【お坊さんのお悩み相談室】最終回:話しているときに、パッと言葉が出てきません。人前で話すのも苦手で……。
編集スタッフ 岡本
家事や子育て、日々の仕事。私たちのくらしには、小さなことから大きなことまで「悩み」がつきものです。
「お坊さんに聞く、くらしのお悩み相談室」は、仕事や子育てなど、日々のモヤモヤを、お坊さんに答えていただく連載。 クラシコムのオフィスに「くらしのお悩み箱」なるものを設置し、スタッフのくらしの悩みを集めました。
お答えいただくのは、著書『お寺ごはん』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)なども人気の、浅草・湯島山緑泉寺 僧侶の青江覚峰さん。青江さん自身も、3児の父として、子育てにも奮闘中ということもあり、お坊さん目線、そしてひとりの親目線でお話ししていただきます。
仕事でもプライベートでも、人に何か聞かれたときに、パッと言葉が出てきません。あとから「ああ言えばよかったのかな」と、答えが思い浮かぶことが多々。どうやって訓練すればいいのかもわからず30年以上経ちました。突然の対応にも自信がないので、人前で喋ることも苦手です。事前に決まっているならまだしも、急に「一言どうぞ」と言われると、パニックになってしまいます。(スタッフM)
売れっ子の芸人でも、とっさに振られてうまい切り返しができなかったとか、場違いなことを言って評判を下げた、なんていうことを耳にすることも少なくありません。どんな人でも、気の利いたことを反射的に言葉にするのは難しいのですね。
でも、周りをみるとうまくやっている人もけっこういるように見えるのです。正直なところ、僕なんかはわりとそう見られるタイプだという自覚はあります。では、僕が本当にその場その場でパッと気の利いた言葉を思いついているのかと言えば、決してそうではありません。
今回は、僕の個人的なやり方をご紹介します。
それは「仏教を学びましょう」です。
これはなにも、僕がお坊さんだから仏教の押し売りをしようというわけではないのです。
急に話を振られるときというのは、間違いのない、確かなことをしっかりと伝えることが大切です。何か気の利いた、ウィットに富んだことは二の次でいいのです。自分の振る舞いに自信が持てるようになったらチャレンジすればいいでしょう。
例えば仏教の中には、このコラムでも何度か出てきている「諸行無常」という言葉があります。どんなものでも同じ状態にとどまることは決してない。今この瞬間私達はどんどん成長したり老化したりしている。食べ物も温度が変わり、変化を続ける。どんな場合でも揺るがない真理、どうしようもない真実です。
ほかにもたくさんの金言があります。
仏教に限らず、哲学の中には人間が生きていく上での本質がたくさんあります。私達が生きているこの世界よりもずっとずっと昔から伝わっているものですから、そこに力があるのは当然のことだとも言えます。
だからまず、時間があるときにはそういうものをたくさん読み、知っておくことです。読むだけではなくときには師匠や友人に「こういう理解でいいのか」と確認することも大切です。人は身勝手にも自分に都合のいいように捉えてしまうものですから、冷静な第三者の意見は常に受け入れないといけません。
そうして得たものは自分の知恵ではなく人間の長い歴史に裏付けされた英知をお借りしている状態になります。あくまでも自分のものではなくお借りしたものを紹介する。そう思えば緊張もせずに伝えることができるようになります。
一言どうぞ、お願いします。と言われたときは、先人からお借りした世の中の真実をまず伝える。その上で、その場に合った内容にアレンジしながら言葉をつなげていく、という方法をわたしはとっています。
このとき大事なことは、その場がどういう場なのか、何が求められているのかをよくよく考えることです。そのためには、自分が話すよりもまず、よく見ること、よく聞くことが必要です。それがきちんとできていれば、選ぶべき言葉は決して多くありません。
さて、1年半ほど続けたこの連載も今回でおしまいです。
ここまで続けてこられたのも、この連載をご覧くださっている皆様のおかげです。
一つ一つ読み返してみると、多くの方とご縁を頂いたことを本当にありがたく思うばかりです。
お悩みを寄せてくださったたくさんの方、そしてそれを読んでくださった、さらに多くの方々がこの画面の向こうにいるということ。どれほど大きなご縁の中で生きているのだろう、支えられているのだろうと感動すら覚えます。
私の好きな言葉に「修身斉家治国平天下(しゅうしんせいかちこくへいてんか)」という言葉があります。四書五経の一つ、大学に記されているもので、
天下を平らかに治めるには、自分の国をきっちりと治めないとならない。国をきっちりと治めるためには自分の家庭をととのえていないといけない。自分の家庭をととのえるには自分のおこないを正しくしないといけない。何事も大きなことを行うためにはその前のことをきっちりとやらないといけない
ということを表しています。
まず自分のおこないを正しくし、次に家庭をととのえ、次に国を治めて、最後に天下を平らかにするような順序に従うべきであるという儒教の基本的政治観です。
大それたことに聞こえるかもしれませんが、私は自分の幸せのために、世界の平和を目指しています。
自分の幸せは一人では作ることができません。私の隣にいる家族や友人が幸せでなければ、私は幸せではないでしょう。
私の友人はその友人の家族が幸せでないと幸せではなくなるでしょう。
友人の家族は、またその周りの人が幸せでなければ幸せとは言えないでしょう。
こうして考えると、世界中の一人ひとりが幸せになることがすなわち世界の幸せ、そしてそれこそが我が幸せを得ることとなります。
一人ひとりのお悩みに向き合うことは、とても小さな歩みです。
けれど、それによって一人でも、一つでも苦しみが小さくなることを願ってやみません。
令和元年師走吉日
青江覚峰
僧侶 青江覚峰
浄土真宗東本願寺派 湯島山緑泉寺住職。米国カリフォルニア州立大学にてMBA取得。料理僧として料理、食育に取り組む。「暗闇ごはん」代表。超宗派の僧侶によるウェブサイト「彼岸寺」創設メンバー
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