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【連載｜ひとはパンのみにて】第四回：良い靴は良い山に連れ出してくれる

みなさんこんにちは。安達茉莉子と申します。自他ともに認めるお買い物好きの私ですが、このたび買い物にまつわるエッセイの連載が始まることになりました。私は買い物とは、「出合うこと」だと思っています。みなさんの日々に、良き出合いがありますように。

安達茉莉子

第四回　良い靴は良い山に連れ出してくれる

　最近、私を生かした買い物はなんだっただろう。ポコンと頭に浮かんだのが、登山靴だ。

　一昨年、ハイキングの帰りに、トレッキングシューズの底がバコッと外れた。もう十年以上前に適当に買った靴で、すっかり劣化していたみたいだった。

　登山靴。ないならないで困らない。運動が苦手で、駅の階段すらエスカレーターを選ぶ私だが、やたらと自然の中に入っていきたがる習性がある。ちょっとした森くらいなら、防水の運動靴でも行けないこともない。

「ないならないで……」と、購入を先延ばしにしていたが、やっぱり登山靴は私にとって必要なものだった。

　そう思ったのは、先日、登山にまつわる文章を読んで、無性に山に行きたくなったからだ。山に登る不安とドキドキ、目にするもの、交わす会話、そんな山の愉しみが綴られていて、読み終わった頃には、私も山に行きたくなっていた。

　だけど靴がない。舞踏会に行く靴がないみたいに、山に行ける靴がない。その文章を書いた方に連絡すると、快く相談に乗ってくれた。

「登山靴は、できれば登山の専門店で、お店の人に初心者向けで、ハイカットの靴を相談してみてください」

　ハイカットは、足首までをカバーするもので、山では絶大な力を発揮するという。登山靴はとにかく試着してみないとわからないですよとアドバイスをもらって、横浜の「好日山荘」に行ってみた。

　平日夜の店内には、会社帰りの人たちがちらほらといた。年齢も性別も体型も様々だが、皆どこか目つきが違う。その日はゴールデンウィーク前で、皆、山の準備をしに来たのだろうか。一様に、みなぎっている。

　店員さんに、登山靴を探しているんですがと相談してみた。よく日焼けして、しっかりした立ち姿。槍ヶ岳にいつも登っている知人は、山に登る人を「山をやる人」と呼ぶ。それでいうといかにも「山をやっている」店員さんは、明らかに山をやっていない私に、ひとつひとつ親切に応対してくれた。

「その靴で、どんなことがしたいですか？　どんな山に登りたいですか？」

　咄嗟に口から「ゆくゆくは富士山も登りたいです」と出た。え、そうなの。初めて知った自分の願いに驚く。いつも駅の階段すら使わないじゃん。そんな素振り、全然なかったけど……。

　足のサイズを測って、何足か靴を試す。履き方も教えてくれた。かかとで合わせて、つま先付近の紐はしっかりと。店内を歩いてみて、履き心地と見た目が一番しっくり来たものを買うことにした。

「山に行く前に、履いて歩いてよく慣らしてくださいね」

　なるほど。靴があればすぐ登れるわけじゃない。準備期間がいる。だからやっぱり、今日、お店に来て正解だったのだ。先延ばしにしていたら、きっといつまでも「ないならないで困らない」のままだっただろう。

　さらに店員さんは続けた。

「靴の方にも、どんな人が履くのか、どんな歩き方をするのか知ってもらう必要があります」

　靴にも自分を知ってもらう。そんな考え方があるのか。この、専門店の店員さんの言葉にハッとする感覚は、自転車にどハマりして恐る恐るロードバイクの専門店に行った時にも感じた。「道具（ギア）」を買っている。知識がないと使いこなせないものを、経験豊富な人に教えてもらいながら、ひとつひとつ自分の相棒として選んでいく。それだけで、もう新しい世界に踏み出している。

　会計の際に、店員さんがグッと両手を握って、「たくさんこの靴で歩きましょうね！」と言ってくれた。はい！と、恥ずかしいくらい良い返事をしてしまったと思う。まっすぐ励まされて、うれしかったのだ。

　新しい登山靴で、最初に向かったのは、奥多摩の鳩ノ巣渓谷だった。
「山じゃなくて谷じゃん」と言われそうだが、緑に包まれて碧い渓谷を見ながら歩く感覚は、山の愉しみに満ちていた。

　山は意外と、体力がない人向けだという。小さな段差に足をかけて、自分のペースで登っていけばいい。一歩一歩、ゆっくりと。登山靴は、新しい世界に連れ出してくれる。心の向く方へ。その最初の一歩が、この少し汚れた新しい登山靴なのだ。

東京外国語大学英語専攻卒業、防衛省勤務、篠山の限界集落での生活、イギリスの大学院留学などを経て、言葉と絵を用いた作品の制作・発表を始める。『私の生活改善運動 THIS IS MY LIFE』（三輪舎）、『毛布 – あなたをくるんでくれるもの』（玄光社）、『世界に放りこまれた』（ignition gallery）、『らせんの日々 ― 作家、福祉に出会う』（ぼくみん出版会）などの著書がある。

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