【でこぼこ道の常備薬】後編:自分の中にある「言葉じゃないタイプの辞書」(フローリスト / 越智 康貴さん)

文筆家 土門蘭

生きていると、時々できてしまう心の切り傷や擦り傷。

そんな傷を癒してくれるような、「あの人の言葉」や「あの人の姿」ってありませんか?

『でこぼこ道の常備薬』は、そういった常備薬のような存在についてうかがうインタビュー。今回は、フローリスト・越智康貴さんのお話の後編です。

仕事上の人間関係の摩擦で擦り減ってしまった時には、「圧倒的他人感」を持つ花と向き合うことで回復するのだという越智さん。一方でプライベートでは、「他人」に癒されることもあるそうです。

後編では、そんな越智さんにとっての大切な人たちについてお話をうかがいました。

前編

 

心の地図上の同じ場所に「繊細島」がある人たち

——落ち込んだり悩んだりしたとき、誰かに相談することはないですか?

越智:
仕事以外のことだと、親しい友達に話すことが多いですね。さっき話した、心の地図上の同じ場所に「繊細島」がある友達に。

——はい、はい。

越智:
相談というよりは、「今日こういうことがあって、こうでこうでこうだったんだよね……もう無理……」みたいな。それで「そうだよね、もう無理だよね。今日は早く寝な?」って言われる。

——「繊細島」が一緒っていうところが、大事な気がしますね。

越智:
「繊細島」が一緒の場所にある人たちだから、自分がどういうことで傷ついて落ち込んでるのかっていうことを、同じゾーンで体感してくれるんですよね。何も考えずに馬鹿な話ができる友達も大切だけど、傷ついたり落ち込んだりしたときに、助けを求める存在っていうか。

そういう友人がいるってことも、自分の人生においては宝物で。特に仕事以外のことに関して言えば、そういう人が悲しさとか虚しさを中和してくれている気がします。

——それは本当に素敵な存在ですね。

越智:
例えば数年前、僕が対人関係の摩擦に疲れていたシーズンがあったんですけどね。そのとき、友人が本を3冊送ってくれたんです。

——へえ! それはどんな本だったんですか?

越智:
どの本も、無人島で過ごしたり、船で旅に出たりする内容だったんですけど。中でも一番好きだったのは、中勘助さんの『犬』(岩波文庫)って本に収録されている、『島守』というエッセイでした。

人間関係に疲れてしまった中勘助さんが無人島に行って、近くにある本島から食料を送ってもらいながら、生きていることを実直に感じる、みたいな内容で……言葉にするとちょっと違ってしまうんですけど、「孤独」というものが否定的にでも肯定的でもなく書かれてあって。

——はい。

越智:
友人には、詳しく悩みを相談したわけではないんですよ。それなのに、そういう贈り物をしてくれる人がいたっていう事実が、なんだかすごく強烈じゃないですか。それが印象的で、自分の中ではすごく大事なことだったんです。

——それは強く心に残りますね。

越智:
友人は僕より結構年上なんですが、彼女が体験してきた孤独とか、孤独との距離の取り方とかを、その贈り物を通して感じることができたというか。おそらく彼女にも、そういう悩みや違和感を抱いていた時期があった。そんなことを本を通して教えてもらったなと。

本の内容もすごく良かったのだけど、そういう贈り物を通して、彼女と言葉じゃない部分で会話が成立したのがすごく印象的だった。言葉で残らないからこそ、強烈な印象が頭にずっと残っているんです。

だから今でも自分が孤独を感じたときなんかに、そのキラキラした記憶が蘇ってきてまた本を開いたり。そういう友人に助けられる部分は、すごく大きいですね。

 

体験が「言葉じゃないタイプの辞書」を厚くする

——お話をうかがっていると、やっぱり越智さんの悩みや傷を癒すのは、言葉以外のものが大きいような気がしますね。花であったり、お友達とのそういう記憶であったり。

越智:
「言葉じゃないタイプの辞書」みたいなものが、自分の中にある気がする
んです。その辞書に、大切な友人はもちろん、それ以外の人々も、何かを残してくれていってるなと思います。そういう体験が自分の辞書を厚くしてくれている感じ。

——「言葉じゃないタイプの辞書」……。

越智:
その辞書の註釈みたいに言葉が入っていることはあるけれど、言葉そのものを額面通りに受けとっても本意に近づけないというか。逆に言えば、どんなに拙い言葉や些細な言動でも、その事実自体がすごく強烈に感じられることがあるんですね。

