【57577の宝箱】また咲くと信じているから手を振れる そのときおわりはめぐりに変わる
文筆家 土門蘭
寒くなったり暖かくなったり、三寒四温の日々。
冬から春に少しずつ移っていくこの時期が、わたしは昔から苦手だ。年度が切り替わり、出会いや別れがある季節は、妙に落ち着かない。梅の花が咲くと、そろそろ桜が咲くのかと心が重たくなる。梅も桜もきれいで好きなのだけど、それらが咲き、枯れ、散っていく様子に、嫌が応でも時間が過ぎていくのを目の当たりにするからかもしれない。なんだか自分だけが置いてけぼりになったような気がして、焦ったり寂しくなったりするのだ。
毎年この時期になると気持ちが不安定になるのだけど、今年も例によってそうだった。特に何があったわけでもないのに、気持ちがざわついて眠れなくなってしまう。そういうときわたしは、部屋のそうじを念入りにする。特に、いらないものを捨てるのがいい。心がざわざわするときは、必要なものと不必要なものをはっきりさせると落ち着くのだ。そういうことは、長年自分と付き合ってきたからわかっている。
だけどこれまで不安定になるたび断捨離を繰り返してきたので、良いのか悪いのか今回は手放すべきものがなかった。しかたがないので、部屋中の床を雑巾がけする。ぴかぴかの床を眺めていると少し心が明るくなり、なんとなくSNSに投稿してみた。「気持ちが塞いでいたので断捨離しようとしたけど、捨てるものがなかったので雑巾がけをしたら、少しすっきりしました」という内容のことを。
すると、ある友人が返信をくれた。そこにはこんなことが書かれてあった。
「ぼくもすぐモノを手放すたちで、断捨離ができないくらいモノが無いときはお花屋さんで1輪だけ花を買うことにしてます。特に意味はないんですが、1輪だけ『選ぶ』ってことをしています。普段選ばないモノを選べば、古いなにかを捨てられる気がして」
それを読んだとき、なぜだか泣きそうになった。友人の部屋に飾られた一輪の花を想像し、引き換えに捨てられた何かを想像する。
ああ、自分はそういう変化をおそれていたんだなと思った。いらないものは手放したと思っていたけれど、わたしの中には変化をおそれる恐怖心が、しこりのようにまだ残っていた。
すぐに財布を持って、コートを羽織り、靴を履く。自転車に乗って、近所の花屋さんに向かった。花屋さんで自分のために花を買うなんて、いつぶりだろうと思いながら。
§
ガラスケースの中を覗き込むと、バラやトルコキキョウ、ガーベラやチューリップがたっぷりと並んでいた。さまざまな色かたちをしている花たちを眺めながら、ここに来ればいつでもきれいな花があるんだよな、と当たり前のことを思う。季節によって彩りが変わっても、ここに来れば花に出会える。その事実に安心したのか、目の前の花がどんどん美しく見えていった。
どれにするかひとしきり悩んで、名前もわからない小さな青い花を指差した。直感で「きれいだ」と思った花だ。すがすがしく青い色は、見ていると心が癒されるようだった。
大きな紙に包んでもらい、再び自転車にまたがる。同じ道を行ったり来たりしているはずなのに、帰り道でやっと山桜が咲いていることに気がついた。
不意に、以前ある方にインタビューしたときのことを思い出した。そのとき「人はなぜ、桜の花や紅葉をきれいだと思うのか」という話になったのだ。
「ぼくはね、桜や紅葉が散ったとしても、またいつかこの樹は花を咲かせ葉をつけるんだって知っているから、『きれいだ』と思えるんじゃないかなって思うんです。もうこれっきりなんだって思っていたら、悲しくてきれいだって思えないんじゃないかなぁ」
彼はそんなことを言っていた。アスファルトを自転車ですべっていく道の上、頬に暖かい風がぶつかる。
§
花を買ってから、毎朝水切りをして花瓶の水を入れ替えるのが日課になった。
花に触るたびに、変わっていっているのがわかる。色あせてきたり、しおれてきたり、蕾だったものが咲いていたり。枯れた花ははさみでぱちんと切って、残った花はまた水につける。そうやって2週間経った今、まだ何輪かの青い花はテーブルの上で咲いている。
自分が花を買わなくなったのは、少しずつ枯れていく様子を見ると悲しく感じるからだった。変わることはなくなることだから寂しい。だから、常に変わらずなくならない「必要なもの」だけをそばに置いておくようになった。
だけどきっと、「変わる」ことは「なくなる」ことではないんだろう。目の前からなくなったとしても、またいつか違う形で戻ってくる。桜が咲いて、散って、また新しい桜が咲くように。来年もまた新しい花が咲くはずだって希望を持っているから、わたしたちは目の前の一瞬を「きれいだ」と喜ぶことができる。
青い花がすべて枯れたら、また花屋さんへ行ってみよう、と思った。そこではまた、たくさんの春の花がわたしを待ってくれている。
“ また咲くと信じているから手を振れるそのときおわりはめぐりに変わる ”
1985年広島生まれ。小説家。京都在住。小説、短歌、エッセイなどの文芸作品や、インタビュー記事を執筆する。著書に歌画集『100年後あなたもわたしもいない日に』、インタビュー集『経営者の孤独。』、小説『戦争と五人の女』がある。
1981年神奈川県生まれ。東京造形大学卒。千葉県在住。35歳の時、グラフィックデザイナーから写真家へ転身。日常や旅先で写真撮影をする傍ら、雑誌や広告などの撮影を行う。
私たちの日々には、どんな言葉が溢れているでしょう。美しい景色をそっとカメラにおさめるように。ハッとする言葉を手帳に書き留めるように。この連載で「大切な言葉」に出会えたら、それをスマホのスクリーンショットに残してみませんか。
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