【受け継いだもの】第1話:前言撤回なしの母と思春期の娘、親子ゲンカの結末は?
ライター 小野民
それぞれのフィールドで活躍をしている方々が、どのように育てられたのか、 その中でどんな「もの」や「こと」を受け継いできたのか。
すてきなあの人をつくってきたものを知りたい、そんな興味を抱いて始まったシリーズが『受け継いだもの、こと』でした。
誰かに育てられ、その経験から受け継いだ価値観は、私たちの人生にどのように影響を与えるのでしょう。
ふと思い出すと背筋が伸びたり、逆にふっと力が抜けたりする受け継いだものやこと、みなさんにも、ありませんか?
my-anの真藤舞衣子さんを訪ねて、山梨へ
シリーズ「受け継いだもの、こと」第二弾では、山梨市にて『my-an』(まいあん)を営む料理研究家の真藤舞衣子(しんどう まいこ)さんにご登場いただきます。
私が真藤さんのことを知ったのは、数年前。以前から親交のあった山梨県の味噌屋「五味醤油」で、真藤さんがプロデュースしたおしゃれな塩こうじや味噌作りキットを見つけたのが最初です。
my-anの料理は具沢山のお味噌汁かスープに、1〜3種類のおかずを選ぶ定食。和食を基本にアレンジが加わった、家で真似してみたくなる料理が並びます。
壁には、お店を支える味噌や農家のロゴが描かれ、真藤さんセレクトの食材を買うこともできます。
お腹を満たすにとどまらない、食べるにまつわるいろんなことが詰まったお店。こんなに心地いい空間を作った真藤さんは、一体どんな想いをこのお店に込めたのでしょう。
私は、食べることやレシピを眺めることは大好きだけど、料理にはちょっと苦手意識があります。
居心地の良い食堂を営む真藤さんなら、私のコンプレックス解消のヒントも持っているかも。
真藤さんは、誰から、どんなことを受け継いできて、今の人生、この心地よい空間をつくったのですか? その答えを聞きたくて、my-anを訪ねました。
「くいしんぼう」は祖母から母へ、母から娘へ
小さい頃から料理が大好きだったという真藤さん。やはり、現在の仕事である料理家の土台は、家庭で育まれたものなのでしょうか。
真藤さん:
「一食一魂っていうのかな。家族みんなくいしんぼうで、あと何回ごはんが食べられるか考えて、無駄な食事はしたくないっていう家でした。食べ物で体はつくられますからね」
現在、山梨県で暮らす真藤さんは、東京にある実家と行き来しながらの生活だそう。
東京の家には、真藤さんが「おばあちゃま」と慕う大好きなお祖母さまと、料理のアシスタントを務めることもあるというお母さまが今も暮らしています。
料理好きの祖母と母からの影響で、小さい頃から料理をつくるのも大好き。
小学生になる前から、家に遊びに来るお客さんに、卵焼きをつくってはふるまっていたといいます。
女三人での暮らしが長かったという真藤さんには、祖母、母というそれぞれの女性から受け継いだ食ベものへの向き合い方が、色濃く受け継がれているようです。
「受け継いだものは『すし桶』でした」
実は、取材に伺う前に、「具体的な『受け継いだ物』があれば教えてください」というお題を出させていただいていました。
その答えとして用意していただいたのは、立派な丸太をくりぬいた「すし桶」。由来を聞くと、60年以上前、真藤さんの祖母が、大工さんにつくってもらったものだそう。
真藤さん:
「このすし桶で祖母がつくるちらし寿司が大好きでした。節句のときだけでなく、『今日はちらしにしよっか』と普通の日でもちらし寿司をつくってくれましたね。下ごしらえをきちんとした、手間のかかる具沢山のちらし寿司です。
ご飯にすし酢を混ぜる祖母の隣で、一生懸命うちわであおぐのが私の仕事。このすし桶を使って料理していると、祖母のことや子供時代のことを思い出します。
小さい頃はすごく大きくて重いものだと思っていたのに、意外と今持ってみるとそうでもないのが不思議……。
10数年前からは、私がこのすし桶を使っています。たぶん、これを継いで料理の仕事をしていること、祖母も母も喜んでいるんじゃないかな」
和洋折中ちらし寿司は、真藤さんそのもの?
