【57577の宝箱】地の果ては存在しない まん丸の星に住んでる私たちには
文筆家 土門蘭
車を買ってから1年が過ぎた。
大げさかもしれないけれど、自分の人生は「車購入前」と「車購入後」で転換しているのではないかと思うほど、車に乗るようになってから生活や考え方が変わった。本当に買って良かった、と運転するたびしみじみ思っている。
一番変わったのは、よく出かけるようになったことだ。
車を買う前までは、休日もほとんど家で過ごしていて、出かけるとしても近所の公園やスーパーくらいだった。子供が二人いるので、「彼らをどこかに連れていかなくてはいけない」「楽しませてあげないといけない」とプレッシャーを感じては、でもなかなか良いアイデアが浮かばず、同じような場所にばかり出かけていた。
それが今はどうだろう。休みが来るたびに、自ら「どこに出かけようか」とウキウキ予定を立てている。電車やバスに乗るのも良いけれど、車は半プライベートな空間で人に気を遣わないですむから、心持ちが楽なのだと思う。インドアなまま外に出かけられる、とでも言うのだろうか。カーライフは、意外にもインドア派な自分に合っていた。
とはいえ、ずっと近場で過ごしていたため、お出かけスポットなどまったく知らない。それでこの間、関西のドライブ雑誌を購入して読んでみた。ひどい方向音痴なので、地図を見てもよくわからないのだが、Googleマップで検索すると「車で約50分」などと経路を教えてくれる。私はそれを見るたびに、「どこにでも行けちゃうなぁ」と喜びを感じる。
「お母さん、次はどこに行く?」
すっかりドライブ好きになった息子たちが尋ねてくる。私は雑誌をめくりながら、
「どこがいいかよくわからないから、ここに載っている場所、全部行こう」
と答える。
これも、変化した部分だなと思う。今までは、せっかく行くなら楽しい場所がいいと思い、あれこれと調べていたものだけど、今はあんまり調べない。車で移動すること、新しい場所に行くこと自体が、とても楽しいのだ。「わかんないし、とりあえず行ってみよう」が、できるようになってきた。
私の中の地図はまだまっさらだから、どこにでも行ける。
今の私はそんな感じだ。
§
少し前のことになるけれど、夏休みに北海道へ行ってきた。
父の故郷は北海道なのだけど、実家が空港からかなり遠い交通の不便な場所にあり、父は車が運転できないので、10年近くお墓参りに行けていなかった。今年は私が運転するから、空港の近くでレンタカーを借りて一緒にお墓参りに行こうと、父を誘って行くことにしたのだ。
うちの家族4人と父、それから大きな荷物。となると、ちょっと大きめの車を借りなくてはいけない。選んだのは、トヨタのシエンタ。普段はそれよりもずいぶん小さな車に乗っているのでドキドキしたけれど、乗ってみるとすぐに慣れて、私たちは北海道の道を走り始めた。
「2時間くらいかかるから、どこかで休憩しようか」
そう言うと、後ろから「はーい」と子供と父の声がする。嬉しそうにお菓子を食べたり、ジュースを飲んだりしている。
私はその光景をバックミラー越しに眺めながら、なぜだか急に
「大人になったなぁ」
と思った。
北海道の実家へは、子供の頃、父に時々連れられてやってきた。
飛行機や電車や親戚の車を乗り継いで行くその場所は、私にとってはすごく遠い場所で、一人では二度と行けないような気がする、幻のようなところだった。
だけど今は、自分で運転してその場所へと向かっている。幻でもなんでもなく、道路を走っていけば到着する場所。急に父方の実家が近しいもののように感じて、そういう意味で「大人になったなぁ」と思った。その気になれば、どこへでも行ける。それは大人の特権のように思う。
§
父の実家は、日本海に面した場所にある。
真っ青な海が見えてきた時、私たちは車の中で歓声をあげた。窓を大きく開けて外に目をやると、その先に風車がいくつも見えてきた。
「お母さん、見て! 風車!」
初めて風車を見る長男が声をあげる。背が高くすらりとした白い風車は、海からの風を受けて優雅にクルクルと回っていた。
私はその瞬間、昔同じ景色を見たのを思い出した。おそらく、親戚のおじさんの車の中で見たのだろう。あの時は、なんだかそれがとても怖いもののように感じていた。ここがどこなのかよくわからない。ここで降ろされたら、私は二度と家に帰れない。そんなことを思って怯えていたのを覚えている。
「本当だ、綺麗!」
私は、当時の自分を励ますようにそう言った。晴れた夏空に、真っ青な海、真っ白な風車。遠い幻のようになんとなく恐れていた場所は、とても美しく気持ちの良い場所なのだと、自分で自分をここに連れてくることで再確認できた。
「いいところだね」
と、運転席で誰にともなくつぶやく。きっと、世界にはもっとたくさんの「いいところ」があるんだろう。
もう行けないと思っていた場所、地図上でしか見たことのない場所、自分とは縁がないように感じていた場所。これからはそんなところへ果敢に出かけていきたい。自分はどこにでも行けるのだと確認したい。そのために私は、車に乗っているのだと思う。
“ 地の果ては存在しないまん丸の星に住んでる私たちには ”
1985年広島生まれ。文筆家。京都在住。小説、短歌、エッセイなどの文芸作品や、インタビュー記事を執筆する。著書に歌画集『100年後あなたもわたしもいない日に』、インタビュー集『経営者の孤独。』、小説『戦争と五人の女』がある。
1981年神奈川県生まれ。東京造形大学卒。千葉県在住。35歳の時、グラフィックデザイナーから写真家へ転身。日常や旅先で写真撮影をする傍ら、雑誌や広告などの撮影を行う。
私たちの日々には、どんな言葉が溢れているでしょう。美しい景色をそっとカメラにおさめるように。ハッとする言葉を手帳に書き留めるように。この連載で「大切な言葉」に出会えたら、それをスマホのスクリーンショットに残してみませんか。
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