【5秒日記】第8回:愛よりも現実的に、遠くどこか、同じ空の下にいる人の存在に思いを至らしめる

「日記は1日のことをまるまる書こうとせずに5秒のことを200字かけて書くと書きやすい。私は貧乏性だから、家のちょっとした瞬間を残して覚えてわかっておきたいと思うのです」 エッセイストの古賀及子さんと、高校生の息子、中学生の娘の3人の暮らしの様子や、自身の心の機微を書きとめる日記エッセイ。月一更新でお届けします

古賀及子

3/1(金)
卵としめじのスープを作って食パンと一緒に朝ごはん。息子は食べてさっさと学校へ行って、それからしばらくして娘も目覚めてよぼよぼ台所へやってきた。娘は朝が苦手で、じっくり時間をかけないと頭も体も起き出さない。

そのうえ猫舌で、これくらいで? と思うくらいの温度も熱がるから、できるだけ冷ましてスープを渡す。

それでも一口すすると「熱い……」とうなだれ、「この分だと今日中に食べられない……」と言うから笑って、感心した。

いま食べられないんじゃなくて、今日中に食べられない、それくらい深刻に“食べられない”ということなんだろう。

代わりに私がありがたく食べた。娘はパンにジャムを塗って食べると少しは背骨が立ち上がったようだった。

 

3/4(月)
午前中の仕事を終え、冷凍してある食パンにピザソースを塗ってその上からハムとチーズを敷いて焼いてピザトーストで昼ご飯にする。

テーブルに運ぼうとすると、上に紙片が、重力なくふわっと浮かぶように置かれていた。見ると、破り取られたノートの一部らしい。

「ドライヤーから新幹線みたいな匂いがする」

と、息子の、特徴的な小さくて長細い字で書かれている。ドライヤーから、新幹線みたいな……。

気にはなるけどお腹がすいているのが勝って、とりあえずもがもが急いで食べてしまって、それから厳かにドライヤーを取り出した。

スイッチを入れて耳をすませる。ウィーーーーーン。モーターの回る音と、ボーーーと、温風の強く出る音が混ざる。新幹線と言われればそうかもなあと思ってからもう一度メモを見ると、あ、音じゃなくて匂いか。

かいだ。顔にいきなり面で熱風がかかり、髪の毛が一気に後ろに流れ慌てる。そりゃそうだ、ドライヤーを顔面にかざせばこうなる。かぎとったにおいは、ほこりっぽく、新幹線みたいだと言われればそうかもしれない。

唇の表面が渇いた。


3/12(火)

毎週生協で、何が届くかわからないおまかせの果物のセットを注文している。

果物だから、バナナやりんご、キウイ、何が届いてもうれしい。よく届くのは柑橘類で、自分では買わない、知らない名前のものもやってくる。世界の広さを教えてもらっている。

今日届いたのは熊本県の、主に天草地方を中心として生産されているパール柑というので、品種としては文旦に近いらしい。以前いちど届いてはじめて食べたらすごくおいしかった。

家の人々もざわつき、3個あったから一人ひとつ、各々任意のタイミングで食べようということになった。

晩の食後に私や息子に先んじ娘が冷蔵庫から取り出し

「これ剥くのちょっと大変なんだよな~、でもぜんぜん食べますけどね、おいしいからね」

と、手のひらに乗せたパール柑に話しかけていた。


3/13(水)

夕食の準備をするのに野菜を勢いよく炒めていたら、キャベツのかけらがポンと飛んで床に落ちた。

それで思い出したのだけど、母方の祖父母の家では床に落としたものはたとえ洗っても食べてはいけないことになっていた。

いっぽう父方の祖父母の家では床に落としたものでも清潔にさえすれば拾って食べていいとされていた。

母方の実家は洋室で、父方は和室であり、子どものころ私は、洋室の床は野外の地面に近く、和室の床は地面というよりも寝床のようなものなのではないかととらえた。それで洋室に落ちたものは食べてはいけないけれど、和室にだったら食べていいのだろうと納得していた。

台所の床はフローリングだから、洋室か。けれどキャベツは静かに拾ってよく洗ってフライパンに戻した。

 

3/15(金)
よく行くスーパーが2軒ある。いっぽうはなんでも安いが品ぞろえが悪く、もういっぽうは品ぞろえは豊富だけれど全体に値付けが高い。

今日はあれこれ買い出したくて、品ぞろえが豊富なほうへ。そうそう、こっちのスーパーだと、安い方のスーパーよりも納豆が10円高いのだよね、でもまあ10円だしいいやとかごに入れ、他にもあれこれ品定めして、そうだ、ティッシュがもう無いと子どもたちが言っていた。

日用品のコーナーに行くと、えっ。普段買っているものより100円高い。品質を重視したティッシュしか扱っていないらしい。納豆が10円高いのは仕方ないとして、100円高いとなるとちょっと手が出ない。

仕方がないから、このあと安い方のスーパーにも寄ることにして、でも納豆はもうかごに入れてしまったからそのまま会計した。

荷物をぶら下げティッシュを求めてもう1軒のスーパーへ行く。晴れてあたたかい。少し湿った空気がゆるい風に乗って顔にあたって気持ちがよかった。

安い方のスーパーで、ティッシュは売り切れだった。

 

