【なんでもない日の物語】第2話:旅するオナガガモ

編集スタッフ 寿山

どこか、遠くへ行きたい。

そう思っても、すぐ旅へ出ることは叶わない。寂しさを感じていたとき、大好きな編集者の方が、趣味で観察している野鳥の話をしてくれました。

ごく身近な川べりや公園にいる鳥たちのことを、さも楽しげに語る彼女の言葉は、頭のなかでとりどりの色が散りばめられた絵となって……。やわらかく、心を満たしてくれたのです。

遠くに行かなくても、美しいものはそばにある。そんな希望をくれた野鳥の話がもっと聞きたくて、3羽の物語を綴っていただきました。

第1話のカワセミにつづき、第2話は冬の渡り鳥「カモ」の物語です。

第1話:カワセミと宝石箱

 

 


旅するオナガカモ
文・渡辺尚子


 

数年前、国際線の飛行機に乗ったときのこと。少しうとうとしてから目覚めて、「もうどのあたりまで来たかな」と思いつつ窓から外をのぞいて、息を呑みました。

眼下にシベリアの冬景色が広がっていたのです。

真っ白い雪にふかぶかと覆われているのは、針葉樹の森。その木々の間を、凍てついた河が、蛇のようにうねりながら延びていました。

「ああ、渡り鳥たちは、この寒さをのがれて日本まで飛んでくるのか」と、モノトーンの光景からしばらく目が離せませんでした。

野鳥のなかには、春や秋になると、遠くの国から飛んでくる鳥がいます。

彼らは旅する野鳥、人よんで「渡り鳥」。

新しい季節がやってきたことを人々に教えてくれる、希望の象徴です。

よく知られている渡り鳥といえば、カモ。

彼らは秋になるとシベリアから飛んできて、冬の間ずっと日本で過ごします。

シベリアのあるロシアでは、10月のことを「渡り鳥が故郷に別れを告げる月」と呼ぶそうです。

ロシアの夏は短くて、あっという間に渡りの季節がやってきます。

まだ渡りに慣れていない若いカモだったら、上空の強い風にさらわれるかもしれません。

旅の途中でタカに襲われるものも、ハンターに狙われるものもいるでしょう。

そもそも、翼をせっせと動かして1万5000キロを移動するのです。立派な羽根も飛べば飛ぶほどぼろぼろになっていくでしょうし、目的地に着く頃には命の危険が迫るほど痩せ細っています。

それでもカモは、旅することをやめない。なにかに駆り立てられるように、目指す土地へと飛んでいきます。

そうはいっても、冬の公園で見かけるカモたちは、シベリアから来たとは思えないほどのんびりとして見えます。

池の水面にさざなみを立てながらゆっくりと泳ぎ、時折くちばしを水につけては藻や草の種なんかを食べている。鼻歌でも口ずさむように、クワ、クワクワと鳴きながら水際にやってくるのもいます。

いくつかの種類のカモが、仲良く日向ぼっこしていることもあります。よく見かけるのはカルガモという種類で、群れに混じって餌をついばんでいたりします。カルガモだけは渡りをしないからか、たいていおっとりしていて、ほかのカモに餌を横取りされてもべつだん怒りもせず、のんびりと日向を探しながら池を回遊しています。

どのカモも美しい羽をもっているけれど、とくにおしゃれなのがオナガガモ。チョコレート色をしていた頭も、クチバシの両脇に入った青灰色の線もチャーミング。とくに素敵なのは、お腹の模様。一見、青みがかった灰色一色だけれど、よくよく目をこらすと江戸小紋の着物のように、こまかく白い点々模様が入っているのです。

オスは、針のように長い尻尾をピンと伸ばしています。メスはというと褐色で目立たず、オスより小柄でふっくらとしています。

カレンダーが3月になる頃、まだ人々の吐く息は白く、コートにつっこんだ指先もかじかんでいます。

けれどもオナガガモはもう、飛び立つ準備をしています。近所の池を飛び立ったあと、福島の猪苗代湖や新潟の瓢湖でひとやすみ。

それからおもむろに翼を広げ、目指すは一路、シベリアへ。うるわしい春を迎える、あの森へ!

コブシの白い花が咲く頃には、ほとんどのオナガガモが旅立ち、近所の池もさみしくなってきます。

残っているカモに双眼鏡をかざしてみると、小さくてつやつやとした、ボタンのような目をしています。その目に、これまでどんな景色を写してきたのでしょうか。

私が知らない大地も、私の知らない水辺も、オナガガモはきっと知っています。私が飛行機から見下ろした、けれどもおそらく一生降り立つことのない、あの深い深い森のことも。

渡り鳥は、人間と違う世界を生きています。遠くから来て、遠くへ去っていく、その繰り返し。

その姿を見つめていると、不思議と力がわいてくるのです。力というより、ちいさなともしびが心にともる、といったほうがいいかもしれません。なぜならそれは、とてもささやかなものだから。

たとえば……日常のなかでちょっと勇気のいる選択をするとき、オナガガモが風にのる様子を思い浮かべます。

そうやってえいっと踏み出した最初の一歩が、翼を得たように軽やかなのは、「私にも渡りの季節がきたんだ」と、たしかに感じているから。鳥のほうはもちろん、人間がそんな気持ちを抱いて見つめているなんて、思いもよらないだろうけれど。

 

 

 

渡辺尚子

東京郊外で暮らすライター、編集者。野鳥好きの家に生まれ、手を動かすことと野鳥を見ることが好き。「かつぶし刑事」という名の猫が家にいる。編著に『ちいさないきものと日々のこと』(もりのことブックス)、『糸と針BOOK』(文化出版局)など。「暮しの手帖」で、手にまつわる物語「てと、てと」を連載中。(photo 松本のりこ)

 

ユカワアツコ

主に鳥の絵を描くイラストレーター。バードウォッチングと同じくらい、古い日本画や障壁画に描かれた鳥を見てまわることが好き。ここ数年は古い引出しや木箱の中に野鳥を描くことを続けている。梨木香歩著「冬虫夏草」、松家仁之編「美しい子ども」(共に新潮社)ほか装丁画も手がける。

 

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