離島や南国のような風景だが、ここは銀座のすぐ近く。私の知らない東京がそこにあった。
 まだまだ東京は知らない所だらけだなあと思う。
 と、同行の知人がつぶやいた。
「東京もいろんなところを知っていくと、ちょっと小さく感じるよね」

 なるほど。
 果てしないと思っていた場所も、歩いていくうちにやがてそれほど広くないことに気づく。年をとるというのはそういうことなんだろう。案外狭いなと思う頃には、もう帰省しても毛穴がゆるまなくなっているのかもしれない。

 

心のよるべ

 ここで育った我が家の子たちに、東京はどう映っているのだろう。
 3年前に1度だけ家族で郊外に住んだことがある。ところがある日、家族4人別々に下北沢に用事で立ち寄っていた。夜、そのことがわかってみんなで笑った。
「下北沢に戻りたいの?」と聞くと、全員が頷く。郊外の家は下北沢のマンションの2倍の広さで、住むには申し分のない間取りだった。
「だってこっちのほうが広いよ?」
 と、私はたたみきかせる。

 すると、大学生の息子が言った。
「狭かろうがごちゃごちゃ人であふれかえっていようが、しもきたは俺らのホームタウンなんだよ。幼なじみも通い慣れた銭湯もみんなあそこにしかないんだから」
 狭くごみごみした街が、彼にとってはかけがえのない故郷だった。私が上京するとほんの少し緊張するように、彼らは郊外の見知らぬ街の駅に降りるたび、よそ者気分を感じていたのだろう。

 人の多さや、都会と田舎の違いではない。
 ふるさとは誰の心にもある。自分のよるべであり、ゆるぎなく信じられる場所。無条件に自分を受け入れてくれる安らぎのベースだ。
 ここがふるさとのわが子たちにとって、東京は広いのだろうか、狭いのだろうか。
 私くらいの年令になった時に聞いてみたい。

 盆が近づき、故郷と東京について考え始めたら、思わぬ方向に筆先が進んだ。室生犀星の「ふるさとは遠きにありて思ふもの」という詩でも読んでみようか。

 
【今週の1枚】
夕暮れの東京湾。屋形船も眺めのいい1箇所に集まり、日が沈むのを待っていました
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作家 大平一枝

長野県生まれ。編集プロダクションを経て、1995年ライターとして独立。大量生産・大量消費の社会からこぼれ落ちるもの・こと・価値観をテーマに、女性誌、書籍を中心に各紙に執筆。『天然生活』『暮しの手帖別冊 暮らしのヒント集』等。近著に『東京の台所』(平凡社)、『日々の散歩で見つかる山もりのしあわせ』(交通新聞社)『信州おばあちゃんのおいしいお茶うけ』(誠文堂新光社)などがある。
プライベートでは長男(21歳)と長女(17歳)の、ふたりの子を持つ母。

▼大平さんの週末エッセイvol.1
「新米母は各駅停車で、だんだん本物の母になっていく。」

 


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