【連載|生活と読書】第六回:作家がつくった書店

島田 潤一郎

 今回も韓国旅行の話から。
 ぼくがソウルに滞在したのは2024年12月25日から27日までの3日間。そのうちの一日はまるまる書店巡りにあてました。

 日本でいうところの蔦屋書店にあたるであろう、光化門(クァンファムン)の「キョボ文庫」のお客さんの多さには驚きましたが、銀行のロビーに本を並べる「本屋ヨンヒ」の新店のコンセプトにも同じくらい驚きました。
 カウンターで銀行員とお客さんが話すうしろに並んでいるのは、ビジネス書やベストセラーではなく、リトルプレス。ぼくはハングルがまったく読めないので、もしかしたら、並んでいる本のなかには有名な作家の作品や、金融に関連する本などがあったのかもしれませんが、すくなくとも目立つところに平積みされていたのは、若者たちが自らの手でつくったであろう、薄くて、シンプルな本でした。
 融資や積立の相談に来るひとたちが果たして、そのようなリトルプレスを手にとるのか、ぼくにはうまく想像することができません。けれど、こうしたコラボレーションが生まれるというのは、おそらく銀行側があたらしい出版文化にたいして理解ないしは興味があるということで、そうした状況を単純にうらやましく思います。日本ではきっと実現しないことなので。

 §


 光化門には昨年ノーベル文学賞を受賞したハン・ガンさんが営む「本屋オヌル」もあります。混乱を避けるためか、受賞後はしばらく店は閉じていたのですが、ぼくが訪ねたときは再開しており、店の前には10人ほどのお客さんが並んでいました。
 マイナス一度の気温のなか20分ほど手をこすりあわせながら入店を待ち、足を踏み入れた店内は、小さいながらも、ひとのあたたかみにあふれた、とても魅力的な空間でした。
 15人も入ればいっぱいになってしまうくらいの敷地のなかにはグランドピアノがあり、電話ボックスがあります。そのふたつがあるだけで、店のなかがとても贅沢な空間に見えます。
 電話ボックスは日本のものとほとんど同じガラス張りのもので、扉を開け、なかに入ると、ハングル語で説明が書いてあります。0から9までのいずれかのダイヤルナンバーを押せば、おそらくなにかが聞こえてくるのであろうことがわかります。
 ぼくは受話器をあげて、適当に数字を押します。すると遠くからピアノと男性の声が聞こえてきます。ぼくはその声に耳を澄ませますが、相手がなにを話しているのかはわかりません。さらに違う数字を押すと、今度は激しい雑音のようなものが鳴り響きます。
 この音は果たしてなんなのだろう?
 ぼくは小さな書店のなかの、さらに電話ボックスという狭い空間のなかで、一所懸命、受話器の向こうの音を理解しようと努力しているのです。

 書店を案内してくれた「セゴ書林」の店主、チェ・スミンさんはぼくが電話ボックスから出ると、「だれの声でした? わたしはジェイムズ・ジョイスでした」といいました。
 なるほど、電話ボックスの声の主は今は亡き文豪たちの声で、スマートフォンで調べてみると、ほかにもヴァージニア・ウルフなどの声も聞こえるようでした。

 §


 本を読むということは、だれかの声に耳を澄ませるということであり、その意味では、この電話ボックスは「読書」という行為そのものを象徴しているように思います。
 ガラスの扉を開けて、閉め、この空間には自分ひとりしかいないことを確認してから、ダイヤルナンバーを押し、自分が聞きたい相手の声を聞く。その狭さ。親密さ。
 ぼくが本を読むのが好きなのは、だれかの話をずっと聞いている、そんな心地よさがあるからです。

 もちろん、すべての本にその心地よさがあるわけでありません。数ページ読んだだけで放りだしたくなるような喧しい本もあれば、感じがいいだけで、まったく親しみをもてない、そんな本もあります。
 読むひとによって、その心地よさはそれぞれ違うのであり、自分が好む声に出会うことができたら、それは友人がひとり増えたくらいの価値があります。
 その作家が生きているか、亡くなっているか、日本人であるか、そうでないかは関係ありません。
 よい本は何度読んでも、発見があります。



『主婦である私がマルクスの「資本論」を読んだら
15冊から読み解く家事労働と資本主義の過去・現在・未来』
チョン・アウン 著 , 生田美保 訳

タイトルだけ見ると、『資本論』の本かあ、ちょっと難しそうだな、あるいは、趣味が合わないなあ、と思われるかもしれません。が、この本は『資本論』の本でもなく、マルクス主義の本でもなく、ひとが暮らしのなかで本を読み続けると、社会がどのように見えてくるか、ということを綴った本です。とにかく本をたくさん読みたくなる、そんな本でもあります。




文/島田潤一郎
1976年、高知県生まれ。東京育ち。日本大学商学部会計学科卒業。アルバイトや派遣社員をしながら小説家を目指していたが、2009年に出版社「夏葉社」をひとりで設立。著書に『あしたから出版社』(ちくま文庫)、『古くてあたらしい仕事』(新潮文庫)、『父と子の絆』(アルテスパブリッシング)、『電車のなかで本を読む』(青春出版社)、『長い読書』(みすず書房)など
https://natsuhasha.com

写真/鍵岡龍門
2006年よりフリーフォトグラファー活動を開始。印象に寄り添うような写真を得意とし、雑誌や広告をはじめ、多数の媒体で活躍。場所とひと、物とひとを主題として撮影をする。

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