【金曜エッセイ】おいしいの辞書
文筆家 大平一枝
第五十七話:おいしいの辞書
友だちが庭で育てたローズマリーを分けてくれた。さっそく、レンコンや人参をオリーブオイルであえて、ローズマリーと岩塩を散らし、オーブンで焼いた。
ところが、帰宅した娘や夫が次々「臭い臭い」と言い出す。
「屋上の匂いが充満している」と娘。(マンションの屋上の共有ガーデンに、かつてローズマリーが群生していた)
「山に移住した人のロッジの匂いがする」と夫。
屋上も、ロッジも悪くない。ただ彼らは自分のテリトリーにあまり存在しない匂いについて、拒否反応を示しているだけなのである。結局、二人の食はそれほど進まなかった。
最初の匂いで、受け入れ体制が閉ざされていたからだろう。
はたと私は考え込んだ。
では、私は幼い頃食卓に一度ものらなかったこのハーブを、いつ、おいしいと最初に感じたんだろう──。
それは、誰の家で食べたか思い出せないが、ローズマリーポテトだった。塩胡椒、オリーブオイルだけで調味したじゃがいもが、こんなに風味豊かな料理に変身するのかと驚いた。同時に、個性的な風味の正体がそれと聞いて、「これが、あの歌に出てきたローズマリーか!」と、感慨深く思った。
サイモン&ガーファンクルの『スカボロ・フェアー』という古い名曲に、「パセリ・セージ・ローズマリー・アンド・タイム」というフレーズが何度も出てきて、中学の頃からずっと気になっていたのだ。パセリ以外知らないが、いったいどんな味がする食べ物なんだろう。当時はそれがハーブということも知らなかった。
最近、といっても二年前であるが、アイルランド取材に泊めてもらった家で、香気の強い自家製ローズマリーをふんだんに使ったドレッシングやディップ、グリル料理をいただいた。これがまたとびきりおいしくて、あらためておいしさを再確認した。
つまり、私は音楽でローズマリーの存在を先に知っていて、人の家や旅先で本物に出会い、本物の味を知ったのである。その時点で、「おいしいだろう」という肯定的な想像の前提があった。
生涯の食事の回数は限られている。私は欲張りの食いしん坊なので、未体験のおいしいものや味は一つでも多く知りたい。
だから娘や夫を見て、もったいないなと思う。「きっとおいしいだろう」という想像の根拠を支える引き出しが少なすぎる。
そんなわけなので、日頃からつい人生経験の浅い娘にはくどくどと言ってしまう。
「たくさん本を読んで、映画を見て、音楽を聴いて、旅をしなよ」
そうすれば、興味の種が増え、おいしいであろうものに反応するセンサーの領域が広くなる。結果、“おいしい”の辞書も増える。
生涯で食せるものの限りはあるが、知っているというだけで人生がぐっとゆたかに、楽しくなる。
文筆家 大平一枝
作家、エッセイスト。長野県生まれ。編集プロダクションを経て1995年独立。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』(誠文堂新光社)、『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)ほか。『東京の台所』(朝日新聞デジタル&w),『そこに定食屋があるかぎり。』(ケイクス)連載中。一男(24歳)一女(20歳)の母。
大平さんのHP「暮らしの柄」
https://kurashi-no-gara.com
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