【読書日記|本から顔をあげると、夜が】第七回:タイムトラベラー、或いは運命の人
穂村 弘
X月X日
テレビを点けたら、大林宣彦監督の「時をかける少女」をやっていた。何度も見た映画なのに、画面に目が吸い寄せられてしまう。そこには十五歳の原田知世がいる。凄い美人というわけではなく、特別に演技がうまいわけでもない。むしろ、すべてが素人っぽい。でも、そんなことは問題にならない。
「私、わからないわ。この気持ちは、いったい何? 胸が苦しいわ。わからないわ。これは、愛なの? これは、愛するってこと?」
「それは……、やがてわかる時が来るよ」
「だって、もう時間がないわ! どうして時間は過ぎてゆくの?」
たどたどしい言葉の中に、圧倒的な輝きがある。「どうして時間は過ぎてゆくの?」という問いかけが、胸に突き刺さる。
そして、この後にくるラストシーンは、知っているけど、やばかった。万人の心の奥に眠っているであろう何かを刺激する。
X月X日
原田知世にショックを受けて、思わず、筒井康隆による原作を数十年ぶりに再読してしまった。
ただ、ラベンダーのにおいが、やわらかく和子のからだをとりまく時、かの女はいつもこう思うのだ。
──いつか、だれかすばらしい人物が、わたしの前にあらわれるような気がする。その人は、わたしを知っている。そしてわたしも、その人を知っているのだ……。
どんな人なのか、いつあらわれるのか、それは知らない。でも、きっと会えるのだ。そのすばらしい人に……いつか……どこかで……。
「時をかける少女」
これだよなあ、と思う。「万人の心の奥に眠っているであろう何か」、それはいわゆる恋愛の枠を超えた運命的な出会いへの憧れだ。あの映画のラストシーンには、この感覚が見事に可視化されていた。それから、あれ? と思う。似た感覚を他のところでも見た気がする。
思い出したのは、こんな短歌である。
名も知らぬ小鳥来りて歌ふ時我もまだ見ぬ人の恋しき
三ヶ島葭子
三ヶ島葭子は1886年生まれ。だが、「まだ見ぬ人」が、だからこそ恋しい、という感覚は百年後の「時をかける少女」と共通している。「ラベンダーのにおい」とか「名も知らぬ小鳥」の「歌」ってところがまたいい。それらは遙かな予感の別名なんだろう。
X月X日
タイムトラベルと運命の出会いという組み合わせは、ひどく切ない傑作を生むことがある。時間操作という概念が、その夢を可視化させる装置として機能するからだろうか。「時をかける少女」の他にも、例えば「たんぽぽ娘」(ロバート・F・ヤング、伊藤典夫訳)がある。一作だけが突出して有名な作家がいるけど、ロバート・F・ヤングもそうかもしれない。この短編には、それだけの特別感がある。
「ここへはよく来るんですか?」
「ええ、しょっちゅう。ここはわたしのいちばん好きな時空座標なんですもの。何時間も立って、もう、ただ、うっとり見とれていたりして。おとといは兎を見たわ、きのうは鹿、今日はあなた」
「たんぽぽ娘」
運命の人との出会いの物語として有名な本作を知ったのは、少年時代に読んだ『年刊SF傑作選2』(ジュディス・メリル編)においてだった。目利きの編者による先鋭的なアンソロジーの中に、突然、あまりにもロマンチックな愛の物語が入っていて驚いた。その本では井上一夫訳だったが、今改めて読んでも、抗い難い魅力を感じる。
「あした──あした、また来てくれるね?」
彼女は長いあいだ見つめていた。夏の夕立の名残りにも似たほのかな霧が流れすぎ、青い瞳をきらりとかがやかせた。「タイムマシンは消耗が激しいんです。入れ替えたほうがいい部品がいくつもあるんだけど──やり方知らないんです。わたしたちのマシンもあと一回旅行できるくらい。でも、それも怪しいわ」
「しかし、来る努力はしてみてくれるね?」
ジュリーはうなずいた。「ええ、やってみるわ。それから、ランドルフさん?」
「なんだい、ジュリー?」
「もし来られなかったときのために──思い出のために──いっておきます。あなたを愛しています」
そのときには彼女は走りだしていた。丘をかろやかに駆けおり、一瞬のちにはサトウカエデの林のなかに姿を消した。
「たんぽぽ娘」
ぎゃー。だが、ここから物語はさらに信じがたい展開を見せるのだ。
X月X日
インターネット上のオークションを眺めているうちに、昔の江ノ電の切符が欲しくなってしまった。これまでにも、オークションや古書店や蚤の市などで、南満州鉄道の特急あじあ号の切符、飛行船ツェッペリン号の絵葉書、超音速旅客機コンコルド号の機内メニュー、向ヶ丘遊園のモノレールのパンフレットなどを買った。ポイントは、いずれも既に存在しない幻の乗り物ってところだ。満州という国は消滅しているから、南満州鉄道も特急あじあ号ももちろんあるはずがない。向ヶ丘遊園も2002年に遊園地そのものがなくなっている。
でも、江ノ電はまだある。乗ろうと思えば乗れる。だから、わざわざ切符を買わなくてもいい。そう思って我慢していたのだが、不思議なことに気づいてしまった。記載されている駅名が現在のそれとは違うのだ。例えば、終点の鎌倉駅は大正の初めまで小町駅だったらしい。鎌倉駅は現存しても小町駅はもうない。幻の駅だ。そう思った瞬間に、欲しくなってしまったのだ。調べてみると、昭和初期には海水浴客のための臨時駅というものもあったらしい。夏だけの駅なんて、ときめくなあ。その切符も入手したい。
物欲そのものは加齢とともに減っているのだが、別世界の幻を集めたい気持ちだけはむしろ強まっている。乗り物関連以外にも、浅草十二階や吉原の花魁や百貨店屋上の遊園地やシマウマ水着や衛生博覧会や曲馬団や男装の麗人川島芳子についての資料を買う。
この習性って、なんなんだろう。失われた過去や遙かな未来といった別世界ばかりに心を奪われて、現在の実生活への意識はまったく疎かというか、邪魔すんなくらいに思っている。私自身は今ここにしか生きていないのに。いったいどういうつもりなのか。たくさんの幻たちに囲まれて、何がしたいのか。自分でもわからない。「地上とは思い出ならずや」と云った稲垣足穂に訊いてみたくなる。
1962年北海道生まれ。歌人。1990年歌集『シンジケート』でデビュー。詩歌、評論、エッセイ、絵本、翻訳など幅広いジャンルで活躍中。著書に『本当はちがうんだ日記』『世界音痴』『君がいない夜のごはん』他。
1981年神奈川県生まれ。東京造形大学卒。千葉県在住。35歳の時、グラフィックデザイナーから写真家へ転身。日常や旅先で写真撮影をする傍ら、雑誌や広告などの撮影を行う。
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