【連載|朝、いろいろ】第六回:無音のいろ

石田 千

 小学校のまえで、なんだか、さっぱりしている。
 しばしながめて、そうか、おうちに持って帰った。
 校庭から校舎のほうに、にぎやかにならんでいた朝顔の鉢は、ひとつのこらずなくなっている。せみも早起き、夏休み。閉じた校門のむこうは、しろく乾いた地面。だれもいない。
 子どもたちが育てているのは、むかしながらの青やむらさきの花だった。昼をすぎれば、まあるい花は、傘をすぼめたようにとじ、産毛のある葉っぱもしおれてしまう。
 最近は、大輪の琉球朝顔もよくみかける。暑さに強い丈夫な花で、昼をすぎてもしっかり開いている。種がはこばれて、線路わきのフェンスを覆いつくして咲いているのを見たこともある。
 暑いしんどい、せわしない。そういいながらも、夏至をすぎて、気づかぬうちに日はみじかくなっていく。早足だった真夏の白昼、ときおりこんなふうに、ぽっかりした無音にくるまれることがある。また歩きだす。たくさんの夏が、あふれてくる。

 
 東京のお盆は、7月。実家の東北は、旧暦で8月。
 空からもどってくださるときは、きゅうりのお馬でぱっぱかと。お見送りをするときは、なすびの牛で、ゆったりと。
 だれに教えてもらったのか、覚えていないころから知っている。
 かわいがってくれた祖母、あたたかく見守ってくださった大おじさん、大おばさん。
 大玉のすいかに刃をいれたとたん、あらわれる赤。みずみずしい香りに吸いこまれる。好物と知っているから、ひときれ食べると、遠慮しないで、いっぱい食べなさい。かならずいわれた。
 お腹いっぱい、すいか腹で畳にころがる。蚊取り線香の煙をみるうち、より目になる。おばあさんは、おなかにバスタオルをかけてくれた。そうしてかならず、眠るまでうちわであおいでくれた。
 海山で日焼けして帰ってくれば、つめたくて甘い麦茶が待っている。
 夏の子どもは、いそがしい。ひと息ついたら、こんどは駄菓子やさん。おおきな氷をぐんぐん削って、いちごやメロン、レモンのシロップをかけてくれた。帰省するたび、どこのおうちでも、おおらかに遊ばせていただいた。
 それから、学校にいって、おとなになって、社会に出て、五十路もなかば。
 ながいようで、あっという間で。ひとの日々は、夏休みみたいなものかもしれない。そうして、かわったことといえば、麦茶より、麦酒が好きになったくらい。

 
 お盆のころは、下町の路地、銀座のビアホール、隅田川のゆたかな流れ、東京のあちこちで、ふと、もう会えないかたを思うときがある。ああ、遊びにいらしてくださった。そうして、姿はみえないけれど、しばしならんで歩く。
 力をあわせて、ことばを本というかたちにするたのしさ、よろこびを教えてくださった先輩がたに会えるのは、ただただうれしい。ちっとも、こわくない。
 このあいだは、スーパーマーケットのアイスクリーム売場だった。
 さいごのお見舞いのとき、ならんで食べたバニラアイスのカップを見たら、泣けてきてこまった。そして、いまも心配をかけているとわかった。目をとじて、声に出さずにありがとうございます。
 目をあかくしておもてに出ると、蝉しぐれ、車の音。うつむいて歩く。帽子をかぶった影はひとつだけど、たったいままで、ひとりではなかった。
 こんなふうに泣きべそをかいても、おわかれしたときとは、ちがう。やわらかく、あたたかい。思い出す時間も、声も、たそがれのように透きとおっている。麦茶のコップをすかしたように、とろり、甘い。

 
 真夏の熱をつれて、部屋にもどる。
 ただいま、もどりました。ならぶ写真に、声をかける。
 三枚の写真。ひとりだけ、声も動くすがたも知らない。
 戦死した祖父の没年は、ずっとまえに追いぬいてしまった。
 祖母も、祖父の兄弟姉妹も亡くなって、生前の祖父を覚えているのは、おそらく母だけになった。5歳の母が覚えているのは、海軍のしろい制服を着て、自転車の荷台にトランクをくくりつけ、夕方の道を帰ってくるすがたという。
 お戻りになるときは、きゅうりのお馬でぱっぱかと。お見送りするときは、なすびの牛でゆっくりと。
 手をあわせ、亡くなったかたがたを思うひとときは、暑さも、蝉の声も、遠のく。

 

 


作家・石田千。1968年福島県生まれ、東京育ち。2001年「大踏切書店のこと」により第一回古本小説大賞受賞。16年、『家へ』(講談社)にて第三回鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞。『窓辺のこと』(港の人)、『バスを待って』(小学館)、『箸もてば』(筑摩書房)など著書多数。

 

写真家・齋藤圭吾。1971年東京都生まれ。雑誌や書籍、広告、CDジャケットなど様々なメディアで活動。主な仕事に『針と溝 stylus & groove』(本の雑誌社)、『melt saito keigo』(TACHIBANA FUMIO PRO.)、『記憶のスパイス』(アノニマスタジオ)、『高山なおみの料理』(角川書店)、『自炊。何にしようか』(朝日新聞出版)、『ボタニカ問答帖』(京阪神エルマガジン)などがある。

Instagram:@keigo.saito

 

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