【ムーミンとトーベさん】前編:大人になり、一人になることの必要を教えてくれたのはムーミンの物語だった

編集スタッフ 津田

誰だって、どうしても一人になりたいときがあるんだよ

大人になってから、はじめてトーベ・ヤンソンの『たのしいムーミン一家』を読みました。

物語の終盤、スナフキンが一人で南へ発ったあとの場面で、スニフが「ぼくを置いてきぼりにするなんて!」とふんがいすると、「だれだって、どうしてもひとりになりたくなるときがあるんだよ。きみはまだ小さくて、わからないだろうけどさ」と、ムーミントロールがつぶやきます。

くすっと笑えるストーリーのあちこちに、心の襞(ひだ)にふれる言葉がある。一人になることの必要さ。自分のままを生きること。そのたいへんさも、ここには、ちゃんと書かれてある。

作者のトーベは、そんなムーミン谷のことを「だれでも、すっかり安心していられる谷なんだよ、あそこは。目をさますときはうれしいし、夜寝るのもたのしいのさ」と表現しました。なんてすてきな場所なのでしょう。

あらためて、大人になった私たちにムーミンとトーベが教えてくれることとは。フィンランド在住の翻訳家で、ムーミンを心から愛する森下圭子(もりした けいこ)さんと一緒に、ゆっくりと森を歩くようにお話ししてきました。

 

すごく潔いなぁって。それが心地よかったんです

私が森下さんとZoomでお会いしたのは、6月のある日のこと。週末にふりつづいた雨はあがり、日差しが部屋の奥のほうまで届く気持ちのよい午後に、ヘルシンキと東京の二つの都市を繋いでお話をさせていただきました。

森下さん:
「はじめまして。本日はどうぞよろしくお願いします。私がムーミンに衝撃を受けたのも、実は大人になって再読したときなんです。今日はお話できるのを楽しみにしていました。

『たのしいムーミン一家』を読んだんです。大学4年生のときでした。

進路だけでなく、なにをするにも迷っていたというか。ひとつ選ぶとなぜそうなのか、理由がないといけない気がして、ずっと悩んでいたと言いますか。

なにかを選んでも、どこかメソメソしているんです。そういうときに、たまたま読んだのが『たのしいムーミン一家』で、それがピタッとはまった感覚がありました。何かを選択するときに、自分や誰かを説得する必要なんてないじゃない、って。

つまり『こういうふうに読んでほしい、私はこういう人なのだ』という言い訳めいたものを、いっさい感じなかったんです。こんなに潔い文学には出会ったことがなかったと思ったし、心地良かった。

同時に、こんな文学が生まれる背景が気になってしまって。ムーミンの生まれた環境に身を置いてみたい、そう思いました。これが私のムーミンとの再会でした」

 

ここは、まるでムーミンの世界そのもの

そこから単身フィンランド行きを決めた森下さん。1994年秋のことです。実際に行ってみて、どんなことを感じましたか?

森下さん:
「生活すればするほど、フィンランドの人たちって本当にムーミンの世界の人たちだなあと。

当時はまだ、ムーミンやトーベの本を読んでいる人はフィンランドではそれほどいなくて。子ども向けのアニメの印象が大きすぎて、なんでわざわざムーミンのために?という反応でした。

ところが、そのアニメに夢中になる子どもたちに読み聞かせるために大人が読み、アニメで育った子どもたちが成長して自分でムーミンの原作を読むようになり、今では多くの人たちがトーベ・ヤンソンを愛読するようになりました。最近は、政治家や芸術家が、トーベの言葉をもちいて、たいせつなものや思い描いていることを、語るようにもなりました。

彼らにとってのムーミンは、自分たちにとても近しい存在で、その物語に、またはトーベの言葉や生き様に、自分を投影したり、励まされたり、背中を押されたりする人が増えているような印象です」

森下さん:
「フィンランドの人って、きれいに仕上げることよりも、自分らしさが出ていることをよろこぶ印象なんです。

それは芸術や音楽だけでなく、たとえば料理もそう。レシピには写真がないことが多いんですが、料理教室にいっても、正解が知りたいのは私くらいだったりして。文章に書かれているものだけを頼りに、みなさん、自分が解釈したそのやり方を通すんです。先生!先生!と聞いているのは私だけ(笑)

なにかおかしいかもと感じたら、その時になにかすればいい。料理に限らず、工夫したりアレンジできるくらいの知恵をつけた大人なら、責任だって負えるだろうし。だから自分の思ったことを、思った通りに、思いっきりやる自由もあるんだよなと、彼らをみていて感じるようになりました」

 

正解はひとつじゃなくてもいいんじゃない?

