【連載|日々は言葉にできないことばかり】:だましだまし、折り合っていく。自分のトリセツの作り方
文筆家 大平一枝
次から次へと言葉が溢れる。思考を言語化するのが追いつかない、そんな印象のヨシタケシンスケさんは、藤沢のアトリエで雄弁に語りだした。
対談のテーマについて、「おもしろそうだなと思いまして。うん、本当に言葉にできないことって多いよね、でも無視するのももったいないよねっていう。その辺の思いを拾い集めるおもしろさを感じます」
彼の絵本やエッセーは、だれもがぎりぎり言語化してこなかった気持ちの部分をすくい上げている。
『欲が出ました』(新潮社)に、こんな1行があった。
“だってホラ、本人だもの。飽きるわけにはいかんわな。”
私はぐぐっと引き寄せられ、何度も読んだ。
いつも「ぐるぐるぐるぐる」「ぐじぐじぐじぐじ」考えている自分に嫌気がさしたところで、自分の本体から離脱する訳にはいかない。人間である以上そこをどうにか飼い慣らして、面白がっていかざるを得ないということが、書かれていた。
「ぐるぐる」と「ぐじぐじ」を2回も重ねている。
ヨシタケさんは、そんなに考え込んでしまう人なのか。
誤解を恐れず言うと、本書からなんとなく、自分を大好きな人ではないのではと感じた。
だから、興味を持った。なぜなら私もそうだからだ。歳を重ねるほど、自分の欠けている部分が気になってしょうがない。
「人ってすごいなって思うんです。こんなにそれぞれはバラバラなのに、みんななんとかうまくやれている。あやふやな言葉でも、わかり合えたなと思える。その人間の器用さに感動するんです」
独特の視点と感覚に、私はやはり身を乗り出すしかないのであった。
日々は言葉にできないことばかり
第九回 ヨシタケシンスケさん
1973年神奈川県生まれ。筑波大学大学院芸術研究科総合造形コース修了。2013年に初の絵本『りんごかもしれない』(ブロンズ新社)を出版。これまで『りんごかもしれない』『もう ぬげない』(ブロンズ新社)『りゆうがあります』『なつみはなんにでもなれる』『おしっこちょっぴりもれたろう』(PHP研究所)『あつかったら ぬげばいい』(白泉社)『あんなに あんなに』(ポプラ社) で7度にわたりMOE絵本屋さん大賞第1位に輝く。『りんごかもしれない』で、第61回産経児童出版文化賞美術賞、『つまんない つまんない』(白泉社)の英語版『The Boring Book』で、2019年ニューヨーク・タイムズ最優秀絵本賞受賞。
これは心の癖
── おとなは偉いよなって、私もよく思います。
ヨシタケ 自分ももう50年生きてるけど、人の勤勉さだったりとか、言葉みたいな不確かなものをちゃんと信じられているおとなのすごさや不思議さに、いまだに慣れないです。
── みんな偉いけど自分はそうできない辛さ、というのはありますか。
ヨシタケ はい。自分はできないことが多いので、みんな、なんでできるんだろうって。僕は昔から、これじゃ駄目なんじゃないか、正解とは違うところにいるんじゃないかっていう不安がずっとあるんです。
── 小さい頃から?
