【わたしの転機】第2話:身の丈に合った暮らしで手に入れた幸せ。(津留崎徹花さん・鎮生さん)
ライター 長谷川未緒
ターニングポイント=転機とは、生き方が変わるきっかけになった出来事のこと。このシリーズでは、その人の「いま」につながる転機について、伺います。
今回ご登場いただくのは、カメラマンの津留崎徹花(つるさきてつか)さんと夫の鎮生(しずお)さんです。おふたりは「自分たちの暮らしを自分たちの手で丁寧につくりたい」と、2年前に東京から伊豆下田へ、娘さんを連れて移住しました。
第1話では、6年越しで叶えた移住に挫折し、1週間で東京に戻った話を伺いました。つづく第2話では、伊豆下田へ移住したことや、いまの暮らしぶりをお聞きします。
理想ばかり掲げて無理をした移住から、地に足のついた移住へ
三重県津市美杉町での1度目の移住で打ちのめされた徹花さんでしたが、その間、鎮生さんは東京から近い場所でもう1度挑戦してみようと考えていました。
鎮生さん:
「自分たちの暮らしを自分たちの手でつくりたい、そのために東京を離れてみるという決断自体は、娘を育てる環境という意味でも、間違っていると思えなかったんです。会社も辞めちゃって無職でしたし、呆然としていても仕方がないので、とにかく動こうよ、と言いましたね。
山深い自然豊かな土地での暮らしにはものすごく憧れるけれど、東京でしか生きたことのない自分たちには、身の丈に合っていなかったんです。自給自足したいとか、おばあちゃんの知恵を学びたいとか、理想ばかりかかげて無理をしていました。
だからもう1回だけ、自分達にできる範囲で理想の暮らしを実現できる場所を探してみようよ、と妻に話しました」
その鎮生さんの考えに徹花さんも賛同。
そこで浮上したのが、伊豆下田でした。ここは徹花さんにとっては、祖母の別荘があり、子どものころから夏休みのたびに訪れていたなじみのある土地。だからこそ「未知の場所で暮らしたい」と意気込んで移住先を探していたときには敬遠していたのだとか。
しかし、気候が暖かく、山と海に囲まれた自然豊かな土地ながら東京から近いことや、ある程度の規模の町であることも含め、暮らしやすい環境が整っていました。
徹花さん:
「美杉町で経験したつらい思いがあったので、すぐには覚悟が決まりませんでしたが、『もう1度だけ試してみて、うまくいかなかったら移住をあきらめて東京で暮らそう』という夫の意見に賛同して、家探しをはじめました。そうしたら、庭が広くて小学校にも近い、いい家が見つかったんです。
娘はおとなしいタイプで、あまり自己主張しない子なんです。その娘が『このまま東京で暮らしちゃダメ?』と聞いてきたときには心が揺らぎましたが、『いやだったら戻ってくればいいし、週末は東京に帰る』と約束して、再び引っ越してみようと家族で話しました」
一家は、美杉町から東京に戻ってふた月も経たずに伊豆下田へと向かったのでした。
1度目の経験を踏まえ、徹花さんにはある覚悟があったと言います。
休業する覚悟で、娘と向き合った
徹花さん:
「夫は娘が海で遊ぶ姿を見て、『あんなふうに楽しそうにしているんだから、娘も下田を気に入ってくれるはず』そう見守っていました。でもわたしは、娘のことが心配で心配でたまらなかったんです。毎週末、東京の実家へ娘と帰ったり、仕事をセーブして娘と過ごす時間を増やしました。
あのころ、自分で言うのも何なのですが、仕事がノリに乗っていたんです。いい写真が撮れているという実感もあったし、仕事が楽しかった。だから美杉町へ行ったときも、東京の仕事は断っていませんでした。移住という大きな決断をしておきながら、中途半端だったんですよね。
伊豆下田へ行ってからは、しばらく休業する覚悟で、娘と向き合いました」
鎮生さんも仕事を見つけ、庭の一画を畑にして野菜を育てたり、地元のひとと交流して保存食をつくったり。やりたいと思っていた暮らしをようやく手に入れた津留崎さん夫妻。
そうして半年後に迎えた保育園の運動会で、徹花さんにとって、移住を肯定できる瞬間が訪れました。
徹花さん:
「娘が友だちと笑顔で話している姿や、立派にふるまっている様子を見て、感動したんです。彼女は彼女なりのやり方で、きちんと乗り越えていたんだとわかりました。
夫はずっと、移住は娘にとっていいことだと言っていましたが、わたしの迷いが晴れたのは、あのときでした」
自分にとって、本当の理想の暮らしって?
