【5秒日記】第3回:あると思ったポストはたいてい無い
「日記は1日のことをまるまる書こうとせずに5秒のことを200字かけて書くと書きやすい。私は貧乏性だから、家のちょっとした瞬間を残して覚えてわかっておきたいと思うのです」 エッセイストの古賀及子さんと、高校生の息子、中学生の娘の3人の暮らしの様子や、自身の心の機微を書きとめる日記エッセイ。月一更新でお届けします
古賀及子
9/15(金)
夏のあいだずっとさぼっていた、体重と体脂肪率の記録をつける毎朝の習慣が戻ってきた。酷暑をやりすごして起き抜けの気持ちに余裕ができたのかもしれない。
ただ、この作業の落とし穴として、体重計に乗って測定するとそれで満足してアプリに入力するのを忘れてしまう、というのがある。
今日も忘れて、平べったい薄い機器に乗って降りただけの人になった。
9/20(水)
実家の母から、シャインマスカットをたくさんいただいたから取りにおいでと声がかかり、仕事のあとでありがたく受け取りに行く。
今年はシャインマスカットの当たり年だそうで、畑に縁のある親戚が送ってくれたらしい。「たくさん」というのが本当にたくさんで、15房くらいある。日ごろ大変な高級品として畏れているものが実家にずらっと並ぶ。圧倒的な既視感の無さに笑ってしまった。食べきれないからと、なんと4房もくれた。脳内の市場価値が崩壊する量だ。
帰ると息子も私と同様、うれしすぎて情緒が不安定になったらしく「ワンシャイン、トゥーシャインシャイン、スリーシャインシャインシャイン……」とよく分からない数え方をしている。
高ぶって、観月ありさ「TOO SHY SHY BOY!」をかけて食べた。
9/22(金)
自宅から駅までの道中にポストがない。少しだけ遠回りしなくちゃいけないから、会議があって会社に急ぐ今日は郵便物を手にしつつもポストに寄るひまがなかった。確か、会社の最寄り駅からの道にもポストはなくて、ではどこにあっただろう。会社を出て駅とは逆方向へ少し歩いたところにあったような気がする。
しかし、これまでの経験からいって、ポストの予感ほど不確かなものはない。あると思ったポストはたいてい無い。
不安だけれど投函はせねばならないから、会議を終えたあとぶらぶらするつもりで歩いて行くと、あると思った場所にポストはあった。まさか。
9/24(日)
夜にハンバーグを作った。それぞれの皿に付け合わせの野菜とハンバーグを盛りつけようとするも、なにをどう間違えたか最初に小皿に野菜を盛ってしまいハンバーグを乗せる隙間がもうない。やむを得ず、ハンバーグはハンバーグで別の小皿に盛って出したら、息子が「肉だけしかのってない皿だ」と珍しがって写真を撮った。
§
10/1(日)
秋の服が欲しいという娘と買い物へ出かける。途中、自宅の近くにあってよく行くチェーンのベーカリーを見つけ、娘が「ここにもあるんだ!」と驚いていた。家の近くの1軒のみの店だと思っていたらしい。
娘はしきりと「え~、近所のと同じ店だけどここはちょっと広い、ふしぎ~」と感心している。大人がチェーン店に対して失った、同じ店が形をかえてあちこちにある驚きをいま新鮮に味わっているのだと、珍重してそっとした。
10/3(火)
小学生のころ暮らした街は近くに太い国道が通っており、ロードサイドに大きな家具屋があった。休みの日に暇つぶしに父がよく妹と一緒に連れて行ってくれた。
何かを買ってもらって嬉しかったことの、おそらく人生レベルでの第一位が、あの家具屋で買った学習机じゃないか。父が選んだのは一般的な、目の前に棚のついたタイプではなく、机の右側に本棚のように高く棚がついた机だ。机に向かうと棚が私の体を覆って守るようにそびえ、私は、これはほとんど家だと思った。座ると落ち着く机だった。
偶然、家具屋の近くの様子をストリートビューで確認する用があって、久しぶりにかつてと同じように今なお家具屋として建つ様子を見た。
ふいに、父が、次いで妹が、もういないような気持ちになって、彼らは東京と埼玉で健在なのだけど、どうしてだろう。しばらくぐりぐりストリートビューを動かしながら、ああそうか、父も妹もいないのだとわかった。
今の父と妹はいる、けれど、家具屋にかつていた、学習机を選ぶまだ若い父とそれを緊張して見守る幼い妹も私はもういない。あの日の私たちはもういないんだ。
10/5(木)
息子は本が好きで、最近はブックオフのアプリで目当ての古書を注文して店舗で受け取るという買い物をよくしているようだ。受け取りの際に店頭で支払うため、クーポンが発行されたタイミングで取りに行くと安く買えるのだと、抜け目のないことを言う。
背が伸びたとか、進学したとか、目に見える大きな成長よりも、こういった細かい生き方の習得を見た時の方がぐっと成長を感じる。あの赤ん坊だった息子がまさかブックオフを巧妙に使いこなしているなんて。
ただ今日「またクーポンがきた……金が無限に沸いてくるな……」とつぶやいているのを聞いて、金は無限には沸いてはいない気をつけろ、とだけ制した。
10/6(金)
隣町に品ぞろえのいいスーパーがある。あまり見かけない商品をあれこれ扱うから楽しくて、少し遠いのだけどたまに行く。ここはいつも、店頭にそのときどきの屋台が出る。和菓子屋だったり、漬物屋だったり、どさっとタオルを積んで売ったり、ミシンの実演をすることもある。
仕事を終えて時間に余裕があったものだから久しぶりにやってきた。今日の店頭販売は黒にんにくの店らしい。屋台にのれんがかかり、 のれんの1枚に1文字ずつで「にんにくの力」と書いてあった。頼もしい、いいのれんだ。
