【手のひらに哲学を】第三話:「問い」の見つけかた。日々のモヤモヤにこそ、哲学の種がある
編集スタッフ 松田
「水中の哲学者たち」の著者、哲学者の永井玲衣(ながい れい)さん。
永井さんは、哲学はすべてのひとに関係するし、すべてのことにかかわることができて、重要でないと思われているものも、哲学対話では考えることができる、といいます。
あなたのすぐそばに美しい哲学は眠っているんですと、読み手に静かに呼びかけてくれているような永井さんの瑞々しくてのびのびとした言葉が印象的で、永井さんの考える「哲学」、そして「哲学対話」についてもっと知りたいと、お会いしてきました。
全三話でお届けしている最終話です。
わたしの「問い」は、どこからやってくる?
永井さんの哲学対話はいつも、対話のテーマとなる「問い」を参加する人たちから集めることから始まります。
その問いは高尚である必要はなく、日々のふとした瞬間の「なんで?」と自然に疑問に思ってしまったところから、見つかるのだといいます。
今回インタビューをするにあたって、事前にクラシコムのスタッフからも問いを集めてみたいと話したところ、永井さんがスタッフ宛にこんなお手紙を書いてくださいました。
日常の疑問、不思議、もやもやしていること、よく考えるとなぜだろう?と思えること、そんなことを言葉にしてみるのが「問い」です。
何か「いい」問いを無理に考える必要はありません。あなたがふだん、不思議だなあと思ったり、おかしいぞと怒ったり、なんだか言葉にならないけどもやもやしたりしていることを、ぜひ教えてください。そしてそれを「みんな」で考えてみようとするのが哲学対話です。
こんな「問い」じゃつまらないかもなあ、と思ったとしても、みんなと考えれば、意外と新しい道がひらけたりもするものです。「生きるとは」というような、いかにも「テツガク」な問いも大事ですが、「いま・ここ」に生きる「わたし」が、なんでだろうと思っている「手のひらサイズの哲学」をぜひ大切にしてください。
わたしがいろんな場所に哲学対話をしにいくと、たとえばこんな問いが出てきます。
・わかっているのに、なぜできないんだろう?
・なんで寒い冬なのに、アイスが食べたくなっちゃうんだろう?
・友だちの人生を生きられないのはなぜ?
・なんでひとは独り言を言うんだろう?
・正しい幸せってあるのかな?
・なんで「いい日記」を書きたいって思っちゃうんだろう?
・正しくないことって悪いことなのかな?
・なんでひとは見栄を張るんだろう?
・なんでここが好きなのに、どこかへ行きたいって思うんだろう?
・将来の夢って持たなきゃだめ?
・わたしってなんで「わたし」なんだろう?
などなど。なかなか「問い」は出てこないかもしれませんが、焦る必要はありません。自分の感情が大きく動いたとき、ひとは「問い」を持ちやすくなります。最近イライラしたこと、かなしかったこと、うれしかったこと、そんなことを思い出してみると、問いが出てくるかもしれません。もしよければ、なぜあなたがその「問い」に気づいたのか、理由や背景も教えてくださるとうれしいです。
永井 玲衣
そこに哲学の種があるじゃん!という瞬間がたまらない
さっそくスタッフからは、さまざまな問いが集まりました。一部を紹介すると、
・大人とこどもの違いってなんだろう?大人ってどういうことなのだろう?
・「わたし」のままで「お母さん」でいるってムリなのかな?
・どうして子どもにイライラしてしまうのか。どうして子どもに期待してしまうのか
・このまま幸せはつづくのか、自分だけが幸せでいいのだろうか?と不安に感じるのはどうして?
・なぜ性格や性質を変えたくても変えられないのか
・どうして一人で食べるごはんよりも友達や家族で食べるご飯の方が美味しく感じられるの?
