【連載|日々は言葉にできないことばかり】:ここからの人生は、ひとりよがりでいこうと決めた
文筆家 大平一枝
日々は、喜怒哀楽からこぼれ落ちた感情のほうが圧倒的に多い。言葉にするほどではない寂しさや生きづらさ。あるいは、当たり前すぎて人に言うほどではないけれど、心震える美しさや小さな感動。
「言葉にならないことばっかりですよ、人生は」
挿花家の谷匡子さんは微笑んだ。
「だから直感的にこの対談をお受けしたんです。そのことについて、今、純粋に思うことをお話ししたいなと思って」
甘やかなササユリの香りがふんわりと丸く漂う彼女の自宅1階で、対話は始まった。
日々は言葉にできないことばかり
第十回
兵庫県生野町に生まれる。5歳から生け花を習い、その後、栗崎昇氏、濱田由雅氏に師事。1986年、atelierdoux.ceを設立。インテリアショップ「TIME & STYLE RESIDENCE」のスタイリングをはじめ、挿花家として活動中。著書に「花活けの手びき」「四季をいつくしむ花の活け方」(誠文堂新光社)。
最大の転機となった出来事
人生の節目節目で、思いがけず、来し方行く末を見つめ直す機会に遭遇してきたという。
最大のそれは、8年前の交通事故だ。
年末の早朝、正月の生け込みの仕事で、急遽配送会社の車に同乗することになった。
谷 あれは12月30日のことでした。クリスマス以降、全員が忙しさのピークで、予定していたスタッフの疲労を感じたことから、急遽私が同乗することに。たまたま雨で、ね。単独事故でしたので、命拾いしました。救急車を待つ間、高速でサーサーと行き交う車を見ながら考えたのは、スタッフとその家族のことばかりだったんですよね。
── ご自分のことではなく。
谷 はい。無力さを痛感しました。自分の体に何かあったときに、みんなの分の責任を取ってあげたいけど、私ひとりで何もできないんだなと。事故直後の痛みの中で、いつか振り返ったとき、苦しかったけどこの事故があって本当によかったと思えるようにしようと念じました。
── 8年前なら、お子さんも育ち盛り、どまんなかですね。
谷 当時は長男23、長女20、次男14、三男9歳です。時間的にも精神的にも余裕がなく無我夢中でしたが、それでも検査や治療で2カ月仕事ができなかった間にいろいろ考えました。これからの人生はできるだけシンプルに、自分のやりたいことに、まず向かっていこう。そして、私の手の中に入る家族の数はやはり限界があるので、社員には事情を話して、ひとりひとり順番に巣立ってもらおうと決めました。
── 私は谷さんとおない年で、子どもの年齢も似ています。上が28で下が24。保育ママさんに0歳から助けていただいてましたが、働きながら子育てをする女性がまだ少なかった時代でした。私のようなフリーランスはとくに。無我夢中という言葉に、とりわけ共感します。
谷 まさにまさに。今日、本当に久しぶりに朝10時から取材をお受けして、珍しく緊張しているんですよ。今まで仕事前の朝は子どもを送り出したり、スタッフの受け入れや現場の準備をしたりで、バタバタ。取材に緊張する時間さえありませんでしたから。
ミュージシャンの夫と、4児をこの家で育てた。実家は兵庫で、両親は頼れない。がむしゃらな母・妻・挿花家・経営者4役の生活も徐々に落ち着き、長男は家庭を持ち、長女は演劇の道に進み独立。次男と三男は寮生活で家を離れている。
事業もまた長い時間をかけて、最小限のスタッフにしぼった。
だが、「荷物を減らす」「肩の荷を下ろす」とは違うと語る。
「荷物ではないんです。なんだろうな。夢中でやってきただけのことなんですよね。仕事が増え、人が増え。気がついたらっていう感じだったんですよ」
なるほどたしかに、人は「荷物」ではない。彼女のものの見方や生き方が伝わる、興味深いつぶやきだった。
“ひとりよがりのものさし”
谷 歳を重ねれば重ねるほど、子どもやスタッフや、いろんなめぐりあわせで人生が導かれるということを、しみじみと実感しますね。今年のはじめ、野球に打ち込んでいた三男が怪我をしまして。手術を待っている間、坂田和實さんが書かれた『ひとりよがりのものさし』という本を読み直しました。
