【半歩先の世界】前編:文字を作るってどんな仕事? 本と自然を愛する、書体設計士の鳥海修さんを訪ねました

ライター 嶌陽子

知らない世界についての話をじっくり聞いてみませんか?

料理のレシピや収納のノウハウのように、明日からの生活にすぐに役立つわけではないかもしれません。けれど普段の暮らしの半歩先に目を向ければ、そこにはワクワクするような発見が待っているはずです。

ひとつの職業や世界についての話を聞いてみる特集「半歩先の世界」。今回登場するのは書体設計士の 鳥海修 ( とりのうみ おさむ ) さんです。

私たちが毎日目にするスマホやPC、あるいは本や雑誌、街の看板。そして皆さんがいま読んでいるこの記事も。それらに使われている文字をデザインするのが書体設計士の仕事です。

こんなに私たちの生活に馴染んでいるのに、実は何も知らない、そして知れば知るほど奥深い書体の世界。その面白さから、 “仕事をする” ということの本質まで、率直な言葉で語っていただきました。前後編でお届けします。


山形県生まれ。子どもの頃は、山や川で遊び回っていました

遠くに北アルプスの山並みが見える、広々と開けた土地。鳥海さんは4年前、東京からここ、長野県安曇野市に移り住みました。自宅にある仕事場で、今も書体設計に取り組んでいます。この仕事に携わるようになってもう45年。まずは、書体設計士になるまでのことを聞きました。

鳥海さん:
「私は山形県出身で、鳥海山の麓で育ちました。子どもの頃はとにかく山や川で遊び回っていましたね。

小さい時から車が大好きで、高校は車のエンジニアを目指して工業高校に入りました。そのうち、車のデザインというものに興味が湧いてきた。どうやら美術大学に行けば車のデザイナーになれるらしいと知って、東京の美大を受験したんです。私の高校で美大に進学したいなんていう生徒は初めてだったらしく、先生たちはびっくりしてました。

結局2浪の末に多摩美術大学に入学しました。しかも志望していたプロダクト科は落ちてしまって、グラフィック科に入ったんです」


「日本人にとって文字は水であり、米である」

広告やイラストレーションなど、当時人気だった分野を学ぶグラフィック科へ進学したものの、元々車のデザイナーになりたかった鳥海さんは全く関心なし。そんな中で「文字デザイン」の授業は比較的面白かったといいます。

鳥海さん:
「高校生の頃から夏目漱石や北杜夫、遠藤周作なんかの本をよく読んでいて、文字には親しみを持っていたっていうこともあったかもしれないですね。

授業では時々、文字作りをしている人たちの仕事場へ見学に連れて行ってもらいました。書体デザイナーのところとか、落語の寄席文字を作っている人のところとか」

鳥海さん:
「ある日、毎日新聞社のフォント製作課へ見学に行って『こんな世界があるんだ』ってびっくりしたんです。

広告とかのグラフィックデザインの世界って、デザイナーの名前や個性を競うという面があるでしょ? それに対して、文字の世界は誰が作ったかということは大事じゃない。ただただ読みやすいように作る、それがすごくいいなと思ったんです。人と違うことをしなくちゃって気負わず、のんびり真面目に作っていればいいんだって。

そうやって作られた文字が組まれて文章になり、物語や情報を伝える。文字は文化の根底を支えているんだと思いました。

その時案内してくれた書体設計家の小塚昌彦さんが帰り際に言った『日本人にとって文字は水であり、米である』っていう言葉が決定的でした。それを聞いた瞬間、故郷の庄内平野や鳥海山が頭に浮かんで、書体設計の仕事をしたいと思ったんです」


失敗のおかげで、いろんな世界を見られた

美大卒業後の1979年、鳥海さんは株式会社写研*1に入社。書体設計士としての道を歩み始めます。

鳥海さん:
「写研は書体作りの基礎を教えてくれた大好きな会社です。だけど、入社当時は美大の自由闊達な雰囲気とは全然違っていたのでびっくりしました。出社すると作業服に着替えて、朝はみんなでラジオ体操。机も教室みたいに同じ方向を向いてて、隣の人とおしゃべりすると注意されちゃうんだもん。

ある時、写研を受けたいっていう美大の後輩がいて、何かアドバイスしてやれって当時の部長から言われたの。俺、その後輩に『あんまりおすすめしない』っていっちゃってね。それが会社にバレて、危うくクビになるところだったんです。

ところが部長が『俺が面倒見るから』って言ってくれて。それまでいた漢字を作る部署を離れて部長付きになりました。これがとってもよかったんだよね。

部長のところに持ち込まれるいろんな案件に携わらせてもらったんですよ。ギリシャ語や化学構造式、音符などの楽譜用フォントもあったな。他の部署や外部の人と話す機会も増えたし、一般の社員は許可がないと見られない原字*2を自由に見ることもできた。いろいろな経験ができる恵まれた環境だったんです。