などなど。そして、「見当違いな問いになっていたらすみません」「お悩み相談みたいですみません!」と書き添えるスタッフも。
永井さん:
「“ただの愚痴のような、お悩み相談みたいになってごめんなさい” と謙遜して、自分の問いを小さくされてしまう方は、これまでにもたくさんいらっしゃいました。
でも、これは哲学ではなく個人の悩みなのかもしれない、と思われがちなモヤモヤにこそ、いやいや、そこに哲学の種、めちゃめちゃ埋まっているじゃん!と思うんです。それを発見する瞬間がすごく楽しい。
たとえば、この『自分だけが幸せでいいのだろうか』というのも、すごく偉大な問い。これは何千年も哲学者たちが考えてきてもまだ答えがわからない、しぶとい問いですよ」
その悩みを「問い」にしてみる
永井さん:
「お子さんがいらっしゃる方の、『どうしてイライラしちゃうんだろう』とか『わたしのままでお母さんでいるってできないのか』も、すごく切実な問いですよね。学校のPTAの場などでも対話をしたことがあるのですが、お母さんってめちゃくちゃ哲学者だし、こんなに毎日問いに溢れている人たちはいないんじゃないかと感じました。
それなのに、自分は哲学対話には参加してはいけないと思ってしまう方も多くて。日々のモヤモヤやままならない感情、それ自体を持ってしまってはいけないことだと、これは哲学の問いではなく “悩み” なんだと隠してしまう。そうやって悩みにしてしまうと、個人だけのものになって、それはあなたの内面の問題だから、というように苦しい方向に向かってしまいます。
だけれど悩みではなく“問い” にしたら、みんなのものにできる。みんなで背負える。解決はできないかもしれないけれど、道筋や光をみることはできる。それで、楽になることもあるかもしれない」
あなたのモヤモヤが、意味がないわけがない
永井さん:
「以前、哲学対話の場で『しつけられるのが自分は嫌だったのに、親になって子どもにしつけをしてしまう。すみません、こんな話をして』と、涙を流しながら話してくださる方がいました。
それで、しつけとは何かという、すごく大切な問いを、参加者みんなで背負ったんです。まるでお神輿のように、ひとつの問いをわっしょいわっしょいと担いで、じっくり時間をかけて考えて対話をしました。そして対話を終えて、それぞれの日常に戻っていった。そんな体験をするだけでも何か変わるのかもしれないなと思うんです」
永井さん:
「『職場が合わなくて毎日が本当に辛い』と泣いてお話された方が対話のあとに、“世界にこういう場もあるのかと思えた” とおっしゃっていたのが心に残っていて。それで万事よかった、すべて解決した、という話では決してないのですが、こういう場もあるんだと希望を持ってもらえる対話の場がもっと増えたらいいと願っています。
でもそれは、わたしがファシリテーターをしている哲学対話に参加しなくても、どこか遠い場所に出掛けなくても、どこでも誰でも哲学はできるし、哲学対話もできる。いますぐ始められるよ、ということも伝えたい。
わたしはよく、手のひらサイズの哲学、という言葉を使います。それは、日々の小さなモヤモヤから始めようよ、そのモヤモヤを悩みというのではなくて、問いと呼ぼう。みんなで考えるとすごく面白いし、あなたのモヤモヤが意味のないモヤモヤなわけなくない?と伝えたかったから。『自分は、実はこんな風に感じていたんだ』、そう気がついたとき、きっと見える景色が変わります。
肩書きとか立場とか関係なく、どんなひとも、ふと問いが訪れる瞬間はあるはず。自分の声に耳を傾けて、それを見つけてみてほしい。そして、どんな問いにも、哲学の種はたしかに埋まっていて、育っていて。いつかはわからないけれど、また何かの別の問いと繋がって、伝えてくれる。だから考え続けることを、諦めないでいたいなと思うんです」
*****
告白をすると、クラシコムのスタッフから問いを集めたとき、わたし自身は、ほんのひとつも問いが思い浮かびませんでした。
それは日々起きる物事に対して、「これは当たり前のことだから考えてもしょうがない」「この違和感は、そんなに大したものじゃない」と目を背け、よく見ていなかったからなのかもしれません。
取るに足らない、と忘れていた些細な感情を、まずはこの手のひらにのせて、眺めてみる。それがたとえ小さくて消えそうな粒のようなものだとしても、それは間違いなくわたしの哲学の種なのだから、そっとやさしく育ててみたい。永井さんにお話を伺って、いまそんなふうに思っています。
(おわり)
【写真】井手勇貴
もくじ
永井 玲衣(ながい れい)
哲学者。1991年、東京都生まれ。学校・企業・寺社・美術館・自治体などで哲学対話を幅広く行っている。哲学エッセイの連載のほか、坂本龍一・ASIAN KUNG-FU GENERATIONの後藤正文、主催のムーブメント「D2021」などでも活動。著書に晶文社『水中の哲学者たち』。詩と植物園と念入りな散歩が好き
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