【57577の宝箱】幸せになろうと交わした約束が 果たされるのをずっと待ってる
文筆家 土門蘭
時々、ふと思う。
「うちって、本当に物が多いな」と。
朝、洗面所で顔を洗うときには「なんでこんなに基礎化粧品が多いんだろう」と思うし、キッチンで収納棚を開けるときには「なんでこんなに調味料やらタッパーやらが多いんだろう」と思う。
服もそう、本もそう、子供たちのおもちゃもそう。一度考え始めると止まらない。人ひとりあたり生きていくために必要な物量(×4人分)を、うちはとっくに超えているのではないだろうか?
以前は物が増えてきたら、何も考えずにいらないものを捨てていた。それで一瞬はスッキリするのだけど、またすぐに物が増える。その繰り返し。まったくエコではない。
でも、気になるものは試しに買ってみたくなるし、どこかに行けば記念に何かを買ってみたくなる。物が増えてしまうのは仕方ない、と思っていた。
§
だけどそんなある日、買ったことすら忘れていたチョコレートが棚の奥から出てきたことがあった。
それはこの夏に北海道へ旅行したとき、お土産売り場で自分のために買ったものだったのだが、友人たちへお土産を配ることに夢中になっていて、その存在をすっかり忘れていたのだ。
買うときには、「おいしそう」とか「せっかく北海道へ来たんだから」とか「仕事の合間に食べよう」とか、さまざまな期待と思惑とともにそれを手にした。確か600円くらいしたと思う。
つまり私は、「ささやかな幸福のある未来」と600円を交換したのだ。それなのに今の今まで、交換したこと自体を忘れていた。
チョコレートを手にしながら、うーむと考える。これが見つからなかったら、私の600円はどこにいっていたんだろう? 忘れられた「ささやかな幸福のある未来」はどこへ?
そんなことを考えていたら次男が寄ってきて、
「それなあに?」
と尋ねてきた。
「チョコレートだよ」
と答えると、「やったあ! ぼくも食べる」と言う。
それを聞きつけた長男が「え、なになに? 俺も食べる」といそいそやってきて、結局私たちは三人でそのチョコレートを食べた。ミルクチョコレートにココアのクランチが入っていて、とてもおいしかった。
口の中でチョコの甘みを感じながら、そして、笑顔で食べる息子たちを眺めながら、私の600円は今初めてちゃんと機能したのだと思った。あのとき600円と交換した「ささやかな幸福のある未来」を、今ようやく実現させ味わえているんだ、と。
お金を本当に使えた瞬間というのは、物を手に入れた瞬間ではないのかもしれない。お金と交換したその物をきちんと使い、味わう。つまりその物の「価値」を経験して、ようやく「お金を使えた」ことになるんだと思った。チョコレートを存分に味わうことで、600円を余すことなく使えたことになったように。
そう考えると、私は「お金を出す」ことはできても「お金を使う」のは下手なのだろうな、と思った。部屋の中を見渡すと、いまだに「価値」を経験できていない、真の意味でお金を使えていない物で溢れている。
「これは当分、買い物しなくていいな」
そう呟くと、子供たちが「えっ、なんで」と心配そうな顔をした。
§
とは言え、「お金を出す」のは気持ちがいい。
お店に入ると、買わなくてもいい物をつい買ってしまう。お菓子とか、ジュースとか、キーホルダーとか。買わなくてはいけない物を購入するときには出ないアドレナリンが、買わなくてもいい物を購入するときにはなぜだか出る。
この間スーパーに行ったとき、自分の購買行動をちょっと観察してみた。
まず、必要な物からカゴに入れていく。野菜、肉、ティッシュペーパー、マスク。その合間に、私はどうもお菓子コーナーやお酒コーナーへ寄りがちだ。「何かないかな」なんて独り言まで言っている。「あれがないかな」ではなく「何かないかな」。
気づけば私は、何かまだ出会えていない物に期待をして、ふらふらと売り場を彷徨っていた。その時間が、ものすごく楽しいことにも気がついた。
その日私は、飲んだことのないクラフトビール缶を手にした。かわいいイラストが描かれていて、なんだかワクワクする。
「おいしそうだな」
「グラスに入れたらどんな色をしているんだろう」
「これを飲みながら、映画でも観ようかな」
そんな楽しい期待をしながらカゴに入れると、私はようやく満足できてレジへ向かった。そんな自分を客観的に眺めながら、なるほど、このようにして私の家には物が増えていっていたんだな、と思う。
やっぱり、「お金を出すこと」は「未来に期待すること」なのだ。未来の自分に夢を見て、約束すること。確かにいつだって、その瞬間が一番楽しく心地いい。
§
家に帰って、買ってきた物をすべてテーブルの上に出す。
すると、缶ビールは先ほどよりもずいぶんと色褪せて見えた。さっきまでの期待やワクワク感が消え、むしろなんだか気が重たくすらなっている。
なぜだろうと考えて、約束を実現するターンに入ったからだと思った。「今度飲みに行こう」と友達と約束する時間は楽しいけれど、実際に飲みに行く当日はちょっと気が重たいのと似ている。どんなに楽しいことだって、実現することは結構しんどいことなのだ。
だけど、真に「お金を使う」瞬間は、その先にあることを私はもう知っている。
缶ビールを冷蔵庫に入れながら、「今夜はこれを飲みながら映画を観るぞ」と心に決めた。スーパーの売り場でした自分との約束を、私はちゃんと果たすのだ。レジに出した300円を、きちんと使い切る。
以来、私はあまり無闇に物を買わなくなった。本当に果たすつもりの約束しかしないことにしている。
結果、生活がシンプルになったかというとそんなことは全然なく、今は、過去にした自分との約束を果たすことで忙しい。これまでに買ったものを、きちんと使い切って価値を体験する。それだけでも結構な大仕事だ。
だけど、過去の自分との約束をひとつひとつ実現していくのは、とても気持ちがいい。私の元に来た物たちも喜んでくれているような気がする。
もっと「お金を使う」のが上手になりたい、というのが、今の目標だ。
“ 幸せになろうと交わした約束が果たされるのをずっと待ってる ”
1985年広島生まれ。文筆家。京都在住。小説、短歌、エッセイなどの文芸作品や、インタビュー記事を執筆する。著書に歌画集『100年後あなたもわたしもいない日に』、インタビュー集『経営者の孤独。』、小説『戦争と五人の女』がある。
1981年神奈川県生まれ。東京造形大学卒。千葉県在住。35歳の時、グラフィックデザイナーから写真家へ転身。日常や旅先で写真撮影をする傍ら、雑誌や広告などの撮影を行う。
私たちの日々には、どんな言葉が溢れているでしょう。美しい景色をそっとカメラにおさめるように。ハッとする言葉を手帳に書き留めるように。この連載で「大切な言葉」に出会えたら、それをスマホのスクリーンショットに残してみませんか。
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