── 古道具坂田のご主人(昨年逝去)ですね。ひとりよがりという言葉は、あまりいい意味ではとられない。気になるタイトルです。
谷 坂田さんの目線を通したお話なんだけども、“あ、これでいんだ”ってすごく思えたんです。ここからの人生は自分が納得できる表現を、とことん追求することに向かっていけばいいんだって、強く背中を押された気がしました。
── 私と谷さんは、もちろん業種は違うけれど、私も、こういうテーマで書きませんかと言われて、そこから全てが始まります。なにもないところに「これが書きたい」となるわけではないので。そうするととくに、ひとりよがりというのは、悪いものだと考えがちです。谷さんのお花のお仕事も、店舗やイベントなどクライアントの希望があって、初めて始まるところがありますよね。
谷 ええ、本当に……。ずっとそうでした。でも希望に沿うって、ある意味ラクで、逃げ道があるんですよ。
── そうか。うまくいかなかったときは特に。ひとりよがりでいることのほうがずっと難しい。
谷 そう思います。8年前の事故から、シンプルにしようシンプルにしようと努めてきて、スタッフも時間をかけて20人から3人に。その延長線上に、『ひとりよがりのものさし』との再会があり、すごくすっきりしました。腑に落ちたというか。子育てなりスタッフなり、人との関わりが体の中にいっぱいいっぱい、修行として学んできたことがあって、ここから一つずつ、ひとりよがりに出していける、表現していけるんじゃないかなって。
── 具体的にはどんなことを。
谷 まずは初めて7月に花の写真展をやります。20数年前に、借りていた大阪の洋裁学校でお世話になった恩師からの助言がきっかけで。(※編集部注:対談は写真展の前に収録)
花の写真はすべてデジタルでなくフィルムで撮り下ろした。
理由を「目に見えない、すぐに答えが出ないことに今、ものすごく魅力を感じているので。デジカメだと、すぐに結果が見えてしまうので、その場で修正がききますよね。一か八か。この感覚が好きなんですけど、やってみないとわからないところがいい。大体こうできるとわかっていることをやってもしょうがないなと思うんです」と明解だ。
答えを探しているうちは見つからないもの
── ご長男のことを聞かせてください。思春期は互いに激しくぶつかったというご長男が、花の仕事を手伝うといい出したときは、さぞ驚かれたのでは。
谷 いや、嘘でしょみたいな。それこそ言葉にならないじゃないですけど、息子と組むなんて、自分もこだわりがありますし、イメージが全然湧かなくて。親子でやりづらいにきまってますし(笑)。
── それがもうまる4年。ああできる、と、気持ちの折り合いがついたのはいつ頃でしょう。
谷 ご縁があって岩手と行き来し、自分の生ける花を育てるために、畑を借りています。そこで、ひとりで作業をしていたときにふっと、私が今やってることは一代では終わらないことだったんだって気づいたことがありました。
── ほう、岩手で。
谷 顔も見たことのない先人達が植えてきてくれたものを、今私が手に取って、花束にして、またその先の人を喜ばせることができる。つながっているんだなあと。だから、私が死んだ後に咲く花も、必ず誰かが誰かの手に渡してくれるということを、確信できた。息子もまた、その中の一人として自分なりの形でやっていくんじゃないでしょうか。今、私が憧れを抱く老木の妙味のように、何十年先には畑の木々がそうやって深みを増してくれたらいいなって。
── 一代で終わらないという真理は、おそらく東京でビルに囲まれて、花を生けてたら絶対気づかないことですね。
谷 おっしゃるとおり。結局、全部誰かから与えられたものなんですよね。自分で作り上げるものなんて微々たるもので。
── 答えは自分が出したものじゃない、というところに惹かれます。先人が耕して、山から流れてくる水も含めて、顔も知らぬ人々が累々とやってきたことの先に、ただ自分がいる。気づかせてもらった。それは、そこでしか気づかないことでしょうし、なにか自分で「よし、気づきに行こう」と思っていたわけじゃないってところが大きい。
谷 そうですね。答えを探してるうちには、見つからない。ふとそのことから離れたときに、ハッと気づくものなんでしょうね。
