【スタッフコラム】環境を変えても、自分は変えられないの?人生の先輩が教えてくれたこと
編集スタッフ 齋藤
新しい環境に身を置くことは、ワクワクする反面、勝手知ったる自分の庭を出るようで、時に不安でひっそり感傷的な気分もわき起こるように思います。
そんなまるでマリッジブルーのような複雑な胸中のまま、数週間前に引っ越しをしました。
不安を振り払うためでもあったのでしょうか。どこかで「新しい環境だ!」「新しい自分だ!」なんて、肩に力が入っていたようです。
環境を変えることで、古い自分の殻をやぶれるのではないかと、期待もしていたのかもしれません。
ところがいざ引っ越してみたら、「新しい自分」なんて、どこにもいないのでした。
環境を変えても、自分は変えられないの?
ダンボールから荷物を出し、一つひとつ並べていけばいくほどに、新居には今までと同様のよく見慣れた風景が出来上がりました。
色使いであったり、家具の質感の合わせ方だったり、はたまたスケール感のようなものなのか、とにかくどこからどう見ても、今までのわたしの部屋でしかない。
その光景を見て、思わずしばしぼうぜんとしてしまいました。町も違う、家も違う、それなのに……。
「一体何になれると思っていたの?」そう問われても答えはないのですが、ただ漠然と、今までとは違った自分になれるような気がしていたようです。
思い出したのは、喫茶店のオーナーの著作でした。
▲本棚がなく、まだまだ片付かない本たち。どこかにおさまる日は来るのでしょうか……。
期待とは裏腹の結果にぼんやりとしてしまい、しばし椅子に腰掛け部屋の様子を瞳に写していたわたしは、「そういえば」と、とある本の存在を思い出しました。
まだまだ整理整頓が行きとどかず、山のように積み重ねた本の中から探し出したのは、以前取材をさせてもらった、喫茶店のオーナーの著作です。
この本のカバーを開くと、彼がわたしにくれた、とある言葉が書かれています。
27歳のあの頃。彼が「未知」という言葉をくれた理由。
それは今から3年ほど前、しくしくと骨にまでしみるようなそっと冷たい雨の日のことでした。東京のとある喫茶店で、著作の出版の記念も兼ね、その方が珈琲を淹れにくるというイベントがあったのです。
彼はもうお店を閉めてしまっていたため、珈琲が飲めるのは、このようなイベントでもない限り叶わなくなってしまっていました。
目的の喫茶店に入りカウンター越しに目が合ったのは、小柄で白髪の、70歳を過ぎたひとりの男性。
ケトルから糸のように細いお湯を落とす仕草、するりと流れるようにコップを拭き並べる仕草、長い年月の中で磨かれた所作は淀みがなくとてもきれいで、喫茶店に入って5分もしないうちに、彼の世界に引き込まれてしまっている自分がいました。
ネルドリップで丁寧に丁寧に時間をかけて淹れられた珈琲は、まるで「人生」というものを表現したかのように、濃くて苦くて、けれどそのすべてを包み込むようなまるい味。
世の中に珈琲は山ほどあれど、どの珈琲とも違う味わいだったのです。
イベントの最後には懇親会のようなものがあり、わたしはそれにも参加しました。そして彼が銀行勤めを辞め、喫茶店をオープンしたのが27歳のときだったと知ったのです。
丁度この日、わたしも27歳の誕生日を迎えていました。その当時、今の仕事をつづけるかどうかすごく悩んでいたこともあり、同じ歳でキャリア変更をしたことに好奇心と親近感の入り混じった気持ちを持ったわたしは、こう尋ねました。
「27歳にもなると、今の仕事をつづけたら自分がどうなっていくのかもある程度わかるような気がしてしまって。
今ある安定を手放して、別の道へ行くのはこわくなかったですか?」と。
そんなわたしの問いかけに、彼はこう答えました。
「君の話でひとつ気になったんだけど、僕はたとえ同じ場所にいようと、中身は変わって行くと思うよ」
たとえ器が変わらなくとも
その言葉の通り、この方は38年もの長い年月を、移店することもなく東京の同じ場所で過ごしました。そしてその中で日々、自分が本当においしいと思える珈琲に到達するために、試行錯誤を重ねたといいます。
珈琲を入れたカップは、おそらく創業当時のもの。金継ぎがされ、年月を感じさせるものでした。
器は変わらない。
けれどその中の珈琲は、一歩一歩、毎日の変化から生み出されたものだったのです。
自分を変えるのは、日々の小さな工夫。そしてその工夫の積み重ねを真摯にしたのならば、数十年経った先で、自分でも思いもよらない変化を遂げているかもしれない。
そんなわたしに彼がくれたのが、将来なんてまだまだわからないよという意味の、「未知」という言葉でした。
少しずつ変わっていければ、それでいい
幼い頃は、10代の頃は、20代前半の頃は、見知らぬ土地に行くだけで、新しい洋服を身にまとうだけで、透明の液体にたらりとカラーインクを垂らすように、簡単に「何者か」になりきれていたように感じます。
けれど年を重ねてみたら、ぐんぐんなんでも吸収できる、という感覚がなくなりました。
そんな自分を、最初はちょっと受け入れがたかったのです。
このままの自分の延長で本当にいいのだろうかという不安。何かを大きく変えてしまいたいという焦燥感。ダイナミックに動いてしまいたいけれど、現実はどうにも重たく、そんな夢みたいには動いてくれない。
でも変化というのは、1日でできるくらいのものを積み重ねていけばいい。それが数十年という長さでみたときには、ドラマティックなものになっている。誰にも真似できないものになっている。
わたしは一杯の珈琲を通し、そんなことを教えてもらいました。
そのときの気持ちを思い出したら、「これでいいのね!」と感じられたのです。そしてふわりと春の風でも吹いたかのように、違った気持ちで部屋を眺められるようになりました。
さて、新居です。
この部屋で毎日コツコツ少しずつ、どんな新しい自分を作り出していこうかと、ワクワクしているところです。
将来はまだ「未知」なのですから。
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