【金曜エッセイ】行ってみなければ、わからないことがある
文筆家 大平一枝
第三十九話:映画づくりに学ぶ仕事の流儀
映画のプロデューサーをしている夫は、駆け出しの頃、制作部というところに属していた。現場管理・進行にまつわる雑多な仕事をすべて引き受ける部署だ。そのころ、彼が心血を注いで打ち込んでいたのが、手書きのロケマップづくりである。
映画製作の現場は、常時30人以上が動く。そのほぼすべてが車輌移動だ。主要ロケ場所、一方通行などを記したA4サイズの道路地図には、コンビニや弁当屋、スーパー、公共トイレなど長いロケに必要なものが全て細かく書き加えられている。
若い頃、机にかじりついてそれに何時間も費やす姿を見ながら、内心、買った地図で良いのでは?と、訝(いぶか)しく思っていた。
さらに時を経たいまや、ネットでマップなどいくらでも検索できる。
いまどきの制作部も手で書いているのだろうかと聞くと、答えは「イエス」。パソコンで描く派、手書きコピー派に分かれるが、ないと困る必需品で、地図本のコピーや、ネットのマップではだめだそう。
SFXだVFXだCGだと、映像技術の進歩は著しいが、映画という芸術の原点はやっぱり途方もなくアナログなのだなあとしみじみ思った。手書きロケマップがないと撮影は始まらないのだから。
もうひとつ、映画づくりについて興味深い話を聞いた。ロケ場所を選定することを、ロケーションハンティング、略してロケハンという。監督や主要スタッフを連れて歩くメインロケハンの前に、作品のイメージに合う候補地を探す下準備のロケハンがある。制作部の仕事である後者について、夫は言う。
「最近は、時間や予算がない現場だと、インターネットやグーグルマップで画像を見て、直接足を運ばずに決める例もある。それは絶対にやめるべきだ」
現場に行かなければわからないことが必ずある、と彼は主張する。
「周囲の音、日当たりや沈む時間、奥行き感。足を運べば、近隣の住人の顔まで見えてくる。写真や画像で好印象でも、ロケに向いていない空気感もある。さらに、目的のものを見るだけでなく、行ったら周囲を歩きまわるのも仕事のうちだ。別のシーンで使えそうな景色など、思わぬ出会いがあるかもしれないからだ」
私は取材の下調べで、じつに多くのことをインターネットで検索する。その話を聞いて、物理的にロケハンは無理だがせめて、画面上でわかった気にならないようにしようと強く思った。
どんなに便利な技術が進化しても、足を運んで、体を使って初めてわかること、そこでしか得られないものがたくさんあるのだ。目に見えないところでも、地道に、ていねいに、こつこつと積み上げるものづくりの大切さに、あらためて気付かされた。
いや、ものづくりに限らず、「急がば回れ」のスピリッツはあらゆる場面で活用できるだろう。
独立して25年目に入る。慣れが、妥協や怠慢につながることのないよう、そっと自分を戒めている。
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文筆家 大平一枝
長野県生まれ。編集プロダクションを経て、1995年ライターとして独立。『天然生活』『dancyu』『幻冬舎PLUS』等に執筆。近著に『届かなかった手紙』(角川書店)、『男と女の台所』(平凡社)など。朝日新聞デジタル&Wで『東京の台所』連載中。一男(23歳)一女(19歳)の母。
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