10/7(土)
弁当を持って友人宅へ遊びに行った娘から「なんと箸が折れました!」とLINEがきた。箸の先が欠けた様子を写した写真もついている。弁当にそえた箸だ。
「おお、もろくなってたのかな、折れたのは気にせず、口を怪我するから使わないでね」と返事をしながら、箸が折れたという生活の上の小さな小さな非常事態が、通信環境の整備によりこんなにも共有できてしまうのだなと感じ入った。
おそらく現場では友人らにも「箸が折れた! ねえ! ねえ!」と娘は伝えているだろう。その気持ちがあふれれば、リアルな現場を超えて通信上にも気軽に漏れ出させることができる。
夕方娘は「箸が折れたよー!」と元気に帰ってきた。どちらかといえば残念なニュースがなんだかポジティブだ。
10/8(日)
夕食まで時間がなく、茄子を短時間で、しかもいつもと違う風情の料理にしたくって、「茄子 めんつゆ」で検索した。ヒットしたのはめんつゆメーカーのレシピページだ。
メーカー発のレシピの大きな特徴として、食材一覧のなかの少なくとも一品はそのメーカーの商品を使うことになっている、というのがある。そのためにレシピを開発して掲載しているのだから当然だろう。
けれどどうだろう。こちらとしては何も考えずに適当に検索してレシピにたどりついているわけで、私などはレシピを見たところでわざわざそのメーカーの指定の商品を買いに行くなんてことは一切ないわけだ。ちょっと申し訳ない。
今日ヒットしたページは、偶然にも家にあるめんつゆのメーカーのページだった。完璧にその商品を使い、レシピ通りに茄子を仕上げることができた。濃縮の倍率もぴったりだった。公式レシピに報いることができた。
10/10(火)
M商事の社長のMさんだ。街でひさしぶりにすれ違った。
Mさんは私たち家族の暮らす中古住宅を、前の住民から預かって販売していた家族経営の小さな不動産屋の主人だ。売買の契約も、手付金の支払いも、商店街のなかほどにあるMさんの小さな事務所でやった。
ひょうひょうと調子のいい痩せて背の高いおじさんで、この商売は先代から続いてMさんが2代目だと聞いた。町内全域に顔が利くらしく引っ越した当日には私たち家族を近隣の住民に紹介して歩いてくれた、面倒見のいい人だ。
その後数回街ですれ違い、その度に立ち止まって挨拶をして子どもの成長を喜んでくれていたが、そのうち見かけることがなくなり、ご病気でもされたのだろうかと思っていたのだ。
世話になったのはもう15年前のこと。向こうからやってくるMさんは正しく15年分歳をとったように見えた。こちらも相応に加齢しているのだし、お忘れだろうと声をかけるのは遠慮した。
コーラの空き瓶を2本、指の間に挟んで持ってぶら下げていた。
10/17(火)
地域の図書館の閲覧席はいつも小学生から大人までが空席なくみっしり座ってなんらかにはげんでいる。大量の参考書を開いている人、図書館の本を積んでメモをとる人、ノートを開いてあとはスマホだけの人、たまに座って本をまさに閲覧する人もいて、さまざまだ。
これだけ満席だと、みんなどうやって席を取るのだろう、フードコートのように目ざとく空いた席を見つけて滑り込むのか、なにか列を作って待つルールがあるんだろうかと分からないままでいるうちに最近、インターネットによる席の予約システムを導入すると知らせるポスターを見た。
集中して読んでしまいたい本があり、思い出してはじめて席を予約をしてみる。スマホで登録をして、図書館の端末に登録番号を入力すると、座るべき席が感熱紙に印字されて出てくる仕組みらしい。
紙を手に席を探すと、ぽっかりそこだけ空いた席が本当にあった。座るとまるで最初からここにいるべき自分がおさまったように落ち着く。図書館という世界にログインしたようだった。
10/26(木)
友人にすすめられ、寝る前にYouTubeで指南の動画を観ながらストレッチをするようになった。
「寝る前 ストレッチ」で検索すると、驚くほどたくさんの動画がある。痩せやすい体を作る、肩こりを軽減する、自律神経を整える、朝までぐっすり眠れるなど謳う効用もさまざまだ。
今日は背骨を動かして背中のこりを取るストレッチ、というのを試してみた。夜寝る前の体操という限られた営為にこんなにも種類があって、いろんな知らない誰かが教えてくれる。
容易には予想できない、しびれるほど現実的な未来の景色だ。
文/古賀 及子(こが ちかこ)
1979年東京生まれ、神奈川、埼玉育ち、東京在住。ライター、エッセイスト。 どうってことない日々を書くのが好き。日記の傑作選をまとめた著書『ちょっと踊ったりすぐにかけだす』を2023年2月に素粒社より刊行。
note:https://note.com/eatmorecakes X(twitter) :@eatmorecakes
イラスト/芦野 公平(あしの こうへい)
イラストレーター、TIS会員。書籍、雑誌、広告等の分野で活動中。イラストを提供した仕事に、Honda N-ONEカタログ、坂角総本舗130周年カタログ、新国立劇場「シリーズ 声」ビジュアル、田島木綿子『海獣学者、クジラを解剖する。』(山と溪谷社)、瀬尾まいこ『傑作はまだ』(文藝春秋)など。
X(twitter) : @ashiko
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