【連載|朝、いろいろ】第五回:おはよう、はちみつ、いちにのさん

石田 千

 この夏、いちばんうれしいのは、早起きができるようになった。
 4年まえに、血管の病気がみつかった。長いおつきおあいになるけれど、いまのところは、薬をのめば、日々かわりなく過ごせる。ほんとうに、ありがたい。
 ただひとつだけ残念なのは、目が覚めても、ぼんやりとして、ふとんから起きあがるのがつらくなった。
 毎朝5時に起きて、6時半には、ラジオ体操。20代でひとり暮らしをはじめてからつづけていたことが、きゅうに、とおいむかしのようになった。さびしかった。
 そうして、ねぼすけをつづけて4年。ことしの春ごろから、だんだんと、からだが薬に慣れてきたと感じる。外出できる機会もだんだん増えて、母に、友だちに会うこともかなった。こころ励まされることがふえて、だんだん元気がもどってきていた。
 それでも、早起きとラジオ体操には、たどりつかない。
 ところが、このあいだ、なまくらな朝から卒業しなくてはいけないことが起きた。

 
 朝食を終えると、食後の運動に寝床をととのえる。ベランダの扉をあけて、枕をぽんぽんたたいて、干す。それから、シーツをのばして、かけぶとんをなおし、枕をもどして、ベッドカバーをかけた。
 扉をしめて、お皿を洗いに、流しに立つ。すると、しめてきた扉に、くろい虫がいる。
 いやだなあ、蠅がはいっちゃった。
 ふたたび扉に近づこうとして、息をのんだ。はいっていたのは、蠅ではなく、おおきな蜂だった。どうしよう、一大事。
 病気のわかるすこしまえ、神社でスズメバチに刺された。お医者は、つぎに刺されたら、救急車を呼ぶようにとおっしゃった。いらい、夏になるたび、くれぐれも気をつけていた。
 そういえば、ベランダのオリーブの花が咲いていた。オリヅルランも、つぼみがついていた。ことしは、季節の進みがはやいと思っていた。それなのに、油断してしまった。
 ガラス扉の反対がわには、二重のカーテンをたばねている。
 決死の覚悟、そろりそろり、カーテンの裾をつかんで蜂のほうにひっぱり、扉をあけた。
 蜂はおどろいて、カーテンに飛びうつる。すかさず、カーテンと、つかんだ手だけをベランダに出して扉をしめ、ぶんぶんと布束を振りつづけた。
 お父さん、おねがい、助けてください、ずっと念じていた。
 そうして、願いは通じ、蜂の飛んでいくすがたを、みとめた。こわかった、あぶなかった。助かった。お父さん、ありがとうございました。
 けれど、ここで安心してはいけない。蜂は、とても賢い。いやなことをされた場所を、かならず覚えている。

 
 やっぱり、その夕方、ガラスごしに蜂がいた。こちらを見て、しばしその場にとどまって、飛んでいった。ごめんね。声をかけてみた。ことばが、伝わりますように。こころから願った。
 蜂の襲来したのは、10時ごろだった。
 この世は、いろんな生きものが自由に生きている。蜂も、飛ばねばならないときに、飛ぶのが、あたりまえ。都合をかえられるほうが、工夫すればいいだけのことだった。  
 なにより、このときのこわさを思えば、家事時間の変更など、なんともない。
 まず、起床を1時間、早めた。いままで、どんなにがんばっても、6時半をすぎていたのに、翌朝から、ぱちっと5時半になった。
 そうして、着がえをしたら、すぐに寝床をととのえる。そのあとで、朝食にする。それでも、万全に。枕を干したら、扉をしめる。とりこんで、すぐしめる。換気は、網戸のついているほうの小窓をあけておくことにした。そこも、蜂が入るすきまがないか、しっかり点検した。
 変更してみると、身じたくをして、寝床もすっきり。整った部屋になって、6時半。
 ねぼすけになってから、ちがう番組にしていた。ラジオのボタンを押すと、なつかしい歌が流れてきた。
 あーたーらしーい朝がきた。
 いっしょに歌うと、声はほそく、かすれた。のどの筋肉もおちたんだなあ。
 第1、第2、10分間。息があがったけど、すっきりした。あたらしい朝が、もどってきた。うれしくて、朝から涙ぐんだ。
 わざわい転じて、いちにのさん。ひとまず、蜂のいるあいだは、ラジオ体操がつづけられる。
 しっかり動いたあとの、朝食も、またうれしい。
 トーストに、黄金いろの蜂蜜を、たっぷり塗って、かじる。

 


作家・石田千。1968年福島県生まれ、東京育ち。2001年「大踏切書店のこと」により第一回古本小説大賞受賞。16年、『家へ』(講談社)にて第三回鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞。『窓辺のこと』(港の人)、『バスを待って』(小学館)、『箸もてば』(筑摩書房)など著書多数。

 

写真家・齋藤圭吾。1971年東京都生まれ。雑誌や書籍、広告、CDジャケットなど様々なメディアで活動。主な仕事に『針と溝 stylus & groove』(本の雑誌社)、『melt saito keigo』(TACHIBANA FUMIO PRO.)、『記憶のスパイス』(アノニマスタジオ)、『高山なおみの料理』(角川書店)、『自炊。何にしようか』(朝日新聞出版)、『ボタニカ問答帖』(京阪神エルマガジン)などがある。

Instagram:@keigo.saito

 

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