【スタッフコラム】幸せよりも満足させてくれるもの。29歳、わたしの解答。
編集スタッフ 齋藤
夏の思い出はいつでも楽しいものばかり。
最近オフィスを出ると、夕暮れの風の中にふと夏の匂いを感じ、懐かしさのようなんともいえない気持ちにとらわれる時があります。
幼い頃より積み上げられた、夏の思い出の数々。
両親に連れて行ってもらった海水浴にて、浜辺で食べたカップラーメンのおいしさや、砂がまとわりついた足の指の間にあった、荒々しい気分にさせる皮膚の乾きの感覚。
当時アイスクリーム屋でアルバイトをしていたので、ひとりで店番をしていた時などは、遊びに来たともだちとこっそりおしゃべりをしたのも懐かしい思い出です。
けれどいつも夏の思い出の中で、わたしは孤独とともにあるのです。
強烈な夏の陽射しでくっきり姿を現した影という存在のように、いままでのわたしの人生で夏と孤独は、分かつことができないもののようです。
幸せになりたいと、思ったことはありますか?
突然ですが、みなさんは「幸せになりたい」と思ったことはありますか?
「幸せになってね」と友人や愛する人に対して願うことは多くあれど、わたし自身は「幸せになりたい」とただの一度も思ったことがないのです。そんな自分の精神を「これでいいのだろうか」と案じた日もありました。
わたしは「幸せ」というものを思うと、ひどく不安になるのです。そのふわふわとした心もとなさや、得体のしれなさ。「楽しい」も「うれしい」もわかるけれど「幸せ」だけはよくわからない。すとんと自分の中に落ちてこない。
「幸せ」というものが世の中で言い尽くされすぎているからか、どうも自分のものとして捉えることができません。
では、わたしを満たしてくれるものとは?
さんざん考えた挙句たどり着いたのは「充実」という答えでした。
「充実」とは、いつでも明るく、甘くとろけるような場面で生まれるものではありません。そこにはきっと緊張があり、苦労があり、でも喜びや楽しさも含まれている。そして要素のひとつには、もしかしたら「幸せ」も入っているかもしれません。
今のところわたしがもっとも信頼し好むことができるのが、この感覚なのです。
孤独とともにあった、充実の時間。
小さい頃から何かに没頭すると周りが見えなくなってしまうわたしにとって、長い休みのある夏は、目一杯ひとりであることを楽しめるチャンスの時間でもありました。
本を読んで絵を描いて服を作ってお風呂につかる。ドライブに連れて行ってもらっても窓を開けてひたすら外を眺めていたし、海に行ってもシュノーケリングに出て長ければ3時間は戻ってこなかった。
そうしたひとりの時間こそが、わたしの充実を生み出していました。
おそらくですが、これまでわたしは自分自身を試し構築してゆく作業の連続の中にいたのだろうと思います。ひとりでできることとできないこと、そして可能性のあることやどんなに悔しかろうが(物理的に)この先もきっと不可能なこと。
けれども最近孤独の中にばかりいることに、一種の居心地の悪さのようなものも感じはじめました。「充実」こそがわたしの求めるものであるとするならば、状態はいくらでも移り変わっていいものです。
29回目の夏とその先をぼんやり想いながら、もしかしたら充実のカタチが変わってゆく時なのかもなぁと、予感めいたものを感じました。
そしてその過程で、「充実」の中にある「幸せ」というものがようやくわたしのものとして、鮮明に浮かび上がる瞬間もあるのかもしれません。
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