【5秒日記】第2回:離れ離れになるんだなと、本来まったく感じる必要のない別れに悲しみがわく
「日記は1日のことをまるまる書こうとせずに5秒のことを200字かけて書くと書きやすい。私は貧乏性だから、家のちょっとした瞬間を残して覚えてわかっておきたいと思うのです」 エッセイストの古賀及子さんと、高校生の息子、中学生の娘の3人の暮らしの様子や、自身の心の機微を書きとめる日記エッセイ。月一更新でお届けします
古賀及子
8/16(水)
お盆休みが終わったことに拗ねて早寝をしたものだから、早朝に目が覚めてしまった。起きるほどは覚醒しきっておらず、いつもの起床時間までごろごろしてやりすごす。
早くに目を覚ますことが元々多い。どういうわけか、薄い覚醒の早朝は私にとって「恨みの時間」だ。過去にあった悔しいことを延々思い出して味わってしまう。
今朝もそうして奥歯をかみしめ、とはいえ起き出して朝をはじめるよりも横になっていたい気持ちがあるものだから悔しい悔しいとうなりながらしばらくしっかり横になっていた。
8/17(木)
友人が、実家からたくさん送られてきたからと袋入りの切り餅をくれた。ありがたく在宅勤務の昼ごはんに、磯辺巻きにして食べている。
うちでは親戚の影響で磯辺巻きを砂糖醤油で作る。小皿にだだだと醤油を注いで、砂糖も適当にスプーン1杯くらいをざっと加えて混ぜる。
私は甘い味が好きだから、日々作っているうちに自然とだんだん砂糖の量が増えていった。そして今日ついに、これでは甘すぎるというところまできたのだった。
ぎりぎりを攻めて試して失敗する、これは駆け引きだ。駆け引きといえば人間のひねくれたコミュニケーションだとばかり思っていたが、無機物とのあいだにも発生するのだな。
8/21(月)
醤油のボトルを使い切った。中をゆすいで、ラベルは少し力を加えるとあっさりボトルから手を放すようにはがれた。
いつも難関はキャップを外すところで、ヒンジというのだろうか、蝶番でキャップが本体にくっついているタイプは、キャップを真下にぐっと引っ張って、それから今度は上に抜くとスポンと抜けるはずなのだけど、うまく下に引っ張れずキャップだけねじり切れてしまうことが多い。
今日はうまくいって、むしろ驚く。
ボトルはペットボトルのごみ袋に入れ、キャップはプラごみにまとめる。このときいつもつい、離れ離れになるんだなと、本来まったく感じる必要のないボトルとキャップの別れに悲しみがわく。
8/28(月)
中学生の娘の夏休みは昨日でおわり。今日から2学期が始まる。
寝坊の性質のある娘は夏のあいだじゅうよく寝て暮らし、昨日は夏休み最後の日だからとリミッターをはずしてしっかり寝てすごし休みとの別れを惜しんでいた。
1か月ぶりの早起き、大丈夫だろうかとの不安をよそに、娘は観念して意外にするっと布団から身を起こした。
ほっとして朝食の支度をすすめると、背後で「ガルルルル」と音がする。振りかえると世間を威嚇する全身の産毛を逆立てた娘だった。朝というものそのものに対してせめて抵抗の態度を示しているらしい。
悪辣の表情で朝食を食べ、ツンとして出かけた。
8/29(火)
お盆に会った姪っ子に、Nintendo Switchの「テトリス99」というゲームの存在を教えてもらった。99のアカウントが集まってテトリスで勝負するゲームだ。
むかしからテトリスは大好きだから、私もすぐに夢中になって息抜きに遊ぶようになり、しかしどうにもうまく勝てない。
今日もぼろぼろに押し負けた。悔しくて座布団の上に横になり、やっぱりTスピン(という技がある)をもっと練習しないといけないだろうかとか、ミノ(テトリスのブロック)の形を正確に体に叩き込まねばとか、どうしたらもっとスピードが上がるのか、などと思案しながらぼんやり天井の柄をながめて視線でなぞり、するとしばらくして目がかっと開いて、うまくなってどうする!? と気づくことができた。
§
9/6(水)
毎朝ヤカンをじょうろ代わりにして、居間のゴムの木と、ベランダのアボカドに水をやる。
それで思ったのだけど、スマホやパソコンのような通信機器を除いた日用品として、いちばん私がよく使うのはこのヤカンではないか。
お茶を飲むのにお湯を沸かすのはもちろん、この家では食洗器を水道につないでいないから、ヤカンで水を汲んで給水する。
このヤカンは、もう年賀でしかやりとりのない友人が結婚した際の引き出物のカタログギフトで選んだ。
買うのでも、もらうのでも、拾うのでもない、カタログギフトで得た品だというのが(友人が聞いたらがっかりさせてしまうかもしれないけれど)いかにもいい加減に家にやって来た物の感じだ。
それを日用品として一番くらい毎日よく使うのだから、巡り合わせにはきらめきがある。
9/8(金)
息子がソファに寝そべりながら有線のイヤホンをつけたタブレットで動画を観ている。
私は同じ部屋のちゃぶ台にノートPCを置いて作業していて、すると息子が「あれ、なんかAmazon Primeの動画がログアウトしてて観られない、パスワード入れてくれない?」とタブレットをよこした。
