【スタッフコラム】わたしのなかの、愛すべき無駄。
商品プランナー 斉木
その言葉は、村上春樹さんのエッセイのなかに出てきます。
「生活の中に個人的な『小確幸』(小さいけれども、確かな幸福)を見出すためには、多かれ少なかれ自己規制みたいなものが必要とされる。
たとえば我慢して激しく運動した後に飲むきりきり冷えたビールみたいなもので、『うーん、そうだ、これだ』と一人で目を閉じて思わずつぶやいてしまうような感興、それがなんといっても『小確幸』の醍醐味である。
そしてそういった『小確幸』のない人生なんて、かすかすの砂漠のようなものにすぎないと僕は思うのだけれど」
—『うずまき猫のみつけかた』(新潮社)p.126
最近、“かすかすの砂漠のような” 気分が続いていました。なんとなく渇いている、停滞している、何かよくない感じがする。
そんな日々が半月ほども続いた頃でしょうか。夜、湯船に浸かって本を読んでいたら、ふとこの一節が目に留まったのです。
小確幸。字を見ているだけでも、慎ましやかで福々しい感じがしますが、口に出すと軽やかで、何かいいことが起こりそうな気がしてくる。
何度か頭の中で「しょうかっこう、しょうかっこう」と繰り返し、自分にとってのそれを真剣に考えてみることにしたのです。
ささやかで、ありふれていて、でも自分にとっては確かな幸福をもたらしてくれるもの。じんわりとした幸福が広がっていく瞬間ってどんなときだろう。
しばらく考えて、自分にとってのそれは「ファッション誌」かもしれないと思い当たりました。
鳥取県の田舎で生まれ育ったわたしが、小学生の頃、ひと月の中で何より楽しみにしていたのは、スーパーに「Seventeen」が並ぶ日でした。誌面のなかの高校生のお姉さんたちが、いつもキラキラ輝いて見えて。それが “東京” の情景として、その後いつまでも残っていったような気がします。
10代の頃は、とにかくたくさんの雑誌を買っては夢中でスクラップしていました。一週間のうちの大半は制服か部活のジャージ姿だったのに。
社会人になってからは、いわゆるモード誌を買うようになりました。そして、仕事やプライベートで悩んでくさくさするたびに、桃源郷かと思うくらい美しいファッション写真や、自分では絶対に思いつかないコーディネートを見ては、そのあまりの自由さにスカッとして。もっと好き勝手やっていいんだよ。そう言われているような気がして不思議と勇気が湧いてきました。
思い返せばいつの時も、表紙を開くときはドキドキして、閉じるときには「ほ~っ」とため息が出てしまう、ファッション誌はそんなものだった気がします。
わたしにとっての小確幸って、「今ここ」から問答無用でどこかに連れて行ってくれるものなのかもしれません。現実世界でキリキリと巻き続けたネジが、つかの間ふっとんでしまうような。
小学生のわたしが、自分では履くことのないルーズソックスの履き方を暗記するまで読み込んでいたように、今でもわたしにとってファッション誌は「実用」からは一番遠いところにあります。読んでも読まなくても、正直見た目には何の変化も表れないでしょう。
でも、それがない世界なんて考えられない。意味なんてなくても、せずにはいられない。そんな愛すべき無駄なのです。
ひとりの社会人として生きていると、やるべきことと、やったほうがいいことだけで、日々はあっという間に過ぎていきます。
やってもやっても終わらないそんな繰り返しのなかで、今回のようにかすかすの砂漠のような気持ちになってしまうことは、きっと幾度となくあるでしょう。
そんなときはたっぷりお茶でも淹れて、一ミリも参考にはならない、でも大好きなファッション誌を読み漁っては、「無駄サイコー!」と叫び、明日の活力を得たいと思っています。
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