ヨシタケ そう、ずっと。もう心の癖としか言いようがなくて、理屈じゃないんですよね。こんなこと言っちゃ駄目なんじゃないか、あんなことやっちゃ駄目なんじゃないかと、人一倍常識を気にする子でした。やってもやってもこれは正解じゃないんじゃないかって休まらない部分がずっとあって、その苦しさは今も続いています。
一見、肩の力が抜けたスケッチ風ののんびりしたイラストと、くすりと笑えるつぶやきのようなエッセーで大変な人気を博している彼の言葉を、意外に思った。
それは自分を信じられないことの裏返しともいえる。
心の癖といえども、しかし、なぜそこまで信じてあげられないのだろうか。
ジュンちゃんのこと
── なにかトラウマとかあったんでしょうか。
ヨシタケ 自分で思い出せる範囲のことで言うと、ジュンちゃんっていう同い年の男の子のいとこがいるんですよ。勉強もスポーツもよくできて、すごいな、かっこいいなっていつも思ってた。小学校三、四年の頃、夏休みにふたり、叔父さんからお使いを頼まれたんです。田んぼのあぜ道を進んだ先の家に、大きな犬が鎖に繋がれていた。その脇を通らないといけないんですね。
── なにか嫌な予感がします……。
ヨシタケ でしょ。「あの犬怖いね」「鎖がついてるから大丈夫だよ」って言いながらそろそろと歩いていたら、犬が鎖を引きちぎって追いかけてきたんです。ワーッて必死で逃げて、はっと気づくとジュンちゃんがいない。振り返ると、後ろで犬に追いつかれそうなっていた。僕は何をやってもかなわなかったんですけど、逃げ足だけは早かったんです。
── ジュンちゃん、襲われてしまったんですか!?
ヨシタケ ギリギリのところで犬が飽きて、助かりました。はるか先でジュンちゃんを待ってるときの辛さったらなかった。
── 助けずに、逃げちゃったから。
ヨシタケ ええ。僕はそのときまで、そういうことがあったら自分は犠牲になってでも人を助けるタイプだと思いこんでいたんです。ところが、先に逃げる奴なんだと。今思えば、小さな子が犬に追いかけられて逃げるなんて当たり前なんだけど、友達を置いてっちゃったのが、当時やっぱりすごくショックで。いくらえらそうなこと言っても最終的に自分だけ逃げるんだ俺は、と思い知る体験が、胸の奥にすごく残ってる。
── 謝ったんですか?
ヨシタケ なんか謝る余裕もなくて。30年後、ジュンちゃんの結婚式で、あのときはごめんねって言ったら全然覚えてなかった。そんなもんなんですよね。今も自分の考え方の根幹にはつねに不安があり、オドオドしてる人間なんですが、その決定打がジュンちゃんおいてけぼり事件です(笑)
「ポッと出の心配症じゃないんで」
── 自分を疑い続けると、どこかで折り合いをつけないと苦しいだけですよね。
ヨシタケ つきつめると、なんで生きてなきゃいけないんだろうという話にもなる。よく辛いときに、人はあれがあるから頑張ろうとしがみつく、取っ掛かりがあるんですよね。僕は、好きも憎しみも、全部なくなって壁がツルツルになっちゃうんです。その瞬間がいちばん怖い。
── 外から見ると、ご家族もいて、素敵なアトリエもあって、読者もたくさんいる。なんの不安もなく見えますが……。
ヨシタケ 自分でもこんなに辛いわけないと思うんですよ。でもなんかツルツルになりがちなんですよね。ひたすら、でこぼこが戻ってくるのを待つしかない。
── そういう気質と向き合い、材料にして描いたものは、確実に人のためになっているのではないでしょうか。
ヨシタケ 僕のような怖がりで、臆病な人に届いてほしいという気持ちはあります。やっぱり怖くない?って。似たような人と共有したいなと。
── 作品にすることで、得た気付きなどはありますか。
ヨシタケ 二重の驚きがありました。そういう弱さみたいなものは、けっこうたくさんの人たちの根っこにあるんだな、ビクビクしてるのは僕だけじゃないんだなという発見。もうひとつは、他の人たちはそういうものをちゃんとアップデートして乗り越えておとなになっていくけど、僕はその土台の部分にずっといるんだなという驚き。
── その驚きが、作品の根幹にあり続けている。
ヨシタケ 意外とたくさんの人におもしろがってもらえているけれど、ホラ、そこでまた「そんなわけないよな、今珍しがられているだけだよな」って出てくるんですよ。
── 珍しいだけじゃ1冊はできても、10冊も20冊もは続きません。