承知して受け取ったところ、私の予想以上にイヤホンのケーブルは短く、耳から引っ張られて息子の頭が引き寄せられた。
「わあ!」「えっ! ごめん!」「頭が! お魚みたいに!」「釣れた! 釣れてしまった!」などと、一瞬部屋が騒然とし、ちゃぶ台の向かいに座ってスマホをみていた娘にやけにウケた。
9/9(土)
土曜日、息子は学校に用があるそうでお弁当を持って出かけていって、娘とふたりの昼。
家族の構成員がひとり不在の食事には、ちょっととくべつの雰囲気がある。相談し、スーパーで好きなものを買って食べようと、しめしめとふたりで晴れて残暑に熱されたアスファルトを踏みしめて出かけた。
こんなときでないと食べないから私はカップ麺。娘はお弁当と、お弁当コーナーによくあるカップ付きのインスタントみそ汁を選んだ。家で作るみそ汁とも、大袋に味噌とかやくがセットになったタイプのインスタントみそ汁とも違う、カップのみそ汁には他のみそ汁にない貴重性を感じると娘は言う。
ほくほく帰宅、そのまま流れるような動きで早速ヤカンにお湯を沸かし、各々のカップを準備してお湯をそそぐ。
私たちの冴えたさまを反映してか、沸かしたお湯がカップ麺とカップみそ汁に必要なぎりぎりピッタリの量だった。大いに盛り上がった。
9/10(日)
米が切れた。先日近所の友人から、駅の近くのスーパーに無洗米の美味しくて安いのがあると聞いたのを思い出す。全体的にやや割高に感じ、あまり使うことのないスーパーだったから意外だ。安いとなれば重い腰も上がって、久しぶりに行ってみようと出かけた。
今日もまだ昼の日差しは強い。日傘をさして向かったが、米を思う気持ちが急いて、スーパーに到着する100メートルくらい手前の時点で日傘を畳んでしまった。残りの100メートルがずっとまぶしい。
店内で米を探すとレジのすぐ近くの天井から「RICE 米 RICE」と力強いフォントでプリントされた旗が下がっており、これ以上なく分かりやすい米売り場だ。確かに安く、これまで見逃していたことを恥じる。
持参した大きめのエコバッグに詰めて担いで店を出て、そういえばなんで自転車で来なかったんだと唖然とした。
9/12(火)
仕事で使うワイヤレスマイクのセットが、専用のポリエステル生地のポーチに入れた状態で台所のテーブルの上に出しっぱなしになっていた。
食事の支度をするのに片づけながら、うっかり少し残っていたジュースのグラスを倒してしまい、浸水まではいかないもののしぶきがポーチにかかる。
あっ! っと、とっさにポーチをひったくるように取り上げ、瞬発力でもってじゃぶーっと、シンクで水洗いして1秒後、中身、精密機器じゃん! と、高速で手を引っ込めた。
すぐにポーチひっくり返して中身を出して、マイクが濡れていないことを確かめほっとしたものの、グラスを倒してからおおむね3秒間の行動のワンセットがあまりにも全部ぽんこつだ。
立ったままぽかんとする。
9/17(日)
休日出勤で出かけた帰り道、頑張ったから甘い物でもたべてやろうとスーパーの菓子パンコーナーにあった安いロールケーキを買った。
まるまる1本、かたまりだと思っていたのだけど、パッケージから取り出すと5切れにカットしてある。
ということは、息子と娘にふた切れ、私にひと切れ……のつもりが、息子がちょうど昼寝をしていたものだから、がまんできずついふた切食べてしまったのだった。
背徳の味とはよく言うが、ロールケーキがそもそも突き抜ける美味しさなものだから背徳の余地はない。ただいつものように味わった。
9/18(月)
9月も粛々と日がすぎて、夜中や明け方に肌に触れる空気が冷たくなる日が出てきた。
タオルケットをかけて眠りつつ、ベッドの足元に毛布も置いて備えるが、小さなベッドで畳んで置くとじゃまで足がつっかえる。仕方がないからベッドに対して斜めに寝ている。
枕も斜めにして目を閉じると、まさか自分が斜めであるとは思えない。眠るころには斜めを忘れて、まっすぐの体のつもりで寝入る。
文/古賀 及子(こが ちかこ)
1979年東京生まれ、神奈川、埼玉育ち、東京在住。ライター、エッセイスト。 どうってことない日々を書くのが好き。日記の傑作選をまとめた著書『ちょっと踊ったりすぐにかけだす』を2023年2月に素粒社より刊行。
note:https://note.com/eatmorecakes X(twitter) :@eatmorecakes
イラスト/芦野 公平(あしの こうへい)
イラストレーター、TIS会員。書籍、雑誌、広告等の分野で活動中。イラストを提供した仕事に、Honda N-ONEカタログ、坂角総本舗130周年カタログ、新国立劇場「シリーズ 声」ビジュアル、田島木綿子『海獣学者、クジラを解剖する。』(山と溪谷社)、瀬尾まいこ『傑作はまだ』(文藝春秋)など。
X(twitter) : @ashiko
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