【月と太陽がくれたカレンダー】第7話:浜下りは、春の気のおすそ分け
沖縄に、浜下り、という行事があります。
旧暦の三月三日(新暦だと今年は 3/31)に浜辺で潮干狩りをしたり、ピクニックをしたりして過ごすならわしです。
ぼくは十年ほど沖縄で暮らしていたのですが、浜下りのことは、春の海辺の情景とともにいまも心に残っています。
波打ち際で素足を波にひたしながら手をあわせ、これから一年健康でありますように、と願うひととき。
しゅわしゅわと発泡水のように波が浅瀬に寄せてきて、きめ細やかなサンゴの白砂の上をサーッとなでていくときに、いっしょに素足もぬらしていきます。そしてくすぐったいような、さっぱりと清々しいような心持ちにさせてくれます。
西の空に浮かぶ、少し赤みがかった陽を受けながら、浜辺にならんで海に足をひたして祈る子らを見ていると、胸があたたかくなって、でもどこか切ない気もして、やっぱり子らや自分たちの健康と幸せ、そして平和を願わないではいられなくなります。
そんな気持ちになるのは、なぜでしょう? 大きな海を目の前にすると、人間がちっぽけに思えてくるからでしょうか。
それとも、水平線を眺め、潮風を浴びているうちに、自然あってこそ人は生きられるんだと、生命を育む大いなる恵みの源に思いがおよぶからでしょうか。
海に手をひたして、透きとおった海水のきれいさに息をのんだり、ゆらめく波の上をきらきらとはねる光のまばゆさに目をほそめたり……。
見ても、ふれても、海というのは、この世の奥深い不思議さと心をつなげてくれる扉のようです。
三月三日といえば、桃の節句のことを、上巳の節句ともいいます。
「巳」とはヘビのこと。脱皮しては成長するヘビは「再生」の象徴とされました。
冬から春へと新たに年が生まれ変わること=「再生」をもたらす生命力に満ちあふれたヘビは、縁起のいい動物というわけです。
そんな新しい一年のはじまりにあたって、波に手足をひたす行事には、節目のときに心身を清める意味が込められていました。
時代につれて行事の意味合いも変わるものですし、とくに清めを意識しなくても、自然に包まれながら一年の健康を願うだけで、もう海は、自然は、人の心身をすすいでくれるように思えます。
桃の節句の慣行が生まれる前から、きっとこの時期には水辺も暖かくなってきて、潮干狩りに行こうかと思える日和だったことでしょう。
ただ全国的にみると、三月の終わりから四月にかけては、菜種梅雨と呼ばれる、雨の多い時期でもあります。
陽気に満ちた晴れの日ばかりではなく、雨が降る日も、寒さが戻る日もあり、ちょっと天気がぐずつきやすい頃といえそうです。
気温や気圧に波があると、体調にも影響があるでしょうし、そんなときに人が自然に接することは、やっぱり大事だと思うんです。大きなものとふれあって、つながりを感じることで、地に足がつくというか、心がどっかり落ち着くというか。
沖縄や鹿児島にかぎらず、海や川が近くにない地方でも、踏青といって、同じ三月三日に野山を散策して、春の草木の息吹きを浴びる森林浴のような行事がありました。
もともと古代中国のならわしで、それが日本に伝わってきたものです。
波打ち際でたわむれても、山の草木にかこまれて深呼吸しても、桜並木の下を散歩しても、きっと自然は人に生命の気を分け与えてくれるのではないでしょうか。
うららかな春ではあるけれど、まだ寒の戻りも春雨もあって…… という不安定な天気のときには、 海や川、野や山を身近に感じることを、私たちの心身は、自分で思っている以上に必要としているかもしれません。
パッと思い立って、海でも山でもすぐに出かけられればいのですが、いつでもできるわけではありませんし、たとえば旬の魚や菜をいただいたり、季節の花を生けたり、桜の花をしばし眺めたり、海や川、野や山に思いを馳せるひとときを過ごされてはいかがでしょうか。
ちょっと春のおすそ分けをいただく気持ちで。
文/白井明大
詩人。1970年東京生まれ。2008年より、二十四節気七十二候に沿って季節の移ろいを感じる「歌こころカレンダー」を毎年制作。2012年、『日本の七十二候を楽しむ ─旧暦のある暮らし─』が静かな旧暦ブームを呼んで30万部超のベストセラーに。2016年、『生きようと生きるほうへ』で第25回丸山豊記念現代詩賞を受賞。『いまきみがきみであることを』『日本の憲法 最初の話』など、自然や生命や心の自由に関わる著書多数。
イラスト/shunshun
素描家。1978年高知生まれ、東京育ち。広島在住。心に響いた光景を、ブルーブラックのペン一本から生まれる線により、一つひとつ精魂を込めて描く。毎年自主制作している『二十四節気暦』カレンダーのファンは多い。著書に『椿ノ恋文画集』『一條線一片海』など。
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