あの時の経験は、その後の仕事にすごく生きたと思っています」

*1…写真植字機・専用組版システムの製造・開発、書体の制作などを行う会社。
*2…活字やフォントの元になる原稿のこと


まずは「書体のコンセプト」から

1989年、鳥海さんは10年間勤めた写研を退社し、写研で一緒だった2人の仲間と共に新しい会社「 字游 ( じゆう ) 工房」を立ち上げます。その後間もなく、とある会社から、新しい書体を作ってほしいという依頼を受けました。 

鳥海さん:
「まずは書体のコンセプトを出してほしいと言われたの。要するに、どういう目的で何に使われて、誰が読むのかということです。それを言語化して説明しなきゃいけない。これはどんな書体を作る場合も最初にすることです。

その会社は印刷機材を作っていて、カタログやパンフレットを作ることが多かったので、まずは “カラーの写真や図と一緒に使われる書体” としたんです」

鳥海さん:
「さらに、カタログやパンフレット用であれば、横組みにした時に読みやすいものがいい。文章を組んで塊としてみた時に濃度差が少ない、きれいなグレートーンがいい。こんなふうに考えていきました。

世の中のカタログやパンフレットをたくさん集めてきて、使われている書体を細かく分析しながらね。企画書作りだけで数ヶ月かかっちゃった。

そうやってできたのが〈ヒラギノ〉シリーズ。その後、2000年にアップル社の〈Mac OS X〉にも標準搭載された書体です。完成した時は抜け殻みたいになっちゃうほど、身を削るような仕事だったなあ」


日本語の書体は「組み合わせ」が肝

▲1万4,500字の漢字を作る際の基準となる12文字の「書体見本」

ところで、そもそも書体とは一体どのようにデザインされるのでしょう? 鳥海さんが専門としているのは、小説などの長い文章に使われる「本文書体」。通常は漢字、ひらがな、カタカナなどを合わせて約2万3,000字を、数人のチームで1年半〜2年かけて作ります。 

鳥海さん:
「書体を作る時はまず漢字から。初めに書体見本として12文字の漢字を作ります。約1万4,500字の漢字を作る際の基準となるものです。 

12文字の後に作るのは、415字の『種字』。ここには異なるへんやつくりなど、漢字のいろいろな要素が入ってます。それを元に、ある漢字のへんと、別の漢字のつくりを組み合わせたりしながら残りの漢字を作っていきます。ただ組み合わせればいいわけではなく、バランスなどをみながら大きさや形を細かく調整しなくてはいけない。ここが難しいところです」

▲完成間近の書体は1字ずつ確認。太さや長さなどを100分の1ミリ単位で細かく修正するほか、漢字とひらがななどを組み合わせた時にどう見えるかもチェックする。

鳥海さん:
「それと日本語って漢字、ひらがな、カタカナ、アルファベットっていう4つの文字体系が組み合わさっているでしょ。

たとえば漢字に対してかなの太さや大きさはどうするんだとか、そういうことがすごく重要になってくるんです。文字は1字だけで使われることってないわけだから、文章として読んだ時に読みやすいかということが大事。 

理想は “水のような、空気のような” 文字。写研にいた頃に上司から聞いて以来、ずっと心に留め、口にしてきた言葉です。要するに自然にすっと目や頭に入ってくるような文字が理想なんです」

毎日何気なく読んでいる本や雑誌、ウェブサイト。それを構成している文字が、こんなにも綿密な準備や作業によって生まれているとは。そう思うと、身のまわりにある文字を見る目も変わってきます。

続く後編では、書体のさらなる奥深さ、そして鳥海さんがこれから作ろうとしている文字などについて聞いていきます。

(つづく)


 【写真】上原朋也



もくじ

第1話(7月17日)
文字を作るってどんな仕事? 本と自然を愛する、書体設計士の鳥海修さんを訪ねました

第2話(7月18日)
自分に正直に。文字を作ることは、生活そのものだと思うんです(書体設計士・鳥海修さん)

鳥海 修(とりのうみ おさむ)

書体設計士。1955年山形県生まれ。ヒラギノシリーズ、こぶりなゴシック、游明朝体・游ゴシック体などベーシックな書体を中心に100書体以上の書体開発に携わる。2002年に第一回佐藤敬之輔賞、05年にグッドデザイン賞、08年に東京TDCタイアップデザイン賞、24年に第58回吉川英治文化賞を受賞。著書に『文字を作る仕事』(晶文社)、『明朝体の教室』(Book&Design)。「松本文字塾」主宰。


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