【連載|生活と読書】第四回:たいせつな本

夏葉社・島田潤一郎さんによる、「読書」がテーマのエッセイ。ページをめくるたび、自由や静けさ、ここではない別の世界を感じたり、もしくは物語の断片に人生を重ねたり、忘れられない記憶を呼び起こしたり。そんなたいせつな本や、言葉について綴ります。月一更新でお届け予定です

島田 潤一郎



 2009年に出版社を立ち上げたぼくに大きな影響を与えた本があります。それは関口良雄さんが書いた『昔日の客』という随筆集です。会社を立ち上げるまでは、その本の存在すら知りませんでした。
 教えてくださったのは京都の古書店「善行堂」の店主、山本善行さん。ぼくは国立国会図書館で初めてその本を読みました。

 関口さんは1918年生まれで、35歳のときに東京の大田区新井宿に「山王書房」という古本屋さんを開店します。
 店には日本の近代文学の古書がきれいな状態で並び、水瓶には花が飾ってありました。
 文学が好きなひとからすれば、夢のような店だったのではないか、と思います。
 店主は気の合うお客さんと出会うと、時間を忘れて話をしましたが、著名な作家が来客したからといって、そのひとを特別扱いするということはしませんでした。
 気持ちのいいくらい、好きなものとそうでないものがはっきりしたひとだったのではないかと思います。

 「昔日の客」というタイトルはあるひととのやりとりに由来しています。
 そのお客さんは若かりしころ、「山王書房」の近くに住み、毎日のように店の棚を眺めていました。
 長崎から上京していましたが、裕福ではなく、文庫本をたびたび値切って、店主から叱られるようなこともありました。
 ある日、そのひとが郷里に帰らなければならなくなったとき、関口さんは餞別として、彼が帳場にもってきた1500円の本から500円を割引きました。
 それから十数年経ち、そのひとは芥川賞作家となって、関口さんの前にあらわれます。
 そして、自分の本の見返しに「昔日の客より感謝をもって 野呂邦暢」と書いて、その本を関口さんにプレゼントするのです。

§

 ぼくは関口良雄さんに直接お会いしたことはありません。
 多くのひとたちから愛された小さな古書店の店主は、ぼくが誕生した翌年に結腸癌で亡くなり、それからは家族と友人、お客さんたちの記憶のなか、そして、一冊の本のなかで生き続けました。
 『昔日の客』という本は一部では幻の名著といわれてたくらいに貴重な本でした。国立国会図書館でこの本を読み、感動したぼくは、すぐにご遺族に「復刊させていただけないでしょうか?」とお手紙を書き、そして、奥様の洋子さんとご長男の直人さんからその許可をいただきました。

 古い本を装いをあらたにして、ふたたび世に出すことを「復刊」といいます(ちなみに、当時のオリジナルの形のままで出し直すことを「復刻」といいます。一方、同じ会社から同じ形のままで出る場合は、10年経っても、50年経っても基本的に「増刷」です。出版社によって呼び方は違うかもしれませんが)。
 34歳のぼくは「復刊」という編集作業という行為をとおして、関口良雄さんの声を何度も聞きました。
 毎日、ひとりの作家の文章を読み、パソコンで入力したり、修正したりしていると、その書き手の文章が、自分に強く影響をあたえていることに、ある日突然気づきます。
 それは具体的にいうと、句読点の打ち方だったり、それまでつかってこなかった言い回しが頭のなかに浮かんできたり、ということです。
 そうしたことはまるで、作家の文章がぼくの血肉となっているような感じで、ぼくにとって編集のいちばんの醍醐味とは、この「強い影響」だと思っています。

§

 本のあとがきは、息子さんの直人さんが書き下ろしてくださいました。

 「まだ、私が中学生の頃だったでしょうか、父はお客さんと夢中になって話していました。
 古本屋という職業は、一冊の本に込められた作家、詩人の魂を扱う仕事なんだって。ですから、私が敬愛する作家の本たちは、たとえ何年も売れなかろうが、棚にいつまでも置いておきたいと思うんですよ。
 父の仕事を誇らしく思い、感激して胸が詰まりそうになりました。」

 ぼくが関口さんから学んだのは、本を、文学を大切にすること、そして、商売にはお金よりももっと大切なことがあること、このふたつなのだと思います。
 こう書いてしまうと、どこにでもある、ありきたりな教訓に見えますが、この平易な教えがぼくを長いあいだ支え続けてくれています。 




『昔日の客』
関口良雄 夏葉社

『昔日の客』のオリジナル版にはなんと、手刷りの版画が一枚、本のなかに綴じ込まれています。それを目にしたとき、本というのはこんなにも気持ちを込めてつくることのできるものなんだ、と感動しました。版画の作者は、編集者であり、関口さんのご友人でもあった山高登さんです。




文/島田潤一郎
1976年、高知県生まれ。東京育ち。日本大学商学部会計学科卒業。アルバイトや派遣社員をしながら小説家を目指していたが、2009年に出版社「夏葉社」をひとりで設立。著書に『あしたから出版社』(ちくま文庫)、『古くてあたらしい仕事』(新潮文庫)、『父と子の絆』(アルテスパブリッシング)、『電車のなかで本を読む』(青春出版社)、『長い読書』(みすず書房)など
https://natsuhasha.com

写真/鍵岡龍門
2006年よりフリーフォトグラファー活動を開始。印象に寄り添うような写真を得意とし、雑誌や広告をはじめ、多数の媒体で活躍。場所とひと、物とひとを主題として撮影をする。

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