【ことばの海で泳ぐ】後編:心の根っこを信じてみたら、ほんとうに言いたかった言葉が見つかる
編集スタッフ 藤波
日々当たり前にできているようで実は難しい、自分の気持ちを言葉にすること。
SNSでの発信や編集の仕事に漠然ともどかしさを感じていたときに出合った歌集『肌に流れる透明な気持ち』には、みずみずしい言葉によってたった31文字とは思えない様々な感情が綴られていました。
やっぱり言葉って面白い、そんな気持ちを呼び起こしてくれた歌人・伊藤紺(いとう こん)さんに、自分の気持ちを言葉にするヒントをもらいたくてお話を伺っています。
前編から読む
ふだんの自分と書く自分の距離は、
東京から名古屋までくらい
普段、伊藤さんはどんなタイミングで短歌を制作されているのでしょうか?
伊藤さん:
「なるべく毎日、まとまった時間机に向かうようにしています。短歌を書かない期間がちょっと空くと、しばらく書けなくなるんですよね」
どれくらい書けなくなるのですか?
伊藤さん:
「3日ですね。3日くらい机に向かっていると、一つくらいはいい歌ができてきます。短歌を書かずにふつうに生きているときの心と、短歌にできるほどの『本当の感情』がある心の奥に辿り着くまでにそのくらいの距離があるのかなって。
3日というと、徒歩で東京から名古屋くらい。ずいぶん遠いです」
普通に生きている自分と、書く自分。その距離のことは考えたことがありませんでした。
伊藤さん:
「やっぱりそれくらい、普通に生きていると不純物が溜まっていくというか、簡単に本当の気持ちから離れていってしまうものだと思うんですよね。
人との会話で本心ではないことを言ったり、面白くないのに笑ったり。なんとなく買った安いものをずっと使っているとかもそう。
安くても気に入っているならもちろん問題ないのですが、そうではなくて、本当は必要ではないと分かっているのに便利だからなんとなく使っているようなこと。それがわたしにとっての不純物です」
なるほど、伊藤さんの場合はその不純物を時間をかけて取り除くことで自分の本当の気持ちを言葉にできるんですね。
伊藤さん:
「そうですね、でもだからと言ってずっと短歌を書けるような厳格な心の状態でいるのがいいかと言われたらそれは違います。
たとえば愛想笑いはわたしにとっては不純物の一つだけれど、もしできなかったら生きていくこと自体すごく困難になってしまいそうです。
むしろ不純物ありきの自分が普通というか、心を壊さずに自分を保つには必ず必要なものなので、決して悪いだけではないと感じています」
楽しい、切ない。そのままでいい
すごく静かな時期からすごく楽しい時期に入る 忘れないだろう雪の匂い
『気がする朝』
伊藤さん:
「わたしの短歌は難しい言葉や普段の会話であまり使わない言葉はそんなに出てきません。『楽しい』とか『切ない』とか『静か』とかおんなじ言葉が何度も出てきて、比喩も少ないほうかなと。
それは、言葉の原体験が詩や小説など本ではなく、歌の歌詞などであることも関係しているかもしれません。
たくさんの言葉を巧みに使って、言葉の意味やイメージで何かを詳細に言い表そうとはしていなくて、『楽しい』『切ない』『静か』を多用しても、その使い方によってあたらしいものを表現できると思っています」
伊藤さんにとっての「いい短歌」とはどんなものでしょう?
