【半歩先の世界】後編:自分に正直に。文字を作ることは、生活そのものだと思うんです(書体設計士・鳥海修さん)

ライター 嶌陽子

知らなかった世界や職業についての話をじっくり聞く特集「半歩先の世界」。今回は、書体設計士の 鳥海修 ( とりのうみ おさむ ) さんにお話を伺っています。

前編では、鳥海さんがこの世界に入った経緯、また実際にどのように仕事を進めるのかについて聞きました。後編では、書体と文学との関係について、また鳥海さんがこれから作りたいと思っている書体について聞いていきます。

前編から読む

「ゆっくり読めるひらがな」って、どんなもの?

▲鳥海さんの著書『文字を作る仕事』(晶文社)と『明朝体の教室』(Book&Design)。

1989年、仲間と3人で 字游 ( じゆう ) 工房を立ち上げた鳥海さんは、〈ヒラギノ〉を皮切りに、自社のオリジナル書体である〈游明朝体〉〈游ゴシック体〉などを含め、私たちにもなじみの深い、さまざまな書体を作っていきます。

鳥海さん:
「仮名に特化したフォントを作ったこともあります。日本語の文章の5〜6割は仮名。特にひらがなって、漢字と比べて使用頻度がものすごく高いから、その出来不出来はすごく重要なんです。

私は仮名をデザインする時、今もまず鉛筆や毛筆を使って手書きで作業し、それをパソコンに取り込んで調整する方法を取っています」

▲漢字は複数の人でデザインするのに対し、作り手の個性が出やすい仮名は一人で制作する。

鳥海さん:
「依頼を受けて、近代文学用の仮名文字をデザインしたことも。その際、夏目漱石の『こころ』を読んでイメージした仮名文字を作ってほしいといわれたんです。

あらためて『こころ』を読んでみたら、これは丁寧に読みたい文章だな、と。

だから最初に手書きでデザインする時、筆運びもゆっくり、曲線が多い感じにしました。そうすると、読む速度も遅くなるはずだと思って。

さらに、形もやや平べったくしたんです。縦長だとすっと流して読めてしまうけれど、平たくすると1文字ずつゆっくり読むだろうと。そういうことを考えて〈文麗仮名〉という書体を作りました」

▲「近代文学用の仮名文字」として作った仮名書体、〈文麗仮名〉


書体が変われば、受け取るメッセージも変わる

鳥海さん:
「実はこの〈文麗仮名〉、2023年に出版された黒柳徹子さんの『続 窓ぎわのトットちゃん』の本文に使われているんです。そのことは人から聞いて知ってびっくりして。なんで?って思いました。でも、本を読んでみて納得しちゃった。

前作の『窓ぎわのトットちゃん』の本文に使われている仮名は〈タイポス〉というゴシック。楽しい感じがする書体です。『窓ぎわのトットちゃん』は、トットちゃんがトモエ学園という学校で過ごした楽しい日々が中心の話なんですよね」

鳥海さん:
「それに対して続編は、戦争が始まって疎開した体験など、辛い話も多い。おそらく『続 窓ぎわのトットちゃん』のブックデザイナーである名久井直子さんが、物語の内容や戦争はよくないというメッセージに合わせて〈文麗仮名〉を選んだんじゃないかなって思ったんです」

同じ言葉でも、書体によって受ける印象は変わる。鳥海さんの話を聞くと、私たちは文章の内容だけでなく、書体も含めて「読んで」いるんだとあらためて気づかされます。


今年70歳になって、自分に何が作れるだろうと考えた

書体設計士となって45年、関わってきた書体は100以上。さまざまな経験を経た今、これから新たに作りたいと思っている書体があると鳥海さんはいいます。

鳥海さん:
「昔、ある先輩に『70歳にならないと、きちんとした書体は作れない』と言われたことがあります。今年70歳になって、自分に何が作れるだろうと考えたんですよ。

長年この仕事をやってきて、なぜ自分は書体を作っているのだろうってあらためて思った時に、やっぱり “本と書体” が自分にとっては大事だと思ったんです。その原点は、おそらく浪人生時代に買った夏目漱石全集。〈精興社明朝〉という美しい書体で組まれているんですが、それが大好きで。なんだか愛おしいと思ったんだよね。

