【レシート、拝見】桜の季節を超えて、次のわたしへ
ライター 藤沢あかり
時岡えいさんの
レシート、拝見
高台に建つ家は見晴らしがよく、そこかしこに薄ピンク色のふんわりとしたかたまりが見える。桜がまさに満開を迎えようという春の日、金継ぎ作家・時岡えいさんの自宅を訪ねた。
リビングに上がる階段の途中に、素朴な木工の雛人形が飾ってあった。手のひらにちょんと乗るくらいの小さな立ち雛で、そのかたわらには桜の枝。ご近所さんが庭から手折ってくれたらしい。
「雛人形、うちは旧暦の3月3日まで飾るんです。今年のカレンダーでは4月3日、関西ではそういう家庭が多いと聞きます。母が京都、父は和歌山出身なので、桜餅も道明寺派なんですよ」
レシートにも桜餅や地方銘菓の団子などの和菓子が続く。「花より団子です」と言いながらも、先々で小さな花見をしながら食べたのだと教えてくれた。
「こっちは『とらや』さんのお雛菓子の詰め合わせ。重箱のような箱に入ったもので、ちょっと奮発して毎年予約しています。この日は菜の花のお漬物と、桃の花も。母と一緒に上巳の節句を祝いました」
上巳の節句、つまりは3月3日のレシートである。ちらし寿司と雛人形が華を添える、桃色の食卓を思ってやわらかい気持ちになる。
「母は歳時期を大切にする人で、お正月の手作りおせちや七草粥から始まって、節分の豆まきや太巻き、七夕の笹飾り、お月見団子、重陽の節句には菊酒や栗ごはん……、小さいころから季節の行事に親しむことを教えてくれました。去年は椿餅をつくるのに道明寺粉がないからと、もち米を蒸して乾かして砕いて、粉から挑戦していたんですよ(笑)」
成人式には時岡さんを含め三姉妹がみなそれぞれに、反物から好きなものを選んで振袖をあつらえたというから驚いた。
「いま思うと、とても贅沢でありがたい経験です。母はちりめんの里の出身ですし、それだけ思い入れのある行事だったということなのでしょうね」
特別な趣味としてではなく、暮らしのなかに日本文化を愛する気持ちが自然と根づいていたのだろう。そしてそれは、時岡さんにも脈々と受け継がれている。雛人形の話のなかで、なにげなく彼女が言った「晴れた日にしまいます」という言葉がよぎり、そんなことを思った。
献立に合わせてうつわを選び、箸置きも必ず。最近は父のふるさと、和歌山で見つけた那智黒石を箸置きにするのがお気に入りだという。
金継ぎの世界に足を踏み入れたのは12年前。はじまりは、軽い気持ちで申し込んだ教室だった。
「うつわ好きの母の影響で、わたしも自然と興味をもつようになりました。金継ぎしたものも子どものころから見ていてなじみがあったんです。あるとき教室があると知り、自分の手でお気に入りを直してみたいと通いだしたのがきっかけです」
はじめてみると、それは想像以上に時間のかかる、じっくりとうつわに向き合う作業だった。
金継ぎは割れや欠けを漆で繕う修繕方法だが、ボンドのように一度でくっつけておしまい、とはいかない。天然の漆は数日かけてゆっくりと固まるため、数週間、数ヶ月を通じて進めていく、地道で手間のいる作業だ。
そうして割れたうつわは息を吹き返した。元通りのまっさらな状態ではなく、割れたからこそ出会えた新しい姿に形を変えて。
「ちょうどそのころ離婚と病気が重なり、大きな転機に落ち込んでいたんです。自分が人に比べて不完全に思えて、自信もどんどんなくなっていって。そんな自分を認められず、また落ち込んで、消化しきれない思いをずっと抱えていました」
傷を負ったうつわが、美しく生まれ変わる。割れてしまった悲しみは、手をかけ、時間をかけて少しずつ消化され、形を変えることで昇華される。その様子は、次第に自分の傷とも重なっていった。
「傷を隠すのではなく、向き合いながら不完全さを受け入れて、あたらしい美しさを生み出していくことが、自分のつらい時期を精神的に落ち着けてくれました。できあがりの達成感もすばらしいですが、直していく過程や作業そのものが、わたしにとっては傷を癒すことだったのかもかもしれません」
気づけば教室だけでは飽き足らず、独学で学び続けるうちに、すっかり金継ぎの魅力にはまっていった。やがて修理を引き受けたり、教えてほしいという声に応えるかたちで自宅での教室をスタートさせ、いまに至る。
金継ぎは、世界的にも独創性のある修復法だといわれる。修復、お直しというと、普通は傷を隠して元の姿に近づけるところを、金継ぎはあえて目立たせることで新しい価値を見出すのだ。
「人も同じだと思うのです。誰にでも傷や失敗があって、できれば人には見せたくないし、隠したいと思ってしまう。でも、それをクリアしたら、深みを増していけると信じています。
外見だって、若いころのシミひとつないツヤツヤのお肌を取り戻そうとするより、それを受け入れて年齢にあった自分らしさを目指すほうが健やかな気持ちでいられますよね」
傷つきたくない、失敗したくない。わたしも、ずっとそう思ってきた。失敗したら、もうそこでおしまいのような気がしていた。でも、そんなはずはない。割れたかけらを拾い集めるときの、やりきれない悲しみが大きいほど、修復したあとの喜びも大きいはずだ。
室(ムロ)と呼ばれる棚を見せてもらった。漆の乾燥に最適な温度や湿度を調整するための収納庫で、なかには彼女が依頼を受けたうつわが、再生する日を待ちながら肩寄せ合っている。
「これ、もともとは母の婚礼家具だったんですよ」
一度は家を出た彼女が、再び実家へ戻り、母と一緒に桜を眺めている。この家で金継ぎの教室を開くいまの自分など、かつては想像もしなかっただろう。あのとき思い悩む経験を乗り越えたからこそ、いまの彼女の姿がある。
まっさらな自分になる必要など、ないのかもしれない。魔法のように元通りでなくたっていい。そのままの自分を受け入れた先に、あたらしい季節が待っている。
時岡えい(ときおか・えい)
金継ぎ作家。2010年より金継ぎを学び、修練を経て2020年 「kito」を立ち上げる。伝統的な修復法を用いてのお直しや教室開催を通じて「大切なうつわを日常に戻すよろこび」を伝えている。https://kitokintsugi.wixsite.com/website Instagram:@kito_kitten
ライター 藤沢あかり
編集者、ライター。衣食住を中心に、暮らしに根ざした取材やインタビューの編集・執筆を手がける。「わかりやすい言葉で、わたしにしか書けない視点を伝えること」がモットー。趣味は手紙を書くこと。
写真家 長田朋子
北海道生まれ。多摩美術大学卒業。スタジオ勤務を経て、村田昇氏に師事。2009年に独立。
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