【スタッフコラム】「習うより慣れろ」が大事なときと、そうでないとき?人が何かを学ぶときのことを考えた。
編集スタッフ 田中
▲稽古でつかったお茶碗。復習のために撮っておきました。
人が何かを「学ぶ」とき、それはきっと尊くて大事な時間
わたしが四年前から通っている茶道教室で起こった出来事が、「学ぶこと」を考えるきっかけをくれました。4月がもうすぐ終わろうとしています。この一ヶ月、新しいことづくめの方もきっといらっしゃるでしょう。
どんなことを感じているんだろう?と思いをめぐらせています。
「習うより慣れろ」が大事なときと、そうでないとき?
▲「喝」と書いてあって、思わずパチリ……掛け軸の言葉にハッとしました。
先日、稽古仲間にこんなことを聞かれました。
Aさん
「なかなか手順が覚えられません。すぐに先生に指摘されてしまう……基本の本に書いてあったことと違うときもある。どうやって覚えたんですか?」
習い始めた頃を思い返すと、Aさんと全く同じ状況で、通うことすら辟易していた時期がありました。自分がお点前をする前に先輩にしてもらって、それを食い入るように見て、頭にイメージを描いてから実践しても先生に『違う』と言われたことも。
お菓子の食べ方から、お茶碗の持ち方まで一挙一動を直されて、帰る頃にはぐったり。
でも、あることを思い出したんです!
田中
「わたしも最初はAさんと同じでしたよ。だけど、あるとき何も頭で考えなくても、ササ〜っとできた日があったんです。先生も何も言わない、あれ?できてる!って驚いて。手順の本で予習復習も大事だけど、あのとき必要だったのは時間だったのかも」
「習うより慣れろ」という諺があります。おおざっぱにいうと、人や本から教わるよりも、自身で練習や経験を積んで覚えていくことですよね。まさにこれが起こったときだったのかもしれません。身体で覚えて蓄積していったことが、自然とできるようになっていたようです。
反対に、この諺がすべてではないとも思います。
人が何かを「学ぶ」とき、体系的に、順番に覚えていかないと理解しづらいこともあるからマニュアルや基本も必要です。
何度も繰り返して身体が覚えることと、頭で考えて納得しながら学んでいくことと両方あるんだなあと。
自分がだれかの「学び」に立ち会うとき。
クラシコムにもまた、入社予定のスタッフたちが数人。だれかの「学び」に立ち会うのは、なにも担当する先輩スタッフだけではありません。
わたしはどう接したらいいだろうか?と考えます。
以前は、「先輩らしくしなきゃ!」「しっかりミスのないように、隅々まで伝えなくちゃ!」という姿勢でいました。
けれど、わたしが言葉で教えられることには限りがあり、どれが正しくてどれが間違っているのかなんて、状況によっては逆転してしまうことだってある。
だったら、「正直でいよう」ということにフォーカスしているのが最近です。教える側にも知らないことはあって、実は教えるってことは、教わるってことでもあるよなあ……と思うこともたくさん。一緒に考えて学んでいけるのは、とても尊くて大事な時間なんだとやっとわかってきた気がします。
自分の弱みにも強みにも正直で、おっちょこちょいな先達ですが、なかにはこんなのがいてもいいんじゃないかな、と呑気なわたしです。
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