森下さん:
「ここで暮らすようになって、私がムーミンを読んで感じていた “なにか特別なこと” は、フィンランドの人たちがこの土地で育んでいる精神性なんだということにも気づきました。

私自身、もともとは薪割りも火おこしも、森を迷わずに歩くこともできなかったけど、周囲は、そんな私を『できない人』ではなくて、『できるようになるまで考えてごらん』と、あたたかくほうっておいてくれる。ちょっとムーミン谷の仲間たちのようじゃないですか。

森を歩くときは、太陽をみると方角に迷わないよ、木の枝振りがいい方が南だよと、話をしてくれることもあります。でもあくまでも目安のひとつ。それは正解ではないし、そうしなければならないものでもないのです。私なりの道を見つけていくひとつの手がかりと考えていいのかもしれません。

私はどうしたいのか、自分にとっての最善はなにか。枠に収まるのではなく、自分の形を育んでいく。そういう社会でムーミンの物語は生まれ、そういうことが世界的にも重視されるようになった今、改めて多くの人たちに読まれているのだろうと思います」

 

「ぼくは旅に出るよ。春になったら帰ってきます。」

どうして、フィンランドの人たちはそうできるんでしょう。他者との関わり方が、なんというか、すごくやさしいなって思うのですが……。

森下さん:
「小さな国という事情もあるかもしれません。人口は550万人ほどで、資源も豊かではないから、一国として他の国と対等にやっていくには、それぞれの人が最大限の力を発揮できなければという考え方があります。

あとフィンランドって旅する人が多いんです。

スナフキンも、物語の中でよく旅に出かけますが、それにはどんな意味があると思いますか? 手がかりのひとつだと感じるのは、スナフキンが他者の声を遮らないこと」

うーん、考えてみたことがなかったのですが……。

そういえば『ムーミン谷の仲間たち』に、旅の途中のスナフキンが、小さなはい虫に出会うおはなしがありました。一人きりにしてほしいなぁ、ちょっとしつこいんだよなぁ、と思いながらも、彼はちゃんと、はい虫の言うことに最後まで耳をかたむけていたのが印象的でした。

森下さん:
「ルールや規則という画一的なものには、断固として抵抗するけれど、他者の声を否定したりジャッジしたりは、しないんですよね」

そんなスナフキンの旅は、いつも秋にはじまり、一人でひっそりとジャングルを抜けて、異国を歩きまわり、新しい文化に出会い、テントで暮らしながら雨音や風に耳をすまして、春になるとムーミン谷に戻ってくるというもの。

森下さん:
「そういう旅先でのさまざまな出会いが、彼にとっては、知識を増やすものではなく、自分をフラットにしていくためのもののような気がしませんか? 自分に少しずつついてしまう先入観や偏見を、削ぎ落していくもののように思えるのです」

彼はいつも、旅に出ることを「ぼくがひとりっきりでやることなんだ」とも言っていました。

森下さん:
「はい、それは孤独という意味ではなくて、むしろ他者と関わるために必要なことだと捉えているふうでもある。

スナフキンに憧れる人がとても多いのも、こういう生き方ができたら、今より生きやすくなるかも、少し楽になるのかも、と思うところがあったりするのかもしれませんね」

 

自分の中には、これだけ豊かな “わたくし” がいる

そんなスナフキンと一緒にいると、ムーミン谷のみんながちょっと背伸びをするのも見どころです。

ムーミントロールは、いつも旅には置いてきぼりですが、親友を前にするとびっくりするくらい大人びたことを口にしたり、彼が去ったあとは寂しさに歯を食いしばって無事を祈ったりしていて、多面的な感情がていねいに描かれています。

森下さん:
「そういうところも魅力ですよね。

会う人によって態度が違うというのは、よくないこととして語られます。でも接する人によって自分から出てくる側面が少しずつ違うというのは自然なことですよね。唯一無二の関係。自分の中にはこれだけの豊かな “わたくし” がいる、というのもムーミンの魅力だと思います。

正解がひとつじゃないということは、つねに今の自分にとっての最善を問いつづけるということ。かんたんじゃないから、ときに矛盾したり、完璧ではなかったり、歯を食いしばるような思いも味わわねばなりません。

トーベ自身が、そんなふうに生きた人でした。最期の最期まで表現することを続けていましたし、つねに自分に誠実な生き方を貫いた人でした。

私がムーミンと出会えてよかったことのひとつは、自分のなかにある豊かさに気づけたこと。いくつもの側面がある自分を、まるごと抱きしめられたような感覚がありました」

§

ムーミンを読んだときの、いろんな自分をまるごと抱きしめられたような感覚。

たしかにあったなあと、深く頷きながら聞いていました。

私が好きなのは『ムーミン谷の冬』に出てくるヘムレンさん。ぴかぴかのホルンを肩に担いで、スキーがとても上手で、「ほがらかで、からっとしている」のに、なぜか「わけのわからない生きものに対してよりも、ずっとなじめない」とムーミントロールたちに思われてしまうキャラクターです。無邪気なのに、いや、それゆえに、ちょっとみんなから疎まれる存在に、自分のいろんな弱さを重ねてしまうのでした。

後編は、ムーミンに出てくる、そんな「ちょっと不器用な人たち」のおはなしです。

(つづく)

 

【写真】土田凌、森下圭子(3〜6枚目)

【参考】ムーミン全集[新版](講談社)


もくじ

 

森下圭子

1969年生まれ。ムーミンの研究がしたくて1994年の秋にフィンランドへ。夏は島めぐり、秋は森でベリー摘みに始まって茸狩り、冬は寒中水泳が好き。ヘルシンキ在住で、取材や視察のコーディネートや通訳、翻訳の仕事をしている。映画『かもめ食堂』のアソシエート・プロデューサー。訳書に『ぶた』『アキ・カウリスマキ』、ミイのおはなし絵本シリーズ、『ぼくって王さま』『トーベ・ヤンソン 人生、芸術、言葉』『ムーミンとトーベ・ヤンソン 自由を愛した芸術家、その仕事と人生』など。

 


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