【レシート、拝見】楽しいところは、なんだかいいにおい
ライター 藤沢あかり
ぽんちゃんの
レシート、拝見
近所のスーパーで、バナナひと房98円、カップ入りのヨーグルト168円。ドラッグストアでちょっといい入浴剤2,178円。なんでもないレシートのように見えるのに、「スポーツの考え方をしちゃうんです」と言われ、ぐいっと前のめりになった。
「スポーツと同じように、仕事でいいパフォーマンスをするためには、どうしたらいいんだろうと考えるんです。そのために、食事はこうしたほうがいいとか、疲れを取るためには何が大事か、とか。
最近パンを食べると午前中の調子が出なくて。だったら小麦を摂るのを減らしてみようと、朝ごはんはバナナとヨーグルト。あとは、どんなに遅く帰っても必ず湯船に浸かるようにしているので、入浴剤なんです」
こう聞くと、ずいぶんストイックな印象を持つかもしれない。けれど実際に会った彼女は、屈託なく笑う明るい人だ。
中学、高校とバスケットボールに明け暮れ、いまは東京・谷中の複合施設「HAGISO(はぎそう)」で、いくつもの飲食店を束ねるマネージャーとして働く、北川瑠奈(きたがわ・るな)さん。周囲はみな、彼女のことをぽんちゃんと呼ぶ。
「お風呂は大事です、好きですねぇお風呂」。そう繰り返すので、それなら銭湯や温泉も好きでしょうと問いかけると、わははと笑って意外な答えが返ってきた。
「それがね、入れないんですよ、温泉」
小さいころ、プールに行くといつも泣いていた。泳ぐのは好きなのに、プールサイドに座るのをどうしても嫌がった、というのは大きくなってから母親から聞いた話だ。
「潔癖症なんです。バスケも、人の汗がちょっとね。なるべくぶつかりたくないから、素早く抜こうと頑張ったおかげで上達したのかも(笑)。
小学校のときの修学旅行や部活の合宿も、みんなとお風呂に入れないんです。じゃあどうするのかというと、1番に入らせてもらう。それなら大丈夫だったんです。『どうしても無理だからお願い!』って、みんなに呼びかけて回っていました」
今も人とのお風呂は苦手なままだし、台湾旅行では屋台メシも食べずに帰ってきた。でも本人はあっけらかんと「克服できないんですよね〜」と笑う。
人の握ったおにぎりも食べられない。そんな彼女は、会社のみんなが集まる機会には、みずからまかない係を買って出る。テーマはいつも、みんなが楽しめるご飯。ケバブに流しそうめん、たこ焼きに、笑っちゃうくらい山盛りのチャーハン。そうやって、喜ぶ顔を想像しながらあれこれ考えるのが大好きなのだという。
飲食の道を選んだのも、人を喜ばせることを仕事にしたいと思ったからだ。
一時はお笑い芸人を目指したものの、テレビの向こう側の見えない人より、目の前の人を喜ばせたいと考えた。それならバスケを活かして日本一おもしろい体育教師になってやる!と大学に進学。
ところが、たまたま始めた居酒屋のアルバイトで、飲食業界のおもしろさに開眼してしまう。
「食べる行為って、大切な人と会ったり、わいわい楽しく集まったり、そういう『場』とつながっていますよね。それなら、食になにかをプラスして人を楽しませる場をつくりたい、それを仕事にしたいと考えるようになりました。これが天職だ!って思っちゃったんです」
思い返せば実家では、日曜日の夕飯は、揃って外食か、家で食べるなら鉄板焼きや手巻き寿司、鍋のようなみんなで囲むメニューと決まっていた。
「思春期のときは、すごく嫌でしたね。パッと食べて自分の部屋に行きたいのに、みんなが揃うまで待たなきゃいけなかったり、誰かによそってもらったり。でも大人になって振り返ると、食事の時間は唯一、無言でもコミュニケーションを取れるありがたいものだったんです」
結局、親に頭を下げて大学を中退。地元にある創作和食の厨房で見習いとして働きながら、現場で料理を覚えた。25歳までに自分の店を持とう。そのために、もっと食を学びたい、もっと広く、もっと深く。
そんなときに出会ったのが、今の会社である。谷中の古い木造アパートを、設計事務所と美容室、カフェを掛け合わせた複合施設として再建させた様子を知り、すぐさまオーナー夫妻に向けて手紙を書いた。
「大学を中退したのも、転職したのも、全部直感です。カフェと設計事務所や美容室が一緒になるなんて、なにそれ、おもしろそう!って。
昔は、悩んで考えて、学んで判断するのが正しいと思っていましたが、それでうまくいかないことも経験しました。それよりも、『なんかいいかも』という直感を信じてみた今の道が、間違っていなかったと思えます。そんなに先のことは難しく考えずに、おもしろそう、という素直な感覚だけは大事にしたいんです」
この2年、飲食業界は大打撃を受けた。ぽんちゃんの職場も、例外ではない。
「あまり先のことを考えすぎても、一瞬で世の中がひっくり返ってしまうんだ、ということが改めてわかった機会でもありました。だったら、明日のもう一歩先、つまりあさってとか、友達の友達とか、そのくらいの未来や距離感の範囲を、まずは大切にしていけばいいんじゃないかと考えるようになったんです。
それに気づいてから、すごくラクになりました。あさってくらい、隣の隣の人のことくらいまでを考えて一生懸命生きていたら楽しいし、きっと大丈夫」
苦手なことを無理に克服するよりも、それも自分だと受け入れる。明日、あさって、隣りの隣り、自分の手の届く範囲を大切にしながら、楽しそうなほうへ、いいにおいのする方へ。直感を頼りに生きる彼女を動物のようだというと、ちょっと語弊があるだろうか。
道に迷ったら、見えるものや聞こえる音、においや味、手触りという五感を研ぎ澄ます。そしてときには第六感を信じてみるのも悪くない。おいしいにおいがする場所には、楽しいことが待っている。
つい、先のことを想像しては心配ばかりして、頭でっかちになりがちなわたしは、ぽんちゃんの生き方がうらやましくてたまらないのだ。
ぽんちゃん(北川瑠奈)
東京・谷中の築60年を超える木造住宅を再生した複合施設「HAGISO」飲食部門マネージャー。食を通じて、人と暮らしと街をより良くするお手伝いをしている。特技は餅つきとBBQ。
ライター 藤沢あかり
編集者、ライター。衣食住を中心に、暮らしに根ざした取材やインタビューの編集・執筆を手がける。「わかりやすい言葉で、わたしにしか書けない視点を伝えること」がモットー。趣味は手紙を書くこと。
写真家 長田朋子
北海道生まれ。多摩美術大学卒業。スタジオ勤務を経て、村田昇氏に師事。2009年に独立。
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