【金曜エッセイ】背筋がシュッと伸びて姿勢がいいひと、に憧れて
文筆家 大平一枝
第六十五話:「お腹を自由にさせないで」
縫い物を生業(なりわい)のひとつにしている友人がいる。彼女はどんなに疲れているときでも、背筋がシュッと伸びていて姿勢がいい。日本茶の仕事が本業なので着物もよく着る。これまた首筋がきれいで、よく似合うのだ。
先日、オープンカラーシャツを作ってもらうため打ち合わせをしていたら、不意に彼女が言った。
「かずえちゃんさ、お腹を自由にさせちゃだめだよ」
ウエストを隠したデザインにと、私がリクエストしたためだ。くくっと笑いながら「ちょっとここに、いつもの感じで横向きに立ってみて」と、姿見の前に促された。
案の定、おなかがぽっこり。今度は「はい。そのままお腹を引っ込めて背筋を伸ばしてみて」。
お腹は凹んだ。だが「肩がまるまってるよ?」と指摘されてハッとした。そこまで意識が行かず、猫背になっていたのだ。
つねに気をつけねばならないことはわかっているが、そうはいってもなかなか難しい。つい気が緩んじゃうんだよなあと内心思っていると、やおら彼女は自分のシャツをめくりあげた。
「ほら、じつはわたしも、気を抜いてお腹を自由にさせるとこんななの」
シュッとして、いつ見ても美しいと思っていた人の下腹部は、かわいくでれんとなった。え、うそ。私は目を丸くする。
「お腹って隠したり、楽な姿勢で椅子に寄りかかったりソファに寝転んで自由にしていると、いくらでも出るし、永遠に引っ込まないんだよ。いつも凹ませるよう意識して胸を張り、肩を開くように心がけて、お腹に“自由にしちゃだめだよ”って言い聞かせるようなつもりでいると、体が指令を覚えて体型もだんだん変わっていくよ」
20年来の付き合いの彼女のポッコリの存在を、私は微塵も知らなかった。それだけに、つねひごろ気をつけることの大切さに、大きな説得力がある。
「お腹を自由にさせちゃだめ。人前で始終気にしていたら、習慣になって自然に引っ込むから」
「それって、どれくらい気をつけていたら自然にできるようになるの? 3年くらい?」
彼女はあははと笑った。「1週間だよ」
そのかわり、ダイニングテーブルの正面の壁には小さな鏡を、横に姿見を置き、お腹が自由になっていないか普段から気をつけているという。
「気を抜くとすごいだらしない姿勢でご飯を食べている自分に気づくの。私は人前でもこんなふうにご飯を食べているのかと、鏡を見てぎょっとすることがいまだにあるよ」
あきらめず、甘やかさず。
いつも当たり前に思っていた「シュッ」は、こんな小さな努力の積み重ねで築かれていたのか。気のおけない私の前でも、つねに心がけていたのかと、しみじみと感動した。そういえば彼女の家にはソファがない。理由を聞くと、「ソファがあると、とことん甘えちゃいそうだから」。
ふたつの鏡でチェックしていることも、お腹やソファのマイルールも1度もひけらかしたことがない。彼女はただ姿勢や容姿が美しいのではなくて、努力を重ねた結果がそう見えている。美しくありたいと願う人の心のありかたを印象深く思った。
そういうわけで、新しいシャツはボトムスにインして着るスタイルで、ウエストを絞るデザインになった。おそらく誰にも見せたくなかったであろうかわいい自分のぽっこりを、私に披露してくれた彼女の勇気と心遣いに、応えねばならないと強く思ったからだ。
コツは、前かがみにならず、肩を左右に開くこと。腹はすべてとつながっている。
文筆家 大平一枝
作家、エッセイスト。長野県生まれ。編集プロダクションを経て1995年独立。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』(誠文堂新光社)、『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)ほか。『東京の台所』(朝日新聞デジタル&w),『そこに定食屋があるかぎり。』(ケイクス)連載中。一男(24歳)一女(20歳)の母。
大平さんのHP「暮らしの柄」
https://kurashi-no-gara.com
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