伊藤さん:
「いい歌、難しいですね。あえて言うとしたら、言葉の意味と音、リズムがそれ以上ない形で噛み合っていること、そしてそれが自分にとって切実な何かであることです。
自分にとって嘘がないか、本当かどうかがすごく大事で。
もしかしたら、それを客観的に判断できる心の状態を保つために、無意識のうちに普通に生きている自分と書く自分に距離を作っているのかもしれませんね」
心の根っこに目を向ける鍛錬
アパートにひとり暮らしたその日々が残した胸のうつくしい根よ
『気がする朝』
話したらほどけゆく蔦わたしたち根っこの先で手を繋いでる
『満ちる腕』
少し話が逸れますが、伊藤さんの歌でいいなと思うものに「根」という単語が入っているんです。これはどんな意味で使っているのでしょうか。
伊藤さん:
「そうですね、普通に植物の『根』として使っていますが、葉は光を浴びて、からっとしていたりするけれど、根っこって土の中で湿っていて形も不恰好で、でもすごく深く広く強く張っているもので、栄養を取り込んでいて……。
決して華やかではないけど力強く、源っぽいイメージです。『性根』とか『根ざす』とか『根気』とか、そういう言葉の印象も関わっていると思います。
学生時代、毎日日記を書いてて。ふだんは愛想笑いもするし、社交辞令も言うけど、その中では嘘を書かないと決めていました。自分の本当の気持ちとか意見がわからなくなるのが多分嫌なんだと思います。
そういう意味できっと『根』は大事にしている部分なのかな」
伊藤さん:
「本当にちょっとした変化ですが、短歌を始めた日から日記の文体が少し変わっていたんですよね。
本心が掴めてきているというか、揺れがすこし少なくなっていて。自分本体に近づいている気がしました。短歌と出合ってすぐなので本当に不思議ですが、短歌のかたちを通して、自分の心の像が掴めてきたのだと思います。
普段考えずに出てくるノリの言葉、とっさの愚痴は、自分の心から出てきたけど、本心ではないケースがある。そこに気付けたのは、短歌のおかげかもしれません」
もう一つ気になっていたのが、その本心の部分をさらけ出すというか、世に出すことに怖さはないのかなということです。
もし私が飾り立てない自分の気持ちを言葉にしてそれを公開するとなったら、人にどう思われるだろうかという不安が付きまといそうで。
伊藤さん:
「その気持ちはすごく分かります。何気なく発信した内容で嬉しくない解釈をされてしまったら悲しいので、わたしもSNSとかはとても慎重派です。
だけど作品に関しては、世に出すことを怖いと思ったことは一度もないんですよね。
作品は自分の心と言葉が究極まで近くなったものだから、これをよく思ってくれない人とはどう頑張っても分かりあうことができないだろうと逆に割り切ることができるんだと思います」
突然大成功ってことはないと思うから。
お話を伺っていて、伊藤さんの歌から感じる芯の強さみたいなものがだいぶ見えてきた気がします。
ワークショップに伺ったときに自分の気持ちをありのまま受け止めてもらえたような感じがしてすごく嬉しかったのですが、それができるのも日頃からご自身の感情を見つめているからなのでしょうか?
伊藤さん:
「わー、本当ですか。そう思ってもらえたとしたら、それもある種の鍛錬の成果かもしれませんね。
短歌には『評』の文化があって、相手が書いたものをなるべく好意的に、自分にできる一番おもしろい解釈で読む必要があるので、それがアイデアやテキストのおもしろい部分、気になる部分を探す力に生きているのだと思います」
伊藤さん:
「今の話で思い出したことが。すごく話上手な友人がいるのですが、その子は自分のネタ帳を作って家で喋る練習をして、しかもそれを録音して聞いているそうなんですよ。
それを知ったとき、なんだかすごく励まされたんですよね。話すことに関してあの子は選ばれし者、わたしはそうでない者と勝手に線引きしていたけれど、裏ではそんなふうに努力していたんだ、と。
やっぱり何事も突然大成功ってことはないんだな、きっとみんな裏では努力とも思わぬ努力をしているんだろうなと気がついた出来事でした」
伊藤さん:
「そこまで直接的な努力じゃなくても、積み重ねていたことがたまたま何かの鍛錬になっていたっていうこともありますよね。
学生時代はまさか自分が歌人になるなんて思いもしなかったけれど、あの頃毎日書いていた日記が知らず知らずのうちに自分の気持ちに向き合う練習になっていたんじゃない?と言ってくれた方がいて、確かにと思いました。
やりたいことを素直にやり続けていれば、どこか成長している部分があるんだと信じていたいですね」
***
私からするとまぶしいほどの言葉のプロである伊藤さんも、知らず知らずの積み重ねを経て今がある……当たり前のことに気がついたとき、何かがほぐれていくようでした。
この難しさと向き合い続けて、その中でも感じる言葉の豊かさや面白さにしっかり目を向けていくこと。それだけだって、十分自分の言葉を見つける練習なのかもしれません。
心の根っこを見つめることを諦めなければ、いつかは言葉の海を上手に泳げるはず。そう信じていたいと思います。
【写真】土田凌
もくじ
伊藤紺
歌人。1993年東京都生まれ。著書に歌集『気がする朝』(ナナロク社)、『肌に流れる透明な気持ち』、『満ちる腕』(ともに短歌研究社)など。デザイナー・脇田あすかとの展示作品『Relay』ほか、NEWoMan新宿での特別展示、俳優・上白石萌歌の写真展『かぜとわたしはうつろう』への短歌提供など活躍の場を広げる。
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