【レシート、拝見】チャリンコ漕いで、花買って。好きに囲まれたこの場所で
ライター 藤沢あかり
石井啓一さんの
レシート、拝見
駐輪場のレシートが多いんですね。そう切り出すと「実は2年前まで、いまより13キロ太っていまして」と思わぬ方向から話が始まった。
「痩せたら動くのが楽しくなってきて、自転車にも乗るようになりました。ここを起点に、基本はチャリンコ移動です。それで、このレシートというわけ」
「teto ceramics(テト・セラミックス)」を主宰する陶芸家の石井啓一さん。友人と訪れた占いでも「食べ物の神様がついている」と言われたほどの、おいしいもの好き。けれど体の不調がいくつか重なり、医者にもダイエットを勧められたことで一念発起、ボクササイズを始めた。以来週3回、自転車で恵比寿のジムに通う日々だ。
おいしそうなごはん屋さんのレシートと同じくらい多かったのが、花屋のレシート。聞けば池坊でいけばなを2年間学んだこともあるらしい。自宅用に買うのはもちろんのこと、機会があれば友人にも積極的に花を贈るという。
「ちょうどうつわの展示をしていた店で、誕生日の贈り物としてドライフラワーのブーケを作ってもらいました。男性がお花を贈るって、まだまだ珍しいじゃないですか。だから、あえて。ドライなら、相手の家に花瓶があるかどうか悩むこともないし、そのまま飾ってもらえます。
うつわという仕事柄、お花屋さんとご一緒することも多いんです。それに、友人やお世話になっている方のお店で経済を回したい、お金を使うならできるだけそういう場所で、というのもありますね」
そんな花屋のレシートのなかには、独立以来13年にわたり、毎年個展を開いている店もある。
「神楽坂にあるこのお花屋さんは、唯一売り込みをしたくらい大好きなお店。学生の頃にアルバイトをしていたカフェのご近所さんだったんです。お店のオープンも同時期で、よくカフェに飾るお花を買いに行きました。
お店に顔を出すたびに、陶芸家を目指しているから、いつかここで個展やらせてくださいね、なんて言っていたのが現実になり、それから毎年お世話になっています。独立したての若い時期からずっと一緒に過ごしてきた感じです」
石井さんが陶芸を進路に定めたのは、高校生のとき。1976年生まれの彼にとって、学生時代は雑貨とカフェの黄金期だった。
「地元・千葉の高校に通いながら、放課後は制服で代官山や原宿に行って。代官山にGAZEBOというカフェがあったんです。そこと、隣にあるZAPADY DOOっていう雑貨屋さんが、もう大好きで大好きで。その一角に立つだけでしあわせだし、完璧!って思っていました」
表参道の同潤会アパートや代官山のヒルサイド、ラフォーレ原宿のFOB COOP(フォブコープ)。石井さんの口から、雑誌「オリーブ」に名を連ねた懐かしい言葉が次々に飛び出してくる。
「いまも大好きなZAKKA(ザッカ)というお店があります。高校生のときに、そこで初めて井山三希子さんのうつわを買ったんです。こんな作家さんたちがいるんだ、こういう仕事があるんだ、と知ったのはそのときでした」
アーティストを目指して美大に進もうと決めたものの、絵画は芽が出るのが難しいかもしれない。デザインは歳を取ってからも続けていく人が少ないと聞く。陶芸は、おじいさんになっても作り続けられるはずだ。作品でありながら道具でもあるうつわなら、きっと手に取ってもらえるだろう。さらには個人名ではなく工房として、後継者を育てながらやっていけたら、自分の体力が衰えたときにも引き継いでいけるかもしれない。
人生のギリギリまで働けるように。切実に、堅実に将来を見据えての選択だった。ところが。
「でも僕、実は一度、陶芸を辞めているんですよ」
18歳から陶芸を学んだ場所は群馬の山のなか。おばあちゃんのような陶芸家の先生に技術を教わる毎日は、代官山や原宿で過ごした日に比べると少々退屈にも思えた。
「そのころ、東京に舞台をよく見に行っていました。すごく刺激的で、舞台美術もやってみたいと思うようになったんです。結局、陶芸を2年でやめて、舞台美術に進路を変えました」
舞台美術は、大道具の世界でもある。一方で、アルバイト先のカフェではアンティークや作家もののうつわを並べ、その空間に合わせて花を飾ったり、コーディネートを考えたり。テーブルの上に広がる小さな世界は、雑貨好きの原点そのものだった。
そして気づいた。陶芸のほうが好きなことに近いじゃないか。やっぱり、うつわで生きていこう。再び心に決めた思いは、いまもずっと続いている。
石井さんのアトリエは、目黒川に面した古いビルの一室にある。
時代物の木製の棚には、たくさんの作品が並び、古道具をリメイクした照明の横にぶら下がるのは、ブロカントな風情のバケツ。まるで小さなアンティークショップのようなこの空間は、石井さんがこれまでに拾い集めてきた好きなもの、大切なものを連ねて形にしたようにも見える。
「ガラクタみたいだけど、かわいいんですよ。ほら、この古い板はどこかの製陶所で使われていたのかな。なんの道具かもわからないけれど、なんとなくかわいくて」
自分のことを「オリーブおじさん」と話す石井さんが、あれこれ指差しながら教えてくれる。
好きなものがあるって、なんて強いんだろうと思う。大人になるにつれ、わたしたちは変わっていくけれど、実のところ新しい経験や価値観をどんどん増やしていっているにすぎないのかもしれない。花を一輪ずつ足しながら、それぞれが「いまの自分」という花束をつくっている。
だから花束の中には、あのころの自分がいる。学生時代にときめいたもの、かつて好きだったものが変わらずちゃんとある。
そしてそれは知らず知らずのうちに自分の真ん中を支えていたり、ひょっこり顔を出して灯火のように温めてくれたりするのだ。
石井啓一(いしい・けいいち)
陶芸家。2004年に千葉で築窯、その後2011年より東京・目黒にてアトリエ兼陶芸教室「teto ceramic room」を開く。「料理はおなかを満たすもの、手作りの器はこころを満たすもの」をモットーに作陶活動を続けている。2022年8月11日〜東京・田原町「itonowa life」にて個展、8月17日〜東京・伊勢丹新宿店「新宿0丁目商店街」に出展予定。http://teto-net.com Instagram:@ishii_teto_ceramics
ライター 藤沢あかり
編集者、ライター。衣食住を中心に、暮らしに根ざした取材やインタビューの編集・執筆を手がける。「わかりやすい言葉で、わたしにしか書けない視点を伝えること」がモットー。趣味は手紙を書くこと。
写真家 長田朋子
北海道生まれ。多摩美術大学卒業。スタジオ勤務を経て、村田昇氏に師事。2009年に独立。
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