だから、私が作りたいのは紙に印刷された縦組み用フォント。自分が紙の本にずっとお世話になってきたから、そこで自分の力を発揮できたらいいなって。それ以外のデジタル用の書体とか横組用の文字とかは、もう他の人に任せます」

鳥海さん:
「もうひとつ、すごく大きな転機になったのは、石牟礼道子さんの『苦海浄土』を読んだこと。

たまたま買って去年から読み始めたんだけど、内容がすごいんですよ。水俣病の患者や家族について書かれた有名な作品だけど、単なる社会派小説ということでは片づけられない本だよね。社会問題としての水俣病、患者さんたちの気持ち、石牟礼道子さんの言葉の選び方……。なんというか、とにかく衝撃を受けました。こんなに衝撃を受けた本は、おそらく生涯で初めてじゃないかな。

こういう大事な作品は、きちんとした体裁の本として残すべき。そのための一助となるような書体を作りたいって思ったんです」


初めての、自分が純粋に作りたいから作る文字

鳥海さん:
「ただ、作りたいのは『苦海浄土』を組むための書体じゃない。

これまでにも、たとえば20数年前に作った〈游明朝体〉は『藤沢周平の小説を組むための書体』がテーマだったし、〈文麗仮名〉は近代文学のためだったけど、今度は何にでも使える書体を作りたいんです。

ずっと『水のような、空気のような文字』と言ってきたけれど、最近はあえて言わなくていいような気がしてます。そこから一歩踏み出したということなんだろうね。今度目指すのは、きれいな書体というよりも、清濁あわせ飲むような書体です。

そういうものが作れるか分からないけれど、45年もやってきて、もうそろそろ挑戦してみてもいいかなって。誰に頼まれたわけではなく、純粋に自分が作りたいから作るのはこれが初めてです」


文字は、生きてきたこととリンクするから

数多くの書体をデザインし、この世界の第一人者となった今もなお、新しいものを作ろうとする鳥海さん。その原動力はどこから来るのでしょう。

鳥海さん:
「いつだって自分の仕事に100パーセントは満足できないですよ。出し切ったつもりでも、文字のことが分かれば分かるほど、もっとこうすればよかったなんて思う。だからこそ、次はもっといいものを作ろうと素直に思うことができるんじゃないかな。

昔、詩人の谷川俊太郎さんの詩を組むための仮名書体を作ったとき、谷川さんのご自宅でお父さまの谷川徹三さん直筆のハガキをみせてもらったことがあってね。『不断の自己反省』って書いてあったの。それって生きている私たちがいつも意識しなくちゃいけないことだと思う」

▲「文字塾で教えるのは自分にとってもすごく勉強になる。生徒から思わぬ質問を受けて気づくこともあるし、いろんなことを考える機会になってます」

鳥海さん:
「十数年前から書体作りについて教える『文字塾』もやってます。

文字塾の生徒に伝えたいのは、書体作りって技術だけじゃなく、人との関わりなども含めてそれまでの経験の全てだということ。いいものも悪いものも含めてね。経験が人を作り、仕事を作るんです。

日々の生活そのものが文字に出るし、そう考えると、今を生きるってことは大事なことなんだよね。

文字って生きてきたこととリンクするので、それに対して正直に作ることが大事だと思ってます。人からどう思われるかなんて気にせず、今の自分にできることを誠心誠意やるしかないんじゃないかな」

文字の世界の面白さ、書体作りの細やかさや難しさにワクワクしたのと同時に、鳥海さんの「正直に」という言葉がとても胸に響きました。

シンプルでまっすぐなその言葉は、きっと仕事上のことに限らず、日々を過ごしていく上での大事なこと。これから先、迷ったり悩んだりする度に、この言葉を思い出しそうな気がしています。

(おわり)


【写真】上原朋也



もくじ

鳥海 修(とりのうみ おさむ)

書体設計士。1955年山形県生まれ。ヒラギノシリーズ、こぶりなゴシック、游明朝体・游ゴシック体などベーシックな書体を中心に100書体以上の書体開発に携わる。2002年に第一回佐藤敬之輔賞、05年にグッドデザイン賞、08年に東京TDCタイアップデザイン賞、24年に第58回吉川英治文化賞を受賞。著書に『文字を作る仕事』(晶文社)、『明朝体の教室』(Book&Design)。「松本文字塾」主宰。


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