【クラシック探訪】前編:5人5色、ホテルの何でも屋さん。箱根・富士屋ホテルの「営繕さん」を訪ねました
編集スタッフ 藤波
たった数年の間にもぐんぐん変わる世の中で、今自分の見ている風景もまた手の届かないところに行ってしまうのかもしれないと、寂しくなることがあります。
でもだからこそ、「ずっとそこにある」と思える歴史ある存在に出合うと、自然と心惹かれるのかもしれません。
箱根・宮ノ下にある富士屋ホテルは、1878年に開業したクラシックホテル。どっしりとした構えと、細部まで遊び心のある装飾の数々。一歩踏み入れると不思議と凛とした気持ちになれて、私自身その特別な魅力に惹かれる一人です。
ある時、そんな富士屋ホテルに「営繕(えいぜん)さん」と呼ばれる施設の修繕と維持管理を専門に担う方々がいることを知りました。
少しずつ形を変えながらも建物がそこに在り続けるということは、大切に手入れしてきた人たちがいるということ。
それにハッと気がついたら、どんな方たちがどんな思いで仕事をしているのか興味が湧いてきました。
気持ちのいい秋晴れの日。少しだけ緊張しながら営繕さんたちに会いに行き、時が止まったように美しい館内を巡りながらお話を聞きました。
5人5色の「営繕さん」
▲右後方から時計回りに、左官の脇坂さん、庭園担当の南場さん、大工の栗林さんと山本さん、課長の赤木さん
「営繕さん」の由来は、ホテルの歴史史料にも記載のある「営繕課」という部署の名前から。
現在は施設管理課という名称に変わっているものの、今でもホテルスタッフからは親しみを込めて「営繕さん」と呼ばれています。
写真は、取材中に課長の赤木さんの一声でホテル中から集まってくれた営繕チームの皆さん。それぞれに大工や左官、造園など専門があります。
赤木さん:
「普段は各自の持ち場にいますが、人数が必要な仕事はチームで力を合わせてやることもあります。
年齢もさまざまですが、助け合いながら和やかな雰囲気でやっていますよ」
物腰柔らかにそう話す赤木さんと一緒に、早速館内を巡ってみます。
営繕=ホテルの何でも屋さん?
まず案内してくれたのは、旧御用邸でもある菊華荘という日本料理のレストランです。
赤木さん:
「この敷地内、営繕の仕事は本当にどこにでもあるんですよ。
もちろん外部の業者さんも入っていますが、何かが壊れた時や足りない時、とりあえずうちに依頼が来ます。
何よりすぐに対応できますからね。ホテル内に営繕がいる大きな意味の一つだと思います」
「この看板も作りました」菊華荘の入り口にかかっていた立派な看板も赤木さんが手がけたものだそうで、思わず「え、これもですか?」と声が漏れました。
赤木さん:
「富士屋ホテルは2020年夏まで約2年間、全館改修工事のために休館していて、その時は新しく看板や棚なんかを作って欲しいという依頼がひっきりなしに来ていました。
リニューアルオープン後は定期的なメンテナンス業務に加えて、例えば客室のカーテンが外れたとか、浴場のサウナの備品の破損だったり、ホテルに起こる小さな不具合の対応もしています。
言ってみれば『何でも屋さん』のような立ち位置かもしれませんね」
やることはずっとある。仕事は楽しいです
小さな不具合の対応以外にも、敷地内の建築物のメンテナンスも大切な仕事の一つです。
菊華荘の日本庭園では、大工の山本さんと栗林さんが橋の修繕をしていました。
山本さん:
「橋は雨ざらしだからね、木の板は3、4年しかもたないんです。傷んだところにハイヒールのお客さんがつまずいたら危ないから、全部張り替えるんですよ。
それが終わったらこの朱塗りの欄干も塗り替えるから、全部で1週間くらいかかるかなあ。
今年はこれだけだけど、10年に一度くらいで全体的に作り替えます。歴代の人たちがずっとそうしてきたんです」
山本さん:
「元々ずっと地元で大工をやっていたんだけど、ある時仕事がなくなっちゃって、知り合いの紹介でこのホテルに来たんです。
それからもう16年くらいかな。大工自体は15歳からやってるからもう50年以上になるけど、ここでの仕事は楽しいよ。
大工仕事だけじゃなくて、新年を迎える前にはこの敷地内の全部の池の掃除をやったりね。一年を通してやることがずっとあるんだよ」
