【金曜エッセイ】夕焼けで思い出す、せつない気持ち
文筆家 大平一枝
あるミュージシャンが、夕焼けを見てせつないという気持ちをあまり抱けない自分が悲しいという話をしていた。東京に生まれ育ち、食べていけるようになるまで実家で暮らしていたそうだ。“郷愁”という感情への理解や共感が少ないことを、アーティストとしてはコンプレックスに感じている、とも。
私はひどく驚いた。光と闇の合間の一瞬のあの燃えるような空に、一日が閉じてゆく寂しさにも似たせつない感情が湧いてくるのは、誰も同じだと思っていたからだ。
“郷愁”を辞書で引くと、「他郷にあって故郷を懐かしく思う気持ち。ノスタルジア。」(広辞苑)とある。都会か田舎かと安易に断じるつもりはないが、たしかに都会の真ん中で育ち親元を離れたことのない人は、わかりにくいかもしれないなと思った。
長野の子ども時代、私は山あいがオレンジに染まり始めると、ああ家に帰らなくちゃと寂しくなった。まだ友だちと遊びたいのに。時計を持っていなくても、空が染まるのは楽しい時間が終わる悲しい合図だった。
そのオレンジが、ビルで隠れてあまり見えなかったとしたら、夕焼けから感じる名残惜しさはどれくらいだろう。
また最近、別の取材で広いルーフバルコニー付きのマンションの最上階に住まいを構えた人が、毎日目の前に広がる夕景に、「おとなになるまでこんなにじっくり夕焼けを見たことがなかったので日々感動している」と語っていた。やはり東京育ちの人だ。今度は驚かなかった。夕焼けをじっくり見たことがない人もこの世にはいるのだ。
私は前述のミュージシャンや住人の、“気付ける力”に感銘を受けた。夕焼けの美しさ、または夕焼けを見たときに感じる郷愁への憧れ。自分の体験にないことを憂うそのやわらかな感性に。
刻々とオレンジからグレーに変わってゆくときの間(あわい)の切ないほどの美しい空の表情を知っていたはずなのに、もうずいぶん見上げていない。私のほうが夕焼けを目に留めることを忘れていた。自分はなんとゆたかなところで暮らしていたことか。あらかじめもっていたものを失っていたことにさえ、気づかなかった。
ところで広大な夕焼けは、東京でも見ることができる。歩道橋の上。神社の境内。ビルやマンションの屋上。切りとられていない空は探せばいくらでもある。
あたりまえにいつもそこにあると思った日常は、失って初めて尊さに気づきやすい。とくに、思うように人と会うことや語り合うことができないいまは、同様のことを実感している人は多いだろう。
私の夕焼けさえ上京した途端、記憶の彼方に埋もれてしまったのだから。
日々の移ろい、自然の移ろい。少しずつ変わっていくさまを、もう少しゆっくり見届けたい。いまいるこの場所で。
今日ももうすぐ日が暮れる。人生で初めて1年半親に会っていない。郷愁が私の体に静かにしみていく。
長野県生まれ。編集プロダクションを経て1995年独立。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』(誠文堂新光社)、『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)ほか。『東京の台所』(朝日新聞デジタル&w),『そこに定食屋があるかぎり。』(ケイクス)連載中。一男(24歳)一女(20歳)の母。
大平さんのHP「暮らしの柄」
https://kurashi-no-gara.com
photo:安部まゆみ
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