【暮らしと利他】第1話:「誰かのためになること」は、いつだって思いがけずやってくる

ライター 嶌陽子

「利他」という言葉に、なじみがありますか?

ここ数年、書店などでよく見るようになった言葉。でも、どこか堅苦しくて自分の生活からは遠いものに思えるという人も多いのではないでしょうか。

かくいう私もその一人でした。政治学者の中島岳志(なかじま たけし)さんが書いた『思いがけず利他』という本を読むまでは。

そこには、こんなことが書いてありました。利他とは「何かをしてあげよう」と意図してするものではなく、自分の意思を超えて「思いがけず」起きてしまう現象。利他は与える時ではなく、受け取る時に初めて生み出される……。

利他の考え方って、こんなに豊かで奥深いものなんだ! 落語や料理、中島さん自身の個人的な体験など、さまざまな事例を通じて展開される考察に引き込まれるうち、いつの間にか自分の日常や生き方について思いを巡らせていました。

家族や友人、周りの人とどう向き合っていけばいい? 毎日をより充実して過ごすには? そんな身近な事柄に関するヒントももらえそうと思い、中島さんに会いに行ってきました。全3話でお届けします。

 

勉強嫌いだった子ども時代。唯一、歴史だけは好きでした

中島さんは大阪府出身。現在は東京工業大学リベラルアーツ研究教育院の教授を務めています。取り組んでいるテーマは政治をはじめ、歴史、宗教、思想、社会とさまざま。数年前は料理研究家の土井善晴さんとの共著『料理と利他』も出版しています。

政治学者である中島さんが、なぜ「利他」について考えるようになったのでしょう。そのことをたずねる前に、まずは子ども時代からこれまでの道のりを伺いました。

中島さん:
「子どもの頃は落ち着きのない子だって言われていて、勉強も嫌いでした。でも、歴史だけは大好きでしたね。

小学2年生のときにたまたま両親が静岡県の登呂遺跡に連れていってくれたんですが、そこの資料館で見た、棒を回転させて火をつける、弥生時代の火おこし器にハマったんですよ。ミュージアムショップで売っていたレプリカを買ってもらって、毎日それで遊んでいました。そこから歴史に関心を持つようになったんです。

小学4年生のとき、1万円札の肖像画が福沢諭吉に変わりました。ニュースで福沢諭吉は大阪出身だと言っていたのを聞いて、生まれた場所を調べて自転車で行ってみたんです。それを壁新聞にまとめたら、珍しく先生に褒められて。

それで歴史好きが加速して、親に遺跡などに連れて行ってもらうようになりました。中学生の頃は一人で古墳などに行って、当時の人の心や暮らしに思いを馳せていたんです。このことは、僕の原点の一つになっています」

 

予備校時代に恋をしてしまって……

そのまま歴史の研究に邁進するかと思いきや、中学3年生頃からその熱はいったん冷めてしまいます。背景には、当時起きていた歴史の大転換がありました。

中島さん:
「当時は冷戦終結の時期でした。ベルリンの壁の崩壊など、歴史が変わっていくのを目の当たりにして、古いことをやっていて意味があるのかなって思っちゃったんですね。今思うとバカな考えですけど。

代わりに政治や社会のニュースに関心を持ち始めたんです」

やがて大阪外国語大学のヒンディー語学科に進学。これも政治への関心ゆえだったのでしょうか?

中島さん:
「いや、当時は勉強したいこととか将来の目標とかは何もなかったんです。高校時代も授業なんか全然聞かないで、小説ばっかり読んでいたので浪人してしまった。それで予備校に通い始めたんですが、そこで予備校生が一番やっちゃいけない恋というものをしてしまいまして(笑)

付き合った子が大阪外国語大学でインドネシア語を勉強したいと言っていたので、それなら僕も、と言ったら『同じ学科だけは嫌だ』と言われて。『じゃあ俺はインドネシアのネシアをとってインドでいいや』と。これが進学の理由です。特にインドに興味があったわけでもなく、ヒンディー語の文字もなかなか覚えられなくて、すぐに留年しました」

 

世の中について考え、図書館で本を読み漁っていた

中島さん:
「留年したのは1995年。阪神淡路大震災、オウムの地下鉄サリン事件、戦後50年など、いろいろなことがあった年でした。

その年、僕は留年して暇だったので、世の中についていろいろ考えたんですよ。いま起きている社会の問題をどう考えたらいいんだろうと、図書館で政治や歴史などの本を読み漁っていました。たまたま古本屋のポスターで知って行ってみた、吉本隆明さんの講演会がきっかけで仏教に興味を持ったのもこの時期です。

その頃、インドで大きな政治の変化が起こり、初めてインドに興味を持ちました。せっかくヒンディー語を勉強したんだから、インドの人々に話を聞いたら今の日本社会を相対化して見られるんじゃないかと。それで大学院に進んでインドでフィールドワークをするようになったんです」

 

インド滞在中に気づいた、大切な人間観

中島さんがインドに滞在していた際、とても心に残ったことがあるといいます。それはヒンディー語の「与格構文」です。

中島さん:
「たとえば “私はうれしい” はヒンディー語で “私にうれしさが留まっている” といいます。 “アイラブユー” も “私にあなたへの愛がやってきて留まっている” 。“〜に” で始める構文を与格構文といいます。

でも日本語と同じように主語を “私は” “私が” で表現する主格構文も多く使われていて、外国人にとっては使い分けがけっこう難しいんです。

インドで調査をしているとき、僕がヒンディー語で話すと現地の人が『ヒンディー語が話せるのか』って驚くんですが、このとき与格を使うんです。直訳すると『あなたにヒンディー語がやってきてとどまっているのか』となる。

なぜここで与格を使うのか、そもそもヒンディー語はどこからやってきて留まっているのかを考えたんです。それは過去であり、さらに考えると、きっとインド人の感覚では “神” なのだなと。言葉は自分を超えたところからやってきて私に宿り、また次の世代に宿る。そんなふうに捉えられているんですよね。

この “私は” ではなく “私に” というのは、すごく重要な人間観だなと思ったんです」

中島さん:
「今の私たちは、あらゆることを “私は” “私が” で考えがち。つまり、自分の意思が自分の行為の全てをコントロールしている、自分の意思で物事を切り開けると思い込んでいる気がします。けれど、実際には意思が介在しているものなんてごくわずかで、ほとんどが自分の意思を超えたものに動かされているんじゃないか。

20代でこう考えたことが、のちの利他についての考察につながっていったんです」

子どもの頃から、その時々に “たまたま” 出合ったことや沸き起こった関心に向き合い、じっくり考えてきた中島さん。第2話では、利他について考えるようになったきっかけや、その考え方を私たちの日常にどう取り入れたらよいかを聞いていきます。

 

【写真】神ノ川智早


 

もくじ

中島 岳志

1975年、大阪生まれ。大阪外国語大学でヒンディー語を専攻。京都大学大学院アジア・アフリカ地域研究研究科でインド政治を研究。2005年『中村屋のボース』(白水社)で大仏次郎論壇賞、アジア太平洋賞大賞を受賞する。北海道大学大学院法学研究科准教授を経て、現在、東京工業大学リベラルアーツ研究教育院教授。著書に『思いがけず利他』、『料理と利他』(土井善晴さんとの共著)、『自分ごとの政治学』、『秋葉原事件』、『血盟団事件』、『親鸞と日本主義』など多数。

 


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