【金曜エッセイ】たった三十一文字から想像する
文筆家 大平一枝
第四十七話:失礼な穴埋め問題
ここのところ、短歌に心惹かれる。
三年ほど前に人からいただいた万葉集の文庫がきっかけだった。たった三一文字に、なんと広くゆたかな感情や心の動きが、自然の移ろいの美しさが、表現されていることか。これが一二〇〇年も前に詠まれたことにまた驚愕である。
それまでは、起伏に富んだ長編小説などが好きだったのに、年令を重ねたからかと思っていたら、ずいぶん年下の本欄担当編集者の津田サンも同じことを言うので、それが理由ではないとわかった。
視覚、聴覚あちこちから情報が過剰にはいってくるこういう時代だからこそ、短いもの、シンプルで余白だらけで少々不足しているようなものに惹かれるのかもしれない。
嘆き、悲しみ、喜び、あはれ。限られた文字から、全想像力を働かせて、詠み手の目に映るものや気持ちを想像する。大げさだが、ときにその世界観は一本の映画にも値する深い人間ドラマのように感じることもある。
万葉集に限らず、現代短歌もまたいい。
そんな雑談を津田サンとしていたら、不意に彼女が言った。
「穴埋めって良くないですよね」
学校のテストで出される短歌や俳句の穴埋め問題のことだ。著名な作品の空欄を埋めるあれ。作品と詠み手を傍線でつなげる問題も、「私は暗記に必死になって、肝心の作品を味わうことなく過ぎちゃいました」。
たしかにと膝を打った。
よく考えたら、たった三一文字で完成する文学の一部を空欄にして、生徒に正しい言葉を当てさせるというのは、作者に対して失礼では。正しい答えを書いたところで、その短歌の本当の良さを理解したことにはならない。
短歌や句がこれほど心の奥深いところに届く趣き深い文学とあのころ知っていたら、もっと真剣に授業を受けたのに、と過ぎた日々の不勉強を誰かのせいにするのは心苦しくもあるけれど。
そもそも津田サンとこの話題になったきっかけは、北欧、暮らしの道具店オリジナル短篇ドラマ『青葉家のテーブル』第二話に出てくる次の短歌である。
『柿ピーの柿とピーナッツの割合であなたと会話したい(自分はピー)』
ああ、わかるわかる。
柿の種の、せんべいとピーナツの丁度いい割合は人ぞれそれ違う。
どうでもいいことだけれど、みな自分の割合は譲れないと思う。わざわざ比率を発表する機会はないが、好きな人、あるいは一緒に暮らす人にならきっと話す。ちなみにわたしは柿が八の、ピーナツが二。一袋を一緒に分ける恋人には知っていてほしい。だって柿が先になくなったら困るもの。それに、ふつうの人にとっては世界一どうでもいいことだけれど、好きな人のことは何でもスペシャルだから、知っておきたいもの。彼の柿ピーの割合さえも。
初々しい恋の始まりを感じる、ぐっと来る一首を作ったのは松本壮史監督ときいて、脱帽するやら羨ましいやら。映像のプロが、短歌まで上手いなんて、ものを書く身としてはちょっと悔しいくらいである。
三一文字の一首で、私達は延々話し続けた。
過剰な芸術より極端に抑えた表現に惹かれるのは、想像力を総動員するから。
同じ理由で、今気になっているのはラジオとサンヤツだ。
新聞の一面に掲載されている出版物の広告欄のことで、三段八割というレイアウトからその通称がついた。各社新聞の顔である一面のデザインを汚さないように、書体の種類や文字数、記号、組み方などたくさんの厳しい制限がある。そこからどんな本か、想像するのが朝の楽しみなのである。
穴埋め問題から話がそれてしまった。さあラジオをつけよう。
※『青葉家のテーブル』第二話はYouTubeでご覧いただけます
文筆家 大平一枝
長野県生まれ。編集プロダクションを経て、1995年ライターとして独立。『天然生活』『dancyu』『幻冬舎PLUS』等に執筆。近著に『届かなかった手紙』(角川書店)、『男と女の台所』(平凡社)など。朝日新聞デジタル&Wで『東京の台所』連載中。一男(23歳)一女(19歳)の母。
大平さんのHP「暮らしの柄」
https://kurashi-no-gara.com
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