【金曜エッセイ】羽田空港の夜空から
文筆家 大平一枝
第三十六話:住まいの取材のミラクルと夜空
年齢と涙腺の弱まりは比例するようだ。
先日の福岡取材からの帰り。羽田上空から東京を見下ろしたときも、じわっときて参った。
この反射的な反応は、十数年間、住まいについて取材や執筆をしてきたことにも大きく関連している。
私は住まいに関するエッセイを毎週11年間ウェブに綴り、次いで人様の台所を訪ね歩く連載が6年目に。海外番外編も含めると、200軒余の住宅を訪問したことになる。
この16年間に、読者から、え、そんな偶然が?と驚くようなメールをいくつかいただいた。
一番驚いたのは、前出のエッセイで自宅の庭写真を掲載したときのことだ。見知らぬ男性から一通のメールがホームページあてに届いた。
「ずっとそうではないかと思いながら拝読していましたが、今日、庭の写真を見て確信しました。私は、あなたが入居するすぐ前に住んでいた者です」
都内に住む男性で、互いに子どもが通う小学校が同じだった。よく考えれば、我が家もそのご一家も、同じの学区の貸家を探していたわけで、合点がいくのだが、当時は家も学校も?と、大変驚いた。
それから2〜3回メールが往復し、庭のどこそこにみょうがが自生しているので探してみてくださいと教えてもらった。本当にあじさいの裏にひっそりと自生していて感激した。香気とエグみが強いそれを、さっそくなめろうにしたことを報告したのを覚えている。
次に驚いたのは、台所の連載を書籍にまとめた本が出て2年ほど経ったころのこと。マンガの女性編集者から、作品をマンガの原作にというお話が来た。お会いしてみると、「弊社の隣の席の若い男性社員が、この本の◯ページに出ているアパートの一室は、以前住んでいた僕の部屋だと言うので、興味を持って読んだ」とのことだった。
仕事の話は流れたが、彼女の「古いけれどとても住みやすく、彼には奥さんとのよい思い出がたくさんある部屋だったそうです」という言葉が印象に残っている。たしかに、コンセントの差込口も風呂のスタイルも古く、駅からも遠かったが、同棲しているカップルがとても仲が良くて幸せそうで、コップに挿した一輪の花さえ喜んで咲いているような、ほっこりと安らぐ空間だった。そうでしたか、その方もいい部屋だったとおっしゃいましたか。
会ったこともないのにこちらまで嬉しくなった。
他にも小さなミラクルはあれこれあるのだが、書き出すとキリがないのでこのへんにしておこう。
私は生活の痕跡が伝わるような古い家が好きだ。それは家族の物語が投影されていて、想像するだけでも楽しいからだと思う。だが、たいして古くなくても、あるいは何の変哲もない普通のアパートであっても、家には住み継いできた人の歴史がしみついている。それを誰かに話すことはないが、たまたま媒体に記したことで、気づく人がいた。この空間は、かつて暮らした自分の人生の大事な1ページである、と。
家という空間を介在にした奇跡みたいな邂逅から、私はそんな、“当たり前の尊さ”を知った。
だから、飛行機で羽田の上空からみえるまばゆい灯りの数々にじわっときてしまうのだ。あの灯りの一つ一つに暮らしの柄があり、その前も、たくさんの人が生活を紡ぎ、それぞれの灯りをともし続けてきたと思うと、もうたまらないのである。無数の人々のなんでもない毎日を、ずっと見守ってきた家々の灯り。
記録されることもない、そんななんでもない刹那の尊さを書き留めたくて、私はこの仕事をしているのだと再確認して、ちょっぴり背筋も伸びる。夜の羽田空港からみおろす街はおしゃべりで、じわっがいっぱいつまっている。
文筆家 大平一枝
長野県生まれ。編集プロダクションを経て、1995年ライターとして独立。『天然生活』『dancyu』『幻冬舎PLUS』等に執筆。近著に『届かなかった手紙』(角川書店)、『男と女の台所』(平凡社)など。朝日新聞デジタル&Wで『東京の台所』連載中。一男(23歳)一女(19歳)の母。
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