【立ち止まって、考える】第3話:「責任」は面倒なものじゃない。誰かが誰かに応答すること。

ライター 嶌陽子

哲学者の國分功一郎さんにお話を伺う特集。第1話では、國分さんの子ども時代からの道のり、第2話では能動態でも受動態でもない、「中動態」について、そして私たちが当然のように使っている「意志」という概念について教えてもらいました。

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最終話の今回は、やはり私たちの日常につきまとう「責任」という言葉、そして「自由」ということについても聞いていきます。


私たちが本当に考えるべき「責任」とは

過去の出来事や周囲の人々、環境などに全く影響されず、自分から純粋に出発する「意志」というものは存在しない。國分さんが著書『中動態の世界』で論じたことです。

では、どんな行為にも意志がない=自発的にしたわけではないとすれば、「責任」というものも必要がないということなのでしょうか。それは全く違う、と國分さんはいいます。

國分さん:
「あなたが自分の意志でやったのだから責任を取るべき。我々は “責任” をこのようにとらえがちです。でも、“責任” にもいくつか種類があり、僕は分けて考えるべきだと思います。

ひとつは応答する能力の発揮としての責任。責任は英語でresponsibilityといいますよね。まさに "応答する=response " "能力=ability" です。

たとえば、子どもが泣いていたり、道で誰かが困っていたりすると、心配になって助ける。あるいは誰かを傷つけてしまって心から申し訳ないと思い、謝罪などをする。この時の責任は、意志とは関係なく自然と心の中に湧き上がるもの、つまり自分の中を場として起きるものであり、まさに中動態的です」

國分さん:
「もうひとつは "帰責性" というものです。誰が責めを負うべきか、ということ。たとえば交通事故や犯罪などが起こった場合、引き起こされた罪の帰属先はどこかということです。刑法の根幹となる考え方であり、社会的に必要なことです。この場合はその行為は自発的だったかという “意志” が問われます。僕たちがよく使うのはこの帰責性ですね。

最後は “自己責任” というよく分からない言葉。このように、責任の概念を分けて考えるべきなんですが、僕らは3つを混同してしまっているんだと思います。でも本来の責任とは、1番目の “応答” なのではないでしょうか」

國分さん:
「責任というと、何となくネガティブなイメージが強いですよね。『責任とってよ』とか『私の責任じゃありません』とか。でも責任のない世界というのは、誰も誰にも応答しない、恐ろしく冷たい世界です。

自己責任とは、その恐ろしい世界が近づいてくる足音のこと。自分が困っていても『自分でやったんでしょ、どうなっても知らないよ』と、誰も応答してくれない。こういう考え方がここ20〜30年ほどで広まっていて、自分で『自己責任』と言ってしまう人もいるくらい、みんなの心を支配してしまっている。

僕らが本当に考えるべきなのは、意志とは関係ない、中動態的な “応答としての責任” なのだと思います」


「自由に生きる」ことは可能なの?

もうひとつ、國分さんの『中動態の世界』の中でも強く心に残り、直接聞いてみたいと思ったのは「自由」についての考え方です。

私たちは、自分の意志によって物事を動かせるわけではない。必ず過去や周囲による影響や制約を受けている——。であるとすれば、自由に生きることは可能なのでしょうか? 私たちがより自由に、充実して生きるためには、どんなことを意識すればいいのでしょう?

國分さん:
「自由というと、僕らは “制約がない状態” とか、 “意志の自由” を思い浮かべます。でもそうではないんです。僕の研究対象であり、『中動態の世界』を書く際にも手がかりとした17世紀のオランダの哲学者、スピノザの思想に基づいていえば、自由とは “与えられた条件のもとで自分の力ををたくさん発揮できること” です」

▲國分さん自ら「世界一分かりやすいスピノザ論」だと呼ぶ『はじめてのスピノザ 自由へのエチカ』(講談社新書)。とても読みやすく、スピノザの思想がよく理解できます。

國分さん:
「自分が否応なく受け入れる条件というのは、必ずあるはず。たとえば、2本の腕と2本の足がある場合、それがその人に与えられた条件です。その人は空を飛べる翼を持っているわけではないし、腕や足には可動域がある。また、その人の骨格や筋肉などによって動かせる方向や速さにも範囲があるでしょう。

腕や足を自由に動かすというのは、そうした条件を超え出ることではありません。その条件に従って腕や足をうまく動かせる時、私たちは自由にそれらを動かせている。

つまり、逃れようのない状況の中で、自分の力=自分らしさがたくさん発揮されていることが自由に近づくことだというのが、スピノザの考えなんです。

自由の反対は強制であり、これは自分らしさが無視されたり押しつぶされたりしている状態のこと。たとえば全く足に合わないのに『女性だからヒールの高い細身の靴を履くべき』などと言われて履くことになったら、足をうまく動かせないですよね」


「実験」を繰り返しながら、少しずつ自由になっていく

國分さん:
「自分らしさというのは、もちろん身体のことだけでなく、心や性質といったものにも当てはめられます。たとえば僕は哲学には向いているけれど、スポーツは少しはできるもののプロになるほどではない、とか。

ただ、 “自分らしさ” は、あらかじめ分かっているものではありません。誰もが “実験” しながら、つまりさまざまな経験をしたり、いろいろな人に出会ったりしながらそれを学んでいく。 “自分らしさ” とは何か、どうしたら自分らしさを発揮できるのかを少しずつ知りながら、自由になっていくのです。

さらにいえば、自分らしさとは何にどう反応するかということ。僕は哲学が好きで、楽しんでやっていますが、それは哲学と出合った時にいい反応をしたし、自分らしさを発揮できた。つまり組み合わせがよかったということでしょう。でも、ひょっとすると他の組み合わせもありえたかもしれないし、それはそれで僕らしさなのかもしれません。

日々、出来事や物事をありのままに受け取って、その時何が自分の中で起きるかを見つめる。そうしたプロセスを積み重ねていって、自分らしさというものを知っていくことが大事なのだと思います」

『中動態の世界』を読み、國分さんのお話を聞いてから、ニュースや人との会話などで「意志」「責任」という言葉を耳にする度に、立ち止まって考えるようになりました。「意志」や「責任」という言葉で自分や周りを追い詰めていないだろうか? この場合、本当はどう考えるといいんだろう?と。身のまわりや社会を見る目も、少し変わった気がします。

新しい概念を知り、その意味を理解しようとうんうん唸っているうちに、やがて視界が開けることは確かにあるのだと、今回の経験があらためて教えてくれました。時間も労力もかかるけれど、これからも時々立ち止まって考えることを続けていきたいです。


【写真】神ノ川智早


もくじ

國分 功一郎

1974年、千葉県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。東京大学大学院総合文化研究科教授。専門は、哲学・現代思想。2017年、『中動態の世界』で小林秀雄賞を受賞。著書に『暇と退屈の倫理学』、『ドゥルーズの哲学原理』、『近代政治哲学』、『スピノザ──読む人の肖像』、『目的への抵抗』、『手段からの解放』、『〈責任〉の生成──中動態と当事者研究』(熊谷晋一郎と共著)など多数。X:@lethal_notion


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