▲津留崎さん一家がよく通っている地元の干物屋さんにて。買った干物をその場で焼いてくれる。
伊豆下田へ移住して2年あまり、娘さんも下田での生活を楽しんでいますし、ようやく自分たちらしい暮らしを営んでいるという手応えを感じています。
鎮生さん:
「美杉町でもよくしてもらいましたが、ここでも地元の方に、本当によくしてもらっています。念願だったお米づくりもはじめて、去年は1反の田んぼから300キログラムも収穫できました。
子どもたちが楽しそうに田植えする姿を見たり、収穫したときには手伝ってくれたひとと新米を分け合ったり、そんな暮らしを楽しんでいます」
▲昨年秋の稲刈りのようす。友人や娘さんの友だちと一緒に行った。【写真】津留崎徹花
徹花さん:
「娘が学校から帰ってくるのを『おかえりなさい』とお迎えできて、家族揃ってごはんを食べる。なんでもない生活ですが、これこそがわたしの理想の暮らしかもと、いまでは思っています。
東京でもできた暮らしですよね。でもわたしにとっては、美杉町での経験や、伊豆下田へ来て娘と向き合ったことで、ようやくわかった理想の暮らしなんです」
トライ&エラーの毎日を笑って過ごしたい
鎮生さん:
「もちろん順調なことばかりではなく、いまでも試行錯誤は続いています。
娘は小学校2年生なのですが、このあたりには学童保育がありませんから、妻が不在のときに娘を迎えられるよう、融通のきく仕事に転職しました。
養蜂と建築会社の仕事をかけもちしていて、収入は東京にいたころより少ないし、自分は何屋なんだろうと思うこともあります。
でもこちらでは複数の仕事をこなしながら暮らしているひとは少なくありません。ひとつのことにとらわれなくてもいいのかな、と考え方が変わってきました」
徹花さん:
「仕事と育児のバランスは、わたしも頭を悩ませています。娘との時間がいちばん大切ですが、近頃は東京へ泊まりで撮影にも行きますし、写真を撮ることもすごく楽しいんです。
母親業はわたしにしかできないけれど、わたしにしか撮れない写真もあると思うので、そのときどきで、いいバランスを探りながら仕事を続けていきたいですね」
▲今春行われた下田での初個展のようす。【撮影】TableTOMATO店主・山田真由美さん
その言葉どおり、伊豆下田の人々の姿を撮影した写真を雑誌に掲載、エッセイを寄稿するなど、徹花さんだからこそできる仕事をなさっています。今年は、伊豆下田をテーマにした個展も開催しました。
徹花さん:
「はじめての個展だったので、何をどうしたらいいのかわからず。知り合いのカメラマンに教えてもらいながら、夫がパネルに写真を貼ってくれたり、娘も手伝ってくれたり。親類や地元のひとたちも大勢見に来てくれて、少しは恩返しできたかな、とうれしかったです」
夫婦の時間が増えたことで、けんかも増えたと笑う津留崎さん夫妻。ふたりは転機となった移住を実現するにあたり、大勢のひとと出会い、たくさん話を聞き、行動してきました。
徹花さん:
「頭で考えたり、あこがれているだけでは限界がありますが、自分の目で見たり経験したりすることで、ほんとうに大切なことがわかってきたと思います」
いまの生活に満足しているけれど、まだまだやりたいこともあると言うおふたり。
これまでそうしてきたように、たくさん話し、ときにはぶつかりながら、自分たちが目指す暮らしに向けて、試行錯誤を続けていくのでしょう。
(おわり)
もくじ
【写真】神ノ川智早
津留崎徹花・鎮生(つるさきてつか・しずお)
フォトグラファーとして、料理・人物写真を中心に活動する徹花さんと、建築と養蜂の仕事のかたわら、念願だったお米づくりにいそしむ鎮生さん。webマガジン「コロカル」では、『暮らしを考える旅』を夫婦交互で執筆中。https://colocal.jp
ライター 長谷川未緒
東京外国語大学卒。出版社勤務を経て、フリーランスに。おもに、暮らしまわりの雑誌、書籍のほか、児童書の編集・執筆を手がける。リトルプレス[UCAUCA]の編集も。ともに暮らす2匹の猫のおなかに、もふっと顔をうずめるのが好き。
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