【母とわたしの現在地】前編:今年で100歳。歳を重ねる親と向き合って、感じたこと(江面旨美さん)
去年の夏、80代の母がひとり暮らしになって、10年先の未来について考えるようになりました。今はまだ元気ですが、10年後はどうなるだろう。
離れて暮らしているので、病気をしたり、出来ないことが増えたとき、どんなサポートが必要で、自分に何ができるのか。先のことはわからないし、考えすぎても仕方のないことかもしれないのですが。少しずつでも、できる準備をしておけたらとも思うのです。
そんなとき、バッグ作家の 江面旨美 さんの近著で、99歳のお母さまとのエピソードを拝読しました。江面さんとお母さまが、これまでどんな時間を重ねてきたのか、全2話で詳しくお伺いします。
100歳になった母に、私が今できること
江面さんのお母さまは、先日めでたく100歳を迎えられました。幾度かの病気や入院を重ねたものの、今は自宅で穏やかに日常生活を送っています。
近くに住む江面さんは、週に1〜2度ほど母の家を訪ねては体調を確認したり、歌舞伎や文楽など共通の趣味の話をしたり、世界のニュースの話をしたり。今は母の話し相手になることが、一番の親孝行になると感じているのだとか。
江面さん:
「数年前に母の足の甲に帯状疱疹ができたのですが、まさか足に症状がでるとは思っておらず。別の病気だと思って総合病院に行ったらなかなか診断がつかなくて。本来なら発症して3日以内に薬を飲んだ方がいいそうですが、間に合わず神経痛がひどくなってしまいました。
痛みを和らげる方法はないかといろいろ調べていたら、私の鍼の先生が『お灸がいいよ』と教えてくれて、毎日痛いところにお灸をしてみることにしました」
江面さん:
「痛みがひくまで1年半ほど続けていたのですが、お灸をしている間、時間だけはたっぷりあったので、二人でありとあらゆる話をして。なかでも母がもっとも喜ぶのは、なんてことない家族の思い出話でした。たとえば死んだ叔父さんがこうだったよねぇとか、母の姉がこうだったとか、弟がこうだったねとか、そうすると『ああ〜懐かしいわねぇ。楽しかったわねぇ……』と、なんともいえない幸せそうな顔をするんですよ。
母とはもう75年の付き合いですから、思い出話は山積しているわけです。それらをほじくり返すように面白おかしく話すのは、どんなに優しい看護師さんでも出来ないことだな、娘にしか出来ないことだなと気がついて、今はそれが私の役目かなと思っています」
自分でやるより、人を頼った方が良かったこと
一方で、人の手を借りた方がうまくいくと感じたこともあったといいます。
江面さん:
「たとえば母に介護が必要だと感じたとき、まずは地元の地域包括支援センターを訪ねて、そこで介護認定の申請のことを含めいろいろな知識を得ました。
入院したときは、病院直属のソーシャルワーカーさんに相談にのっていただき、退院後の訪問医やリハビリの先生もご紹介いただくなど、随分お世話になりました。
母の場合は、90歳のときにあるケアマネージャーさんが担当になり、介護サービスをとてもスムーズに受けられるようになりました。今は月2回の訪問医の診察と訪問看護サービス、訪問入浴サービスを利用しています。
何かあっても、病院とケアマネージャーさんを窓口に相談すれば大丈夫という安心感も生まれました」
江面さん:
「仕事をしながら母の身の回りのことをすべて自分でやるのは難しいと感じましたし、親子とはいえ、たとえばお尻を拭かれるのはすごく嫌そうにしているなとか、母もすべて娘にやってほしいと思っているわけではないんだと感じました。
私も将来、自分の娘に身の回りの世話をすべてやってほしいとは思いませんし、娘の人生を大事にして欲しいですから。いろいろ試行錯誤してみましたが、プロに任せた方がいいこともあるなと感じています」
親との「ちょうどいい距離感」どう見つけたらいい?
同居を選ばず、それぞれの家を行き来するという形に落ち着くまで、どんな過程があったのでしょうか。
江面さん:
「私の父は若くして亡くなったのですが、母には10歳上の姉がいました。40年ほど前に、その伯母が二世帯住宅を建てて祖母と伯母、母、そして弟も一緒に暮らすようになりました。母が病気がちだったこともあり、伯母の介護は私が引き受けて、最期も看取りました。
家は別々ですが近所なので、ちょくちょく通いながらできることをサポートして、母が病気をしたときは弟と一緒に精一杯の対処をして。病気中は大騒ぎするんですけど、退院するとケロッとしてるタイプなので、退院後はまた日常に戻って、の繰り返しでここまできました。
今はたまたま安定しているから数日おきに顔を出していますが、ちょうどいい距離を模索したというより、目の前のことに対処していたら今の形になっていました」
江面さんのお話を聞いて、ちょうどいい距離は探して見つかるものではなく、それぞれの事情が重なった交差の上にポンと現れるものなのかもしれないと思いました。
家族の不安を和らげるために
お母さまが100歳を迎える少し前、ケアマネージャーさんも交えて会議をして、もしもの時にどんな選択をするのか、話しあって書類にも残したと江面さん。
江面さん:
「100歳ですし最晩年ではあると思うので、本人も家族もある程度の覚悟はしていますが、やはり先が見えない不安はあります。
このままずっと家で過ごせるのか、病院や施設でのケアが必要になるのか。不安があるからこそ、もしもの時の選択肢を明確にしておく必要があると思いました。
この先もし入院となったら、その書類をもとに医師に相談するから心配しなくて平気よって。母にはなるべく安心材料を伝えて、今できる準備と、気持ちの整理だけはしています」
そうは言ってもいざ母がいなくなったらすごく寂しいし、まだまだおしゃべりしていたいと江面さん。晩年についてお母さまと話せるようになったのは、ごく最近のことだと言います。
つづく後編では、お母さまが家のなかでも生きるよろこびを感じられるよう、暮らしのなかで意識していることについて詳しく伺います。
【写真】長田朋子
もくじ

江面旨美
バッグ作家。30代の頃、主婦業のかたわら革や帆布でバッグ作りを始める。36歳でバッグブランド「umamibags」を立ち上げ、現在は年に数回、全国で催される個展でバッグを販売する。
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