【57577の宝箱】目の中に星が生まれた瞬間に 私のドラマが動き始める

小説家 土門蘭


外出が減って、買い物に出かけることがずいぶん少なくなった。

必要なものがあれば、まずはインターネットで検索する。食材や日用品、本や洋服、誰かへのプレゼントまで、ネットで探して「カートに入れる」。移動しなくてすむし、欠品だったらすぐに他のサイトをのぞけばいいので、大抵のものは手に入って便利だ。

その代わり、実際に見て触れて吟味する、ということが本当に減ったなぁと思う。だからだろうか、最近、お店に足を踏み入れるとその圧倒的な情報量に驚くようになった。見た目はもちろん、手に取った時の質感、重さ、物自体がまとう空気感まで、一瞬で理解できる。というか、理解させられる。

「そこに物がある」というのはこんなにも説得力を持つのだなと、改めて実感する今日この頃だ。

§

この間、オフィスチェアを見に家具屋さんへ行った。今使っている椅子がデスクワーク用ではないので腰痛が気になり始め、専用のオフィスチェアを探しに行ったのだ。

最初はインターネットで調べてクチコミなどを見ていたのだが、やっぱり椅子は座ってみないとわからない。体の形に馴染むかどうか、手触りは心地よいかどうか、肘掛けの位置はちょうどいいかどうかなど、実際に見てみないとわからないことばかりだ。それでこの間の土曜日、電車に乗って目当ての家具屋さんへ行ってきた。

電子カタログでしか見たことがなかった商品が目の前に現れると、ずいぶん興奮する。店員さんに座ってもいいか確認してから、椅子に身を沈めてみた。「うん」「なるほど」と小さく独り言を言いながら、いくつか座り比べてみる。

候補に上がっていた3つの椅子のうち2つがそこにあったのだけど、ひとつは座った瞬間に残念ながら「違う」ということがわかった。座り心地は悪くないけれど、ファブリックの質感が好みではない。手触りがざらざらして、なんだか落ち着かない。
もうひとつは想像以上に良かった。肘掛けに本革を使用していて、手や腕にしっとり馴染む。背もたれもアーチを描いてしっかりと抱き止めてくれる感じ。ただ、その店にあるのが一番上のグレードのものだけだったので、値段が予算の倍以上だった。これは残念ながら買えそうにない。
ちなみに一番の目当てだった椅子は、そこにはなかった。京都ではどの店舗でも取り扱っていないようで、大阪まで出なくてはいけないそうだ。

これだと思う椅子がなかったので、少しがっかりしながらその場を去る。ただ、いろんな椅子に座れたのはいい経験だった。「これはなんか違う」「これはとても好き」というのは、やっぱり実際に触れてみないとわからない。膨大な量の知識や情報よりも、その一瞬の感覚の方が、より信じられるから不思議だ。

§

用もなくなったし帰ろうかなと、家具屋さんの出口に近づいた時、不意に良い香りがした。周りを見渡し、その香りの元を探す。すると、ウッドスティックが刺さったガラスの小瓶がずらりと並んでいるのが目に留まった。ルームフレグランスのコーナーにあるディフューザーだった。

私はまるで花の香りに引き寄せられたミツバチのように、その小瓶の列へと近づいた。ひとつひとつ、名前の書かれたラベルが貼り付けられている。どうやらイタリア語らしく読解することはできないけれど、なんとなくイメージはできる。でも、実際はそれぞれどんな香りなんだろう……。

そう思いながらじっと見ていたら、店員さんが「良かったらいろいろ試されてみますか?」とおっしゃった。そして手際よく細長い紙にシュッと商品を吹き付け、説明をしながら次々と嗅がせてくれた。「ビターオレンジにサンダルウッドを足した、爽やかながら落ち着く香りです」「コットンフラワーを使用した人気No.1のアイテムで、洗い立てのシーツのような清潔感のある香りです」

全て天然香料を使用しているらしく、自然で優しい良い香りがした。
「お部屋からふと良い香りがすると癒されますよ」
と店員さんが言い、確かにそうだろうなと思う。商品自体は同じ見た目なのに、違う香りを嗅ぐたび世界の色が切り替わっていくようだった。

最後に紹介されたのが、煎茶とベルガモットを使っているという香りだった。鼻を近づけると、「わっ、いい匂い」と思わず声が出た。煎茶のようなアールグレイティーのような、深くてどこか甘い、とてもいい匂いがする。

すると店員さんが言った。
「こちらが一番気に入られたようですね」
えっ?と聞き返すと、
「お客様の瞳孔が開いていらっしゃいましたので」
と、さもよくあることのように言う。私は驚いて、なんとなく自分の目元に手をやった。

「人は大好きなものに出会うと、瞳孔が開くんですよ」
店員さんが私の目を見ながらニッコリと笑う。
「きっと間違いないと思います」

§

椅子を買いにきたつもりが、お茶の香りを買って帰ることになった。紙袋を手に提げながら、家具屋さんのショーウィンドウに映る自分の目元を何気なく覗き込む。

「大好きなものに出会うと瞳孔が開く、か」
店員さんの言葉を思い出すと、つい笑ってしまった。まるで昔飼っていた猫みたいだ。うちの猫も、大好きなおもちゃや獲物を見つけるとぱっと瞳孔が開いた。言葉は通じなくても、それだけで彼女の好きなものがよく理解できた。

手で触って、鼻で嗅いで、体全体で物を感じる。そういうことをもっとしていこうと、改めて思った。そこで得る「瞳孔が開く」ような出会いは、ほとんど直感とか本能のようなもので、なかなか抗うことのできないものだと思う。まるで、恋に落ちるみたいな。

テスターを触った自分の指に鼻を近づけると、うっとりするほど良い香りがした。こういう出会いは体を使わないと得られないものだなと思いながら、少し浮かれた歩調で街を歩き始める。

私はこれから、何度恋に落ちることができるだろう。
言葉よりも情報よりも深いところで反応する自分の感覚を、もっと知りたいと思う。

 

“ 目の中に星が生まれた瞬間に私のドラマが動き始める ”

 

1985年広島生まれ。小説家。京都在住。小説、短歌、エッセイなどの文芸作品や、インタビュー記事を執筆する。著書に歌画集『100年後あなたもわたしもいない日に』、インタビュー集『経営者の孤独。』、小説『戦争と五人の女』がある。

 

1981年神奈川県生まれ。東京造形大学卒。千葉県在住。35歳の時、グラフィックデザイナーから写真家へ転身。日常や旅先で写真撮影をする傍ら、雑誌や広告などの撮影を行う。

 

私たちの日々には、どんな言葉が溢れているでしょう。美しい景色をそっとカメラにおさめるように。ハッとする言葉を手帳に書き留めるように。この連載で「大切な言葉」に出会えたら、それをスマホのスクリーンショットに残してみませんか。

 


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