そう言いながら、手際よくつくって出してくださったのが、生ハム、オリーブ、チーズがのったちらし寿司。使い込まれて、深みのある茶色になった木の風合いに、お花畑のようなちらし寿司がよく合います。
真藤さん:
「私もよくちらし寿司をつくるんです。手の込んだものはなかなかできないけれど、簡単なものなら、おもてなしにも便利ですよ」
洋風のちらし寿司は、酢飯と具材のバランスが絶妙で、取材チーム全員でおかわりまでお願いしてしまいました。
さて、お手伝いの思い出といえば、祖母だけでなく、母親のお手伝いをするのも真藤さんの楽しみでした。
真藤さん:
「祖母と母とはよく3人で餃子をつくった思い出があります。
母はお寿司よりちまきや餃子が得意でした。彼女は和食はそんなにつくらなくて、朝からバナナブレッドを焼くようなアメリカンな人(笑)。
純和食な祖母とアメリカンな母のルーツと、両方を私は継いでいるなぁと思います」
確かに真藤さんの著書をみると、『煮もの 炊きもの』『和えもの』(ともに主婦と生活社)などの和食がベースの本、『ボウルひとつで作れる こねないパン』、『ボウルひとつで作れる SCONE AND CAKE』(ともに主婦と生活社)などのかっこいい洋風テイストの本が並んでいます。
この日つくってくださった洋風ちらしは、まさに両方から受け継いだものが、込められた料理だったのかもしれません。
前言撤回なしの母と思春期の娘、親子ゲンカの結末は?
女三代で「食」という共通の趣味を共有しながら、仲良く暮らしていた真藤家。しかし、思春期には、その後の真藤さんの運命を決定付けたかもしれない?事件が起こります。
真藤さん:
「どんなことでケンカしたかは全く覚えていないんですけど、母とケンカをして、母に『もうお弁当つくってあげないから』と言われたんです。
売り言葉に買い言葉で私も、『自分でつくるからいい』と言ってしまいました。
母のことだから、もう絶対につくってくれないだろうなと思ったし、私も意地がある。次の日から自分でお弁当をつくり始めました。
もちろん、毎日ちゃんとしたお弁当をつくれるわけもなくて、寝坊したときはのり弁だけ、とかね。残りもののカレーやおでんを入れただけの日もありましたよ(笑)。
でも基本は自作のお弁当。意地から始まったことだったけど、楽しんでいたし、鍛えられたのかもしれません。結局高校を卒業するまで、毎日のお弁当づくりは続きました。振り返ると今に通じることをやってますね」
私だったら、母親に懇願して、結局お弁当をつくってもらうことになりそうです。逆にこれから先、私が娘とケンカをして、「お弁当つくってあげないよ」と言ったって、次の日には結局つくってしまいそうな気がします。
一度言ったことを曲げないお母さん、お弁当づくりをやり遂げた真藤さん。
親子の意地の張りあいなしには、真藤さんは料理家にならなかったかもしれない。そう考えると、人生に起こる小さな事件の先には、なにがあるか分からないと思えてきます。
次回の第2話では、一度はIT業界で働いた真藤さんが料理の道に進もうと思った理由、今、料理教室で一番伝えたいことなどについて、お聞きします。
(つづく)
【写真】土屋誠
真藤舞衣子(しんどう まいこ)
東京生まれ。24歳の時に1年間京都の大徳寺内塔頭にて畑作業、土木作業や茶道生活を経験する。東京の菓子店で勤務後、赤坂でカフェ&サロン「my-an」をオープン。6年半営んだ後、結婚を機に山梨に移住。東京と山梨で料理教室を主催や店舗プロデュース、レシピ開発などを行う。最新刊は『おいしい発酵食生活 意外と簡単 体に優しい FERMENTED FOOD RECIPES (講談社のお料理BOOK)』。http://www.my-an.com/
ライター 小野民(おの たみ)
編集者、ライター。大学卒業後、出版社にて農山村を行脚する営業ののち、編集業務に携わる。2012年よりフリーランスになり、主に離島・地方・食・農業などの分野で、雑誌や書籍の編集・執筆を行う。現在、夫、子、猫3匹と山梨県在住。
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