【最終話|金曜エッセイ】5年前の私と今と、きっと少し違っている
文筆家 大平一枝
『お打ち合わせは、対面でもオンラインでも、ご都合の良いほうをお知らせください』と、メールで聞かれるようになって久しい。とくに初対面で仕事をする場合や、新しい企画の始まりの際に、編集者からそう尋ねられる。
効率や感染対策に対する考え方はみな違うので、まずはこちらの考え方を尊重しようという気遣いからの打診である。
最近はその前後に、さりげなく「できましたら対面を希望しますが」と添えられていることが増えた。
コロナ禍に見舞われた直後はオンラインだったが、しばらくすると画面上では細かなニュアンスがつたわりきらず、アイデアを出し合うようなしょっぱなの打ち合わせには物足りないと気づき、私はできるだけ対面をお願いするようになった。編集者の多くも、同じ心もちのようだ。
過日、新刊のことで隅田川沿いのカフェで打ち合わせをした。編集者と装丁家と私の3人で、気づいたら3時間近い。
後半、アイデアに詰まって全員無言になった。「うーん」。窓ごしに川面を眺める。オンラインと違って、視線があちこちに飛び、思考にすきまができる。
私はあらためて今回の本への想いを話した。何を伝えたいか。どうしてそう思うのか。すると、装丁家の目がパッと輝いた。
「そうか。それをいいたかったんですね。うんうん、わかったぞ。今、全部がすとんと腑に落ちました」
編集者は、にこにこと私と装丁家を見守る。
かくしてコンセプトがガチッと固まり、3人がわずかなブレもなく志を共有できたのを感じた。
冷めてしまった紅茶をすすりながら私はしみじみつぶやいた。
「やっぱり、顔を見て話すって大事ですよね」
ふたりはうんうんとうなずく。装丁家が言った。
「僕の仕事は、極端に言うと会わなくてもできます。メールのやり取りだけで一冊デザインできちゃう。でも、会って打ち合わせして作ったものと、会わないで作ったものでは絶対デザインが変わると思うんです」
心の深いところの想いを受け止めて仕事をするのと、そこまで聞くタイミングがないまま進めるのとではどうしても結果が違ってしまうというわけだ。さらに彼は続ける。
「仏像は彫ろうと思えば誰でも彫れるけれど、魂を込めて掘らなければただの人形になってしまうのと同じです」
*
2017年から丸5年。『あ、それ忘れてました(汗)』を、ほぼ隔週で綴ってきた。そう、ひどい言い方をすると、魂を込めなくても紙幅は埋められる。なんとなく耳あたりのいい言葉を並べても体裁は整う。でも、一行でも読んだ人には、必ずわかってしまう。既視感のあるフレーズ、どっかで聞いたような話、予定調和のまとめ方。手抜きかどうか。人形か仏像か。
お話をいただいたとき、これは自分の書く姿勢が問われる仕事だと思った。つまらなければ指先一つで画面を飛ばされてしまうし、手を抜いたものは瞬時に伝わる。
気軽に読めるメディアだからこそ、おびただしい情報の中から選び取って拙文に時間を投じてくれた読者に責任を持たなければならない。読んで良かったなと思ってもらえるギフトを心に届けなければ。北欧、暮らしの道具店のスタッフも編集者も同じ気持ちでものづくりと向き合い、文字を紡いでいる。
魂を込めて書かなければ、と背筋を伸ばして引き受けた。
暮らしについてのテーマは、誰でも気軽に書ける分誰も気づいていない視点や価値観、言葉にできない感情をすくいとるのがじつは難しい。これで届いたかな、理解してもらえるかな、誰かひとりでも役に立ってくれたら嬉しいな……。
試行錯誤をしながら書き進めた5年間、読者のおたよりが支えになった。編集部から転送されるそれらはすべて読ませていただいた。
書いてまもなく、どこかの誰かの心を動かすことができたと知れるのは大変嬉しかった。
連載タイトル『あ、それ忘れてました(汗)』は、大切なことだけどそれ忘れかけていたよね、素敵なもの・コト・価値観だよねと気づくような、身近な宝物を見直しましょうというところから命名した。(汗)は、うっかり屋でいくつになっても落ち着きがなく、忘れっぽい私の気質を表したもの。上から、「あれって大切な習慣ですよ」「これは忘れてはいけません」と言うのは向いていない。
読者のみなさんが隣にいて、語りかけるようなつもりで書いた。ねえねえ、こんな言葉を聞いたんだけど素敵じゃない?なんて。
前述の装丁家がいうように、5年前の私と今と、きっと少し違っていると思う。この連載のおかげで、日々の忘れがちな美しいもの、すてきなコトに敏感になった。感じ取る感性を育ててもらった。
世の中も人生も、しんどいことはたくさんあるけれど、それ以上に当たり前のように流れていく日々はかけがえのない輝きに満ちていると気づけた。
あらためて、長く愛してくださった読者の皆さんにお礼を申し上げたい。
また新たに魅力的な企画を準備中で、ちかぢか別の形でこの場でお目にかかれそうだ。魂を込めて仏像を彫るべくまだまだ修業は続くが、それまでしばらくの間、ごきげんよう。ご愛読、ありがとうございました。
長野県生まれ。編集プロダクションを経て1995年独立。著書に『東京の台所』『男と女の台所』『もう、ビニール傘は買わない。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』(誠文堂新光社)、『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)ほか。最新刊は『ただしい暮らし、なんてなかった。』(平凡社)。一男(26歳)一女(22歳)の母。
大平さんのHP「暮らしの柄」
https://kurashi-no-gara.com
photo:安部まゆみ
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