【読書日記|本から顔をあげると、夜が】第八回:京都の本屋さんの記憶

穂村 弘

X月X日

 京都に行った。新型コロナウイルスのせいもあって久しぶりだ。昔から講演などの仕事でいろいろな地方に行くことがある。その時に感じたのは、書店や古書店の充実度は基本的には都市の人口に比例するということだ。但し、例外があってそれが京都。京都には東京にもないような個性的な本屋さんがたくさんあるのだ。さすがは古の都。観光の名所には行かずに書店と古書店だけを巡るのが、かつての私の京都旅行だった。近年はそこまでではなくなったけど、京都の本屋さんに行くと昔の記憶が甦る。
 でも、大好きな三月書房は閉店してしまったらしい。新刊書店でありながら、棚の並びを眺めるだけで、自分が出逢い損ねていた本が次々に浮かび上がってくるような本屋さんだった。ABCXDEFと並んだうちのABCDEFが大好きな本だったら、未知のXにももちろん手が伸びる、ということだ。寺町通りを歩いて、やってないと知りつつお店の前まで行った。閉まったシャッターを拝んでから、向かいの村上開新堂でお菓子を買った。好物のダックワーズは売り切れだった。

 

X月X日

 京都二日目。修学旅行らしき学生たちがいちご飴を食べながら歩いている。楽しそうだ。自分が中学の時も京都に来たはずだけど、その記憶はまったくない。大昔だからなあ。京都の学生の修学旅行はどこに行くんだろう、とふと思う。

 

X月X日

 京都最終日。アスタルテ書房に行った。三月書房と並ぶ思い出の本屋さん。こちらは古書店である。『八本脚の蝶』(二階堂奥歯)に、こんな記述がある。二階堂さんは私の担当編集者でもあった。

二〇〇三年二月一六日(日)その二
憧れのアスタルテ書房へ行く。二時間半くらいいた。あそこが自分の家ならいいのに。ちょっと信じられないような普通のマンションの一室が古本屋で、板張りの床に靴を脱いであがるのです。アンティークの書架には美術・幻想文学・シュルレアリスム・エロティシズムに関する本がずらり。本だけではなくて、絵画や写真、人形(四谷シモン)などもあります。今はなきデルタ・ミラージュにちょっと似ていて、もっとくつろげる感じ。本がとても好きな知人の書庫にお邪魔して、構われずに好きにさせてもらっているみたいな。
絞りに絞って本を六冊買いました。
(略)
幸せな時間でした。

『八本脚の蝶』(二階堂奥歯)

 数年前に店主の方が亡くなられたという噂を聞いてショックを受けた。現在は時間を限って営業されているようだ。不安に思いながら訪れたところ、幸い入店することができた。私はここで入手困難だった『一角獣・多角獣 異色作家短編集13』(シオドア・スタージョン)を買ったことがある。見つけた時は喜びが爆発した。その他にも『美しき学校』(稲垣足穂)、『麒麟騎手 寺山修司論』(塚本邦雄)他を夢中で購入した記憶あり。
 でも、今はもう本の狩りをするような感覚は薄れている。ここでこうして背表紙を眺めていられるだけでいい、という感傷的な気分になる。だって三月書房は閉店して、アスタルテ書房で「幸せな時間」を過ごして「あそこが自分の家ならいいのに」と書いた二階堂奥歯も地上を去った。『一角獣・多角獣』も復刊されて幻の作品集ではなくなった。

 

X月X日

 京都の古書店で買ってきた三十年前の「サライ」を読む。江戸川乱歩の少年探偵団に関する特集記事が面白かった。特に驚いたのは、「少年 昭和35年増刊『探偵ブック』」の懸賞広告だ。「一等・探偵カメラ2名」「三等・けいたいラジオ20名」はいいとして、「二等・探偵犬5名」って……。景品が犬、しかも警察犬ならぬ「探偵犬」とは、びっくり且つよくわからない。犯人を見つけてくれるのかなあ。昭和って謎だ。

 