── 畑をしていて、ずっと何年か考えていたことの答えがふっとおりてきた、みたいな。
谷 そう。だから私は目に見えない、すぐに答えが出ないものにとても惹かれていて。見つけるまでのプロセスを大事にしたいし、そこにこそストーリーがあると思うのです。
人のことを気にしている場合じゃない
谷さんは8歳のときに、兄を亡くしている。幼い時から闘病し、亡くなるまで家族は看病に心血を注いできた。そのとき野に咲く草花に支えられたのが、挿花家の発露である。
谷 まだ幼かったので曖昧な記憶ですが、“親が自分にかかりきりで妹が寂しい思いをしているんじゃないか”と、兄がいつも私のことを心配してくれていました。優しい人でした。生きたくても生きられない人生があるということを、小さな時に知りました。兄の分までしっかり命を使って生きないと。それが花の仕事に向かう活力に、ずっとなっています。
── ここまでやればいいというゴールがなさそうなお仕事ですよね。
谷 花はどれだけやっても満足できたことがありません。でも、明日はここまでいこう、その次はここまで、と少しずつでも前に進みたいです。
── 私も次から次へと書きたいテーマがつもり、体力と集中力が追いつかないのがもどかしくなっちゃいます。50代ってもっと落ち着いているのかなと思っていたのですが……。谷さんはいかがですか?
谷 私も何が悲しいって老眼ね(笑) 花を勉強すればするほど自分の足りなさを知る。やりたいことはいっぱいあるし、今になって学びたい欲も増しています。やりたいことをやり続けるには、心も体も鍛えるしかないですね。やり抜ける体力をつけないと。
── さっき、ひとりよがりという言葉がありましたが、なんのために生きるのか、働くのか。ひとりよがりのベースには、私は、誰かや、世の中の役に立つという目的がないとだめだな、と最近ようやく考えるようになりました。それがないと長くは続けられないと思う。
谷 それしかないですよね。私も、いろんな出会いや出来事が繋がって、やっと気づけました。
── フリーライターの駆け出しの頃や仕事が軌道に乗り始めた頃って、自己実現とか、仕事を拡大する喜びとか、名声がほしいとか正直ありました。でもある程度歳を重ね、経験を積むと、自分の書くものが1ミリでも世の中の役に立ってほしい。そのために働いているし書いているという実感が芽生えます。
谷 はい、そこに気づいてしまったら、あとはもういくしかないですよね。心と体を鍛えながら。この先も、命を磨き続けたいです。
── 人にどう見られるかとか、どう言われるかとか、あーだこーだ気にしている場合じゃない。ひとりよがりに、思う道を行くしかない。そういうことに気づけるのだから、歳を取るのも悪くないなって。今日、谷さんとお話していてよけいに強くそう思いました。
谷 夫婦でよく話すんです。自分たちにはお金の財はないけれど、感じてきたことは自分の中に蓄えてきた。それって、心の財、経験だよねって。これからももっと、それを育てていこうって。
私はふだんつねに、原稿に結論を求めがちだ。
だが、すべてに答えなんてなくていいよなと思う。そんなに簡単にわかるはずもない。
わからないから人生という旅は面白いし、生きている途中で私はこう思うよというかけらを拾えるだけでも素敵なことだ。経験が育ち、いつか不意に人生の謎が解けたらそれが最高。
取材の間中、優しく香っていたササユリは、今この時期、この瞬間にしか出会えない貴重な品種らしい。
答えが出ないほうが尊いこともあると発見できた今日のことを、この香りとともに覚えておこう。
長野県生まれ。編集プロダクションを経て1995年独立。著書に『男と女の台所』『ただしい暮らし、なんてなかった。』(平凡社)、『届かなかった手紙』(角川書店)、『あの人の宝物』(誠文堂新光社)、『新米母は各駅停車でだんだん本物の母になっていく』(大和書房)ほか。最新刊は『それでも食べて生きてゆく 東京の台所』(毎日新聞出版)。 インスタグラムは@oodaira1027
大平さんのHP「暮らしの柄」
https://kurashi-no-gara.com
撮影:鈴木静華
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