【金曜エッセイ】約束のない時間、が欲しいひと
文筆家 大平一枝
第六十七話:約束のない時間
大学三年の娘が急に覇気がなくなった。春休みからコロナ禍の流れで、丸半年、大学の友達に会ってない。
5月ころまでは課題や調べ物にうちこんだり、ウォーキングや地元の友だちと会ったり、いつもどおり明るかったが、6月に入ってみるみる顔から生気がなくなっていった。バイトも、みなが希望するのでシフトに空きが出ず、回数が減った。
授業以外、朝は起きられず、夜はいつまでも寝ない。昼夜逆転が始まるのと前後して食欲も減退し、笑い顔が消えた。
言葉には出さないが、外部からの刺激がない中で、気力が減退するのは私にもよく理解できた。
とはいえ、状況は誰も同じ。二十歳を超えた大人なので親があれこれいうはずもなく、生活を律せよと注意するにとどめている。そのなかで、朝起きづらい理由をこんなふうに漏らした。
「朝起きてもすることがないから、起きる理由がなくなる。夜になっても、寝る意味がないからずっと起きていてしまう」
自主的な研究や読書、運動などいくらでもやることはあるだろうと、親としてはいろいろつっこみどころがあるが、その前に、素朴なことに気づいた。
社会に出ると、約束のない時間が欲しくなり、若者は名前のない時間が苦痛なのだ。
私など、なんの予定もない時間は至福でそんな休日は朝からワクワク、得も言われぬ開放的な気持ちになる。それはきっと、ふだん予定があるから。用事に拘束されているからたまの自由が嬉しいのだ。まるっと毎日何ヶ月も自由だと、何をしていいかわからず戸惑うこともあるだろう。皮肉なものだ。
幼い子におもちゃ売り場で「何でも買っていいよ」というと、一瞬ためらうのに似ている。「◯◯円以内で、長持ちするもの」というと、ほっとしたように喜々として探し出す。
そんなもん、学校が始まったら元通りになる。学校にバイトに友達に課外活動に忙しくて、悩んでたことなんて忘れてしまうと夫は言う。そのとおりなんだろう。
自由なうちに自分の内側がゆたかになれるものを。ブラッシュアップできるものをやればいいのにともどかしく思うのは、その時期を過ぎた人間だからかもしれない。
自分が何者か、何になりたいかもわからないモラトリアムの渦中にいる頃、自由のありがたさは実感しづらい。社会に出てからいかに無為に過ごしたかに気づき、その時間を悔やむのだ。
人生は、過ぎ去ってわかることの連続なのである。
自力でなにかに気づくまで、遠くから見守る日々が続いている。
ところで、友達がハンドメイドの洋服のブランドを作るのでと名前を相談された。オフの日に気持ちの良さそうなテイストだったので、「“約束のない時間”はどう?」と提案。
「それ、いい!この服にピッタリ」と2分で決まった。
彼女もふだんは予定がぎっしりの超多忙な人。ああ、約束のない、名前のない時間が欲しいんだな、私と同じだなと思ったら少しおかしくなった。
文筆家 大平一枝
作家、エッセイスト。長野県生まれ。編集プロダクションを経て1995年独立。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』(誠文堂新光社)、『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)ほか。『東京の台所』(朝日新聞デジタル&w),『そこに定食屋があるかぎり。』(ケイクス)連載中。一男(24歳)一女(20歳)の母。
大平さんのHP「暮らしの柄」
https://kurashi-no-gara.com
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