大ベテランの山本さんから出た「仕事は楽しい」という言葉。シンプルだけど胸に残ります。
栗林さんは昨年入社したばかり、営繕チームのホープです。
栗林さん:
「私は工業高校の建築科で建物の構造の勉強をしていました。昔から手を動かすことが好きで、特に木造に興味があったので大工さんになりたいと思って。
営繕のことはたまたまテレビで知ったのですが、新しく作るだけではなく、直して繰り返し使えるようにするところにすごく惹かれたんです。
働く中で色々な経験をさせてもらています。師匠(山本さん)に教わり初めて身についた技術もあって、毎日が勉強三昧ですね。
研修の一環でホテルの接客も経験して、従業員としてどういう目線でお客さんを見たらいいのかも考えるようになりました」
技術だけではなく、ホテルの従業員としての姿勢も学んでいるという栗林さん。営繕さんのあり方のヒントかもしれません。
映画の世界みたいな建物に圧倒された一人です
続いて、ホテルから車ですぐのところにある作業場に連れて行ってもらいました。
赤木さん:
「自分は農業高校出身で、入社当時は温室担当だったんです。富士屋ホテルのことは全然知りませんでしたが、たまたま見学に来てみたら映画の世界みたいな建物に圧倒されて、温室だけじゃなく広い庭もあるしここで働いてみようかなあと。
それで植物の世話をしていたのですが、2年目くらいに当時の営繕の親方に声をかけられて、手伝っているうちに気がついたらこっちに転向していました。
ホテル中から依頼が来るから、色んな場所をみられるのが楽しくて。元々手を動かすのが好きだったこともあり、10年ほど親方に師事して技術を身につけました」
椅子一つ直すのにも、まずはこびりついた古い糊を丁寧に剥がしてから。
板材を締め付ける道具であるハタガネを使ってしっかり固定し、接着剤だけで直す方法も前の親方から学んだそうです。
赤木さん:
「乾かす時間を入れたら数日はかかります。釘を打って直したら早いのかもしれないけど、見た目もお客さんに楽しんでもらいたいのでなるべく使いません。
逆に表に釘を打つ必要がある場面では『釘も化粧のうち』と何度も言われました。綺麗に等間隔で釘を打つのも魅せるところだぞって。
マニュアルのようなものは何もないけれど、自然と親方のやり方が身についているのかもしれませんね」
秘伝のスープを、時代に合わせて継ぎ足すように
▲食堂棟。メインダイニングルーム・ザ・フジヤに続く廊下の欄干も長年営繕で手入れしているもの
菊華荘の橋以外にも、歴代の営繕さんによって繋がれてきたものは敷地内の至るところにあります。
庭園を登った先に佇む趣のある水車。赤木さんたちの代になってから、大工の山本さんを中心に作成したものです。
赤木さん:
「モノクロ写真の時代からこの場所にはずっと水車があるようですが、木製で常に水に触れているので7、8年で腐ってしまいます。その度に造り替えてきました。
ベニヤに型をとり、十二角形を少しずつ組み立てる技術を持った山本さんがいたからできたもの。
大きさは同じでも、形は前の水車とは少し違っています。手に入る素材も時代によって違うので、同じものを造ることにこだわるのではなく、その時に合ったやり方で続けています」
▲ホテルの正面看板は赤木さんの前の親方の作品。リニューアルオープンを前に、赤木さんが柱などを補強したそうです。
これまで、伝統を守るということはすなわち変わってはいけないことのように思っていました。
館内にある歴史的な建物や調度品を、秘伝のスープを継ぎ足すみたいに大切に繋いでいくのに変わりはないけれど。時代に合った柔軟さがあるからこそ、無理なく続けていけるのかもしれません。
様々な背景でここに来た、緩やかな空気が流れる営繕さんたち。しっかり繋がれてきた技術と、個人に委ねられた自由さのバランスが印象的でした。
後編も引き続き館内を巡りながらお話を伺います。お楽しみに。
(つづく)
【写真】土田凌
もくじ
富士屋ホテル 施設管理課
ホテルの施設を管理・維持している部署。定期的なメンテナンス業務に加えて、何か不具合が発生した際には迅速に対応し、改善を行うことが主な役割。大工や左官、造園などを専門とするメンバーから成る。
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