【金曜エッセイ】自分の“絶対”を疑うべし、と教えてくれた本

文筆家 大平一枝

 絶対前髪ぱっつんは似合わない。絶対赤は似合わない。あの作家の小説は苦手。このタイプの映画は嫌い。
 ごくたまに経験からくる思い込みがぱらりと剥がれ落ちる瞬間がある。そんなとき、人生の妙味を感じる。いくつになっても、新しい価値観との出会いは興奮する。ときに深い反省をも、もたらされるのだが。

 又吉直樹さんの小説がそうだった。芥川賞、ベストセラー、人気芸人。話題になるトピックスが三つも揃っている時点で敬遠気味に。自分には話題作やベストセラーほど、はなじろんでしまう悪い癖がある。わざわざみんなが読んでいるものを読まなくてもと、天の邪鬼になる。とくに「文壇に新風を舞い込む」などと形容されるような新人作家の純文学には、「本当か?」と懐疑的なスタンスで読むので絶対没頭できない質なのである。

 自分の住む街が舞台になったのでたまたま観た映画『劇場』に魅了され、又吉さんの同名の原作を読んだ。自分の小説年間ベスト3に入るくらい素晴らしい作品だった。次に同氏の『火花』に手を付けた。
「大地を震わす和太鼓の律動に、甲高く鋭い笛の音が重なり響いていた。」という一行目から引き込まれた。冒頭から六行目まで、思わず声に出して読みたくなるほど極めて美しい響きの連なりであった。私にとっては『平家物語』級に唯一無二、日本語表現の深みに酔える、稀有な書き出しである。
 芥川賞から五年後のことだった。どうしてもっと早く……。

 じつはこの後悔、長年敬遠していた人気の鋳物の鍋でも経験済みだ。取材先であまりによく見かけるので、「鍋のメーカーはいっぱいあるのにわざわざそれでなくても」と食わず嫌いをしていた。ところが、長年使っていた別の鍋を娘が空焚きしガラスコーティングが割れたのを機におそるおそる新調してみると、なんとまあ使い勝手のいいことか。
 少ない調味料で、ぐんとおいしく仕上げてくれる。料理が得意でない人ほど、強力な助っ人になってくれそうだ。こんなに働き者なら、もっと早く買っていればよかったと悔いた。

 歳を重ねるにつれ、自分を知ったような気になり「私はこういうタイプ」「あれは向かない」などと決めつけが強まる気がする。
 人も芸術も暮らしの道具も。絶対相容れないと思いこんでいるものに対して、一度くらい疑う余裕や遊び心を持ちたい。とびきりよいものを、間違った“絶対”で、はじいていたらもったいない。
 人生の残り時間が速く目減りしていく大人ほど、絶対の扉を開け放ち、ひとつでも多くの素敵に出会っておきたい。というわけで棚に並ぶ二冊の背表紙は、自分の“絶対”を疑うべしと教えてくれる私にとっては大切な戒めの書でもあるのである。

 

長野県生まれ。編集プロダクションを経て1995年独立。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』(誠文堂新光社)、『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)ほか。『東京の台所』(朝日新聞デジタル&w),『そこに定食屋があるかぎり。』(ケイクス)連載中。一男(24歳)一女(20歳)の母。

大平さんのHP「暮らしの柄」
https://kurashi-no-gara.com

photo:安部まゆみ

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