【金曜エッセイ】曖昧(あいまい)って、なんて素敵なんだろう
文筆家 大平一枝
第三十五話:曖昧(あいまい)って、なんて素敵なんだろう
ふすまの文化論が綴られた『ふすま〜文化のランドスケープ』(中公新書)の巻末に、印象深いエッセイが収められている。建築評論家、伊藤ていじさん(2010年没)の「襖越しの美学」という作品だ。
伊藤さんは昭和10年代の青春期、肺結核で実家の座敷に臥せっていた。療養所は5年先までいっぱいで、やむを得ずの選択だったという。感染症なので、ふすまで隔離され、だれも近寄れない。
彼はふすま越しに家族の足音を聞き分け、畳ずれの音で誰が何をしているかがわかったと綴っている。よく、母親が隣室で洗濯物を箪笥にしまいながら話しかけてくれた。ときどき、ふすまを半分だけ開け、「この漆塗りのたんすはあなたにあげましょう」などと見せてくれることもあった。
伊藤さんは見えない母の動きを想像し、その音を聞いているだけで「安心していた」。体調が急変したときは、「すぐ母を呼ぶことができると思うから」だ。そしてこうまとめている。
「私は、襖越しの音だけで母とコミュニケーションをとっていたのである」。
私は、ふすまのことが知りたいというより、日本人の「間(ま)」に対する感覚に興味があり、この本を手にとった。縁側、渡り廊下、障子、すだれ。みな間をつなぐしかけである。とくに、平安時代の寝殿造りから始まるふすまは、取り外せば冠婚葬祭ができるハレの空間に、閉めれば隔離が必要な病人の寝室にもなる日本ならではの建具で、とりわけ興味が募った。同時に、プライバシーを遮(さえぎ)るには、心もとないほどの緩(ゆる)やかさが、私には謎でもあった。
だが、伊藤さんのエッセイを読むと、緩やかだからいいのだとよくわかる。だからこそ、彼には青春時代の母との記憶が残った。顔こそ見えないが、気配や言葉で、たくさんの愛情を受け取っていたのだろう。
厚い壁や遮音性の高い部屋だったら、伊藤さんの母との思い出はもっと少ない。
イエスかノーだけではなく、曖昧やグレーっていいなと思う。黒と白をつなぐ。間を取り持つ。その緩やかさこそ、私達の美質ではないか。
なんでもかんでもかっちり遮断したら、見えなくなるもの、感じられなくなるものがきっとある。正しいか間違っているか、一斉に、だれもがかんたんにネットなどでジャッジを表明しやすい世の中になっているが、時々私はその間に介在している見えそうで見えないものを探りたくなる。たとえば、襖の向こうにいるお母さんの気配のようなことを。
文筆家 大平一枝
長野県生まれ。編集プロダクションを経て、1995年ライターとして独立。『天然生活』『dancyu』『幻冬舎PLUS』等に執筆。近著に『届かなかった手紙』(角川書店)、『男と女の台所』(平凡社)など。朝日新聞デジタル&Wで『東京の台所』連載中。一男(23歳)一女(19歳)の母。
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