——言葉ではなく、体験そのものが自分の辞書の一部になっていく、みたいな。

越智:
はい。僕は私生活でも仕事でも写真をたくさん撮るんですけど、正直、ピントとか構図とかあまり気にしていなくて。結局は撮っている人が何を感じているか、何を見てきたかだと思っているんです。それが他人の技術を借りずに表に出てきたとき、言葉にできないもの、かつ、その人にしか出せないものになっているはずで。

——はい、はい。

越智:
そんな辞書が厚くなるような体験を、いろんな人が僕に贈ってくれている
んだと思う。それで自分も、誰かがとってくれた行動を自分なりの解釈で誰かにしてあげたくなったりとか。

そういうふうに自分の倫理観や道徳観がアップデートされていっていて、今の自分の人格を作ってきたんじゃないかなと思うんです。

——なんだか今、どうして自分が越智さんの作るものに惹かれるのかがわかったような気がしました。

越智:
えっ、本当ですか。

——私、越智さんの作品を見ると元気が出るんですよ。自分にはこんなに素敵なもの絶対作れないなって思うんだけど、その反面「こんなに自由に作っていいんだ、私も自由に作ってみよう」って思う。

それはきっと、越智さんがご自身の感性、つまり「言葉じゃないタイプの辞書」をすごく大事にされているからじゃないかなと思いました。自分も、自分の中にあるその辞書を大事にめくってみたくなるというか。

越智:
それは嬉しいです。なんかしっちゃかめっちゃかな話をしてしまったなと(笑)

——いえいえ。私はつい言葉に頼りすぎてしまうのですが、それよりももっと広い部分のお話を聞けた気がして、こちらこそ今何だかすごく嬉しいです。

 

自分自身を大事にしたその先にものづくりがある

——「言葉じゃないタイプの辞書」が分厚くなればなるほど、自分にしか作れないものが作れて、しかもどんどん変化していけるのかもしれないですね。

越智:
そうなんですよ。だから、スタッフにもよく言っています。「自分自身がつまらないと、花一輪を包んでもつまらないものになってしまう」って。

おもしろくなれとは言わないけれど、もっといろんなことに興味を持って、好きなことを発見してほしい。そうしたらそれらを通して、絶対にもっともっと花のことを好きになるから、そこから悩んで、って。

——はい、はい。

越智:
割とみんな「ものづくりとは?」ってところから入っちゃうんだけど、そうじゃなくて。やっぱり結局、その人が感じたり体験してきたことしか出てこないと思うんです。

だから一度「表現」っていう考え方から離れて、まずは恋人とか家族とか友人と過ごす時間を大事にして、自分自身のことも大事にしてほしい。その延長線上にものづくりがある、って感じにしてほしいって。

——ああ、なるほど。そう考えると、傷ついたり落ち込んだりという体験も、「言葉じゃないタイプの辞書」の大切な要素なのかもしれないですね。

生活の中でそういった体験をきちんとして、自分の辞書を分厚くしていけば、それが自然と自分らしい表現や行動として表れるのかも。

越智:
そうですね。例えばカメラでりんごをひとつ撮るのでも、自分の体験を通した「りんご」を撮っているということです。りんごそのものもそうだし、その周りにある空気、着地点、全部含めて、自分の体を通って外に出たりんごになるんだと思う。そのことを大切にしたいなって、いつも思っています。

越智さんのお話を聞きながら、自分の中の「言葉じゃないタイプの辞書」について思いを巡らせました。今までそんな辞書の存在を意識したことがなかったけれど、確かに私の中にもあるような気がします。

これまで体験してきた嬉しいこと、悲しいこと、不意に受けた小さな傷や、それを癒してくれた誰かの行動。そういった自分だけの体験が辞書に残っているのかもしれないと思うと、なんだかそれぞれのページが愛おしくなるようでした。

越智さんからうかがった、「言葉じゃないタイプの」常備薬たち。
その存在に気づいた瞬間、自分の過去を振り返りたくなるような、これからの体験をより大事にできそうな、そんな温かな気持ちになりました。

この体験もまた、私の中の辞書に残るのでしょう。

(おわり)

 

【写真】濱津和貴

 

もくじ


越智康貴

1989年生まれ。株式会社ヨーロッパ代表取締役。2011年にフラワーショップ『DILIGENCE PARLOUR』をオープン。店頭小売のほか、イベントや広告などの装飾も行う。

instagram: @ochiyasutaka

土門蘭

1985年広島生まれ。小説家。京都在住。小説、短歌、エッセイなどの文芸作品や、インタビュー記事を執筆する。著書に歌画集『100年後あなたもわたしもいない日に』、インタビュー集『経営者の孤独。』、小説『戦争と五人の女』がある。


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