【店長コラム】自分の可能性という名の「原石」さがし。
店長 佐藤
金曜ロードショーの、その後で。
ひと月ほど前の夜のこと。「金曜ロードショー」でスタジオジブリの名作『耳をすませば』が放送されていました。
数々存在するスタジオジブリ作品のなかでも、わたしはこの『耳をすませば』が一番好きです。
放送中にたまたまTwitterを眺めていたら、同じように「この作品が一番好き!」とつぶやいている人が多かったんですね。
「わたしも好きだよー、同じだよー」と共感しながら、たしかに、近くにいる人たちにも同様の感想を持っている人が多いんだよなぁと思いました。
主人公である月島雫と天沢聖司によって繰り広げられる、思春期ならではのピュアな恋心の描写に、胸が甘酸っぱさでいっぱいになるというのは共通してありそうです。
もれなく中学生の頃に自分がしていた恋愛なんかを思い出してしまうオマケ付きで。
でもこの映画を観るたび、キューっと胸が締めつけられるような思いに駆られるのは、どうもこの甘酸っぱさのせいだけではないような気がしてならないのです。
他人の原石と自分の原石、見つけるのはどっちが難しい?
他人の原石は見つけられるのに、当の本人である自分の原石が見つからない。
そういう自分のなかにある焦りや見て見ぬふりしたい感情を、主人公の雫(しずく)が代弁してくれていることにあるんじゃないかと思いました。
考えてみれば、周りにいる人の良いところや凄いところ、そこから繋がる先の可能性って、まあまあ気づけたり見つけられたりするものですよね。
あの人はあれをやろうとしていてすごい。この人はこんなことができちゃうんだから素敵だよな。そんなふうに。
でも、肝心の自分はというと……自分のなかを見渡してみても「これ!」というポイントが見当たらない、なかなか見えてこないということってあります。
かと言って「自分にも原石があるはず」と信じる気持ちを簡単に手放せないからこそ余計に苦しいんだということを、雫(しずく)は物語のなかで身体を張って教えてくれているようにも感じます。
自分をあきらめないということは、ときに本当に苦しいことかもしれないけれど、あきらめなかった先に、泣きじゃくった後であったかい鍋焼きうどんをすするような瞬間があり、さらにその先に「原石を見つけられた」という瞬間が訪れるのかもしれない。
でも実はさらにその先に、見つかった原石を磨きつづけて、誰かに役立ててもらえるようにするための苦悩だってあるんだと思います。
いろいろ考えはじめるとキリがないように感じるけれど、そのひとつひとつの過程をマジメに味わおう。
『耳をすませば』という映画は、わたしにとって「自分という存在を、マジメに生きよう」「マジメも悪くない」と思わせてくれるパワー源です。
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