X月X日

 そういえば、二階堂奥歯は少年探偵団も好きだった。

二〇〇二年一〇月二〇日(日)その一
髪を切って男の子になったので、弥生美術館に「江戸川乱歩の少年探偵団展~迷宮へのいざない」を見にいきました。
昭和三〇年代の少年探偵団カルタというのがあって、これがほしい。復刻しないかな。
「こ」 これはゴムのにんぎょうだ
「と」 とうめいにされた大友くん
「ね」 ねむりぐすりでグウグウグウ
(略)
村山槐多の水彩画「二少年図」(大正三 世田谷文学館蔵)も展示されていました。槐多を好きだった乱歩が昭和八年から書斎に飾っていたもの。手前の少年のイメージが小林少年の人物造形に関係しているのではと言われているらしいです。

二〇〇二年一〇月二〇日(日)その二
少年探偵団シリーズで好きだったもの。
(略)
そしてなにより『悪魔人形』(前の版ではこう改題されていた)。

小学一年か二年の時、はとこの双子ちゃんの家に行った。木が鬱蒼と茂った中にある大きなお屋敷が双子ちゃんの家だった。そこには多分お兄さんの少年探偵団シリーズが揃っていて、私はみんなと遊ばないでそれを読み始めた。それが『悪魔人形』だった。
(略)
「ハハハ……、びっくりしているね。どうだ、わしが、たんせいこめてつくりあげた人形だよ。ルミちゃんは、この美しいおねえさまと、いつまでも遊んでいたいとは思わないかね。いや、それよりは、ルミちゃんもこんな人形になりたいとは思わないかね。ウフフフ……、わしは、生きた人間を人形にすることもできるのだよ……」

(江戸川乱歩『魔法人形』ポプラ社 一九九九・二)

私もそんな人形になりたかった。それで(略)ショーウィンドウに飾るなりしてほしかった。
でも腹話術の人形をつれたおじいさんは私のところには来ませんでした。

二〇〇二年一一月一五日(金)
会社で取れかけたボタンを縫いつけていたら「珍しいね。二階堂さんソーイングセット持ち歩いてるんだ」と言われた。
持ち歩いていますとも。少年探偵団の七つ道具のように、ポケットの中の活字や方位磁針のように、私のバッグにはソーイングセットも香水瓶も入っている。
一九七二年にアンデス山中に飛行機が墜落した時、生存者の中に医者は一人もいなかった。一番医者に近いのは、医学部一年の学生だった。何も専門技術など持っていない。そもそも治療の道具などない。そんな彼に後ろから友達が声をかけた。
「おい、俺こんなになっちゃったよ。大丈夫かな?」
振り向くと、友達のおなかには鉄の棒が突き刺さっていた。
医学部一年生は言った。
「なに言ってんだ。そんなの抜けば大丈夫だ。」
(略)手術の道具なんてあるわけがない。そんな時一人の女性が声をかけた。
「私、ソーイングセット持ってます。」
他の女性は香水を持っていた。
香水で消毒した縫い針と縫い糸でお腹を縫って、彼は一命をとりとめました。
(この事件に関してはP・P・リード『生存者 アンデス山中の70日』というノンフィクションが出ています)。
大丈夫、あなたのおなかに鉄の棒が突き刺さって(略)も、私の香水で消毒してソーイングセットを取り出して縫ってあげる。黒と白と赤と青と水色と緑と黄色とピンクの糸があるけど、何色がいいですか?

『八本脚の蝶』(二階堂奥歯)

 「何色がいいですか?」に痺れる。私が云ったらただのレトリックだけど、二階堂さんはこれに魂を懸けていたから。どこからでも頁を開くと、そこには必ず特別な言葉が記されている。『八本脚の蝶』は、そんな本だ。

風が、風に、風をみつめてねむらない少年探偵団の少女は

穂村 弘

 

1962年北海道生まれ。歌人。1990年歌集『シンジケート』でデビュー。詩歌、評論、エッセイ、絵本、翻訳など幅広いジャンルで活躍中。著書に『本当はちがうんだ日記』『世界音痴』『君がいない夜のごはん』他。

 

1981年神奈川県生まれ。東京造形大学卒。千葉県在住。35歳の時、グラフィックデザイナーから写真家へ転身。日常や旅先で写真撮影をする傍ら、雑誌や広告などの撮影を行う。

 

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