ヨシタケ やっぱ心配症も年数が違うというか、ポッと出の心配性じゃないんですよね(笑)。いつ本がぱったり売れなくなっても、そうでしょうねっていう。覚悟ができてるって、強いんです。何が起きても、よかったなと加点方式になる。
── 逆説的になにごとにも感謝できるというのは、いいですよね。ヨシタケさんは、歳を重ねるごとになんとか自分の機嫌の取り方、付き合い方、トリセツを増やしている気がします。私はなかなかそれがうまくいかない。
ヨシタケ どうやって自分を騙くらかすか。しょうがないじゃん、自分は他の人になれるわけじゃないんだから、受け入れていくしかないじゃんって思う。結局、僕がやってることって、一言でいうと「自分の受け入れ方のレパートリーを増やす」。そこに尽きるんです。
── 自分に飽きるわけにいかないから。
ヨシタケ そう。でも、ひとつのレパートリーが3日ぐらいしか持たない(笑)。自分を騙す言葉の鮮度がすごいスピードで落ちていくんです。
人に会ったあとの「下の向きっぷり」が同じ
ヨシタケ 僕も本当、飲み会でなんであんなこと言っちゃったんだろう、自分で何もできてないくせに、また偉そうなことを上から目線で喋ってしまった、みたいなことばっかりですよ。取材や人前で喋った帰り道の、下の向きっぷりがすごいですから(笑)。
── 私も!! 自宅で取材を受けて「ありがとうございました」とドアを閉めた瞬間から、下向いて落ち込みっぱなしです。さっきの言い方違ったなとか。偉そうすぎだよなとか。
ヨシタケ そうそう。あとから自己採点が始まる。ダメだったところ探し。僕もそっち派です。だからエゴサーチもしません。落ち込むし、100人から褒められてもひとりから否定されたらもう、真っ暗になるんで。
── 私も自著のAmazonレビューが怖くて見られないんです。もう数年、自分のとこだけ見てない。
ヨシタケ あれ、うっかり見るとえらいことになりますもんね(笑)。
── 匿名の人のたった1行で、3日ぐらい食事が喉を通らないことも。
ヨシタケ うんうん。僕ね、「ご意見お待ちしてます」っていう著者の人の気が知れないんですよね。否定されたところで直せないのにって。だからもう、おもしろがってくれたら「ありがとうございました」だし、つまんなかったら「直ちにご使用をおやめください」。巡り合わせが悪かったんでしょうねぇ、と思うしかないです。
人生を楽しむのが下手チーム
── 私は市井の人の台所を訪ね歩く連載を10年しているのですが、心や体を壊したという方がここ数年とても多くて。つくづく、頑張らないことって難しいなあと痛感しています。
ヨシタケ 「頑張らなくていいんだよ」と言うことの暴力を、僕も感じます。それができないから困っているんだし。頑張らずにいられたらどれだけ楽か、そんなことはわかっているんだと。
── ザラッとするものがありますよね。そんなに簡単じゃないって。
ヨシタケ どうすれば頑張らなくて済むのか。具体性がない。まさに言葉のあやふやさ。言った方は、何かすごいいい真理を授けたみたいな気持ちなんだけど、言われた方は、よけいに悩みますよね。
── ヨシタケさんならどうしますか。
ヨシタケ 何もかもやめて自由になるなんてできないと、誰よりも自分のことをわかっているのだから「それでも頑張らざるを得ないんだよなぁ」が、ほんとうの心の声のはずなんです。その手前の「頑張らなくていい」は心の声ではない。
── 頑張っちゃだめだ、自由にならなきゃだめだ、が答えではなく。
ヨシタケ はい。「自由にならないこと」が、一番自然な選択。どれだけ周りから言われても、頑張らないようにはできない。だとすれば、つまりここでもまた、だましだまし、頑張ってしまう自分を受け入れていくことが自然なんだと思います。
── ネガティブを肯定した上でのポジティブは、ヨシタケさんらしい発想ですね。
ヨシタケ 人の意見を気にせずに自分の思い通りに生きるなんて、できる人はきっと100人に3人。その3人には絶対なれない。だから理屈はわかるし、そういうのに憧れるけど、でもできないんですよね、と言いながらやっていくのが、落としどころじゃないでしょうか。
── 著書でも、これまでのお話でも、そのトーンはぶれずに通底していますね。 だましだましやってくしかないじゃん、っていう。
ヨシタケ リアリティのあるところから広げていかないとね。理想が遠すぎると、たどり着く気配のない自分がどんどん嫌になりますから。自分を見ていても思います。僕みたいな人間にとっては、いい感じに自分を騙し続けられたというのが、たぶん、幸せって言われてるものに近い。こういうことを考えなくても楽しくやっていけてる人はいるけど、それはもう心と体の構造が違うから。
── そこを目指すのは止めようと腹を決めてらっしゃる。
ヨシタケ はい。僕みたいなのは「人生を楽しむのが下手チーム」なんだと思います(笑)
寂しがれることの尊さ
── お子さんは16歳と12歳ですが、育児の場面で言葉にできない思いや切なさのようなものはありますか。
ヨシタケ 『あんなに あんなに』という本は、切なさで作って、僕の中ですごく気に入っているんです。子どもがそのうち巣立っていくんだっていうのが見えたときにしかできない本ですね。これを書いて、少し切なさは整理できました。
── 私は最近、23の娘がアパートを借りると言いだして。いいんじゃない?と淡々としながら、日に日に寂しさが募りまして。たまたま周囲から、自宅のほうが今の君にはいいと諭され、急に撤回したんです。アパートの契約も自分でしていたのですが、「やめました。お騒がせしました」と夫と私に頭を下げて。その途端自分でも驚いたのですが、号泣していました。子どもが23にもなって、自分はいつ母を卒業できるんだろうかと情けなかったですね。先週のことです。
ヨシタケ そういうところで泣けるというのは逆に、うらやましいな。そこまで心を動かしてくれる人といられるのは、家族という単位の褒美じゃないですか。卒業しなきゃなって思いつつ、できない状態が、それこそ、すごく自分の心に素直な状態だと思いますよ。寂しがれるっていうのはすごい取っ掛かりじゃないでしょうか。
── 取っ掛かり。
ヨシタケ 寂しがらないと、何に対してもおもしろがれない。悲しんだり、怒ったりというのは、ニュースみたいな自分と直接関係ないことでもできるけど、寂しいって、思おうとしてできることじゃないっていうのかな。
── わ、すごい発見だ。それっていつ気づきましたか。
ヨシタケ 今話しながら(笑)。そっか、うん。寂しいのって別に悲しくはない。寂しさはなにか別のことでも紛らわせられるし、置き換えられる。なにかで埋めようと、楽しめることはすごく贅沢かもしれない。寂しがりもできない辛さに比べたら。
「できることが減っていって僕は救われた」
── おとなになればなるほど、どんどん人間が丸くなってくのかと思ったら、さっきも言いましたけど、全然そうじゃないんだという事実に私はまごまごしています。
ヨシタケ できることが増えるんじゃなくて、できることとできないことがわかってきますから。それがおとなになることなんでしょうね。
── 子どもの頃は、可能性がわからないから希望があるけれど、おとなになると、希望に見極めをつけられるようになる。そこに覚悟できると。
ヨシタケ ですね。年をとって自分のできることが減っていった時に、僕は救われました。これはもういいや、これも間に合わないから頑張ってもしょうがないと見極めて、すごい楽になれたんです。だから、今は自分に対しても、「落ち込むことは良くない」、「落ち込むな」じゃなくて、この癖はなくならないと知った上で「落ち着いて落ち込もう」と思ってます。
最後までよどみがない言葉は、考えて立ち止まってはまた考えて、生きてきた証だ。まだ苦しいから、考える。まるで思考の海を渡る魚のよう。
考えながらエラから吐き出したキラキラした海水は、5年後も10年後もきっと誰かの心を耕すだろう。
そう確信できるのは、私がとても楽になれたから。覚悟を決めて年を取ってやるぞと腹がすわったからである。
長野県生まれ。編集プロダクションを経て1995年独立。著書に『男と女の台所』『ただしい暮らし、なんてなかった。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』(誠文堂新光社)、『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)ほか。最新刊は『それでも食べて生きてゆく 東京の台所』(毎日新聞出版)。 インスタグラムは@oodaira1027
大平さんのHP「暮らしの柄」
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撮影:上原未嗣
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