3/17(日)
1月から3ヶ月、日記をつけるワークショップを担当させてもらった。今日が5回あったミーティングの最終回の日。

終了後、参加した方が花束をくださった。黄色のバラとスイートピーとカーネーションをブーケにしたもので、手渡されてからもうずっと、しめしめと、なにかもともと必要なものを首尾よくせしめたような気持ちだった。

うちは居間に、それはそれは雑に育ててジャングルみたいに生え茂るゴムの木があって、ベランダには種から育てたアボカドの鉢を置いて大切にしているけれど、どうも花を飾る習慣はつかないまま。いただくことがないと花はやってこないから格別のうれしさがある。

花瓶に生けてかざる。どこに置いてもまさに華やかな生気からオーラのように存在感を放ってまぶしい。

子どもたちも見てそわそわするようだった。息子などは「花に対してどう接したらいいんだろう、枯れて行くのを見守ればいいの?」とうろたえるから、落ち着け、ただ楽しめば大丈夫だと、なだめてみんなで愛でる。

 

3/20(水)
学校の集金の支払いで1000円札が必要なのだけど、5000円札しか財布にない。

息子に両替できないかと聞くと、いまお小遣いがもうぜんぜんなくて、何かあった時のために隠している虎の子の1000円札が1枚だけならあるという。

やむを得ず、頼んで5000円を渡して1000円札と交換してもらった。

交換してから私と息子で少ししーんと静まり返り、なにこれ……という雰囲気が生じた。

なんで頭をさげて1000円札を5000円札に交換してるんだ私は。息子はラッキー! という気持ちを隠そうとするのだけど隠しきれないようす。

「いや、でもこれは仕方がないことだから、余計の4000円は、有事のときのために持っておいてもらえたら」と私は言い訳して、息子も「わかった。普段は使わない。なんかあったときに使う」と受け取る正当な理由を確保した。

 

3/20(水・祝)
祝日、子どもたちと美術館へ行く。なにがどう作用したのかさっぱり分からないのだけど、これまで美術にとくに興味のなさそうだった娘が急に東京都美術館で開催される印象派の展覧会に行きたいと言い出して、入館時間の指定されたチケットを取った。

早めについてしまい、館内をうろうろしていると「美術情報室」という、美術系の資料を自由に閲覧できる小さな部屋がある。入って3人で画集などそれぞれ取り出し眺めた。ふと、係の方が近づいてきて「よろしかったら、カウンターでおかばんをおあずかりします」と小さく言う。

貴重な資料がたくさんあるためだろう、室内に大きなかばんを持ち込むのは禁止だったらしい。見ると入り口にコインロッカーがある。

「失礼しました」と小声で言って焦りながら、持っていたのはかばんとは言えないエコバッグでいよいよ恐縮しつつ渡した。

帰りにカウンターに撮りに行くと、たぬきの顔が大きく描かれた私のエコバッグが、顔の柄をちゃんとこちらに向けてきれいに棚に収納されている。

たぬきが図書室を見渡していた。

 

3/26(火)
子どもたちが春休みに入った。普段は適当かつ極めて雑に1人前用意すればいい昼食が、春休み期間は3人分必要になる。

今日は、楽をしてレトルトの素を使って炊く中華おこわとみそ汁。中華おこわは「もち米2合と普通のお米1合を合わせて使うこと、なければ普通のお米でもかまいません」とレシピにあり、うちはもち米など買い置かない無粋な家なものだから、せっかくのおこわなのにすみませんねと照れながら普通の米3合で正々堂々と炊く。

レトルトの袋に「開けたら1回で使い切ってください」と書かれていた。注意書きをするということは、複数回に分けて使おうとする人がそれなりにいるということだろうか。人間は自由だからな。

ただ、いたとして、その人はなぜ一袋を数回に分けて使おうとするんだろう。

おひとりの暮らしで、炊けたご飯を冷凍保存したくなくって、どうしても少ない量で炊きたいのか。それとも料理上手の方で、このレトルトの素をご飯を炊く以外のなんらかの料理に使おうとしているのだろうか。

こうした注意書きは、愛よりも現実的に、遠くどこか、同じ空の下にいる人の存在に思いを至らしめる。

私とは違う生活様式や考え方や、状況のもとでその人は生きている。まぶしいことだ。ただし、この中華おこわに関しては、1回で使い切った方がいいようですよ。

 

文/古賀 及子(こが ちかこ)
1979年東京生まれ、神奈川、埼玉育ち、東京在住。ライター、エッセイスト。 どうってことない日々を書くのが好き。著書に日記エッセイ『ちょっと踊ったりすぐにかけだす』(素粒社)。2024年2月に日記エッセイの続編『おくれ毛で風を切れ』(素粒社)、エッセイ『気づいたこと気づかないままのこと』(シカク出版)を刊行。
note:https://note.com/eatmorecakes  X(twitter) :@eatmorecakes


イラスト/芦野 公平(あしの こうへい)

イラストレーター、TIS会員。書籍、雑誌、広告等の分野で活動中。イラストを提供した仕事に、Honda N-ONEカタログ、坂角総本舗130周年カタログ、新国立劇場「シリーズ 声」ビジュアル、田島木綿子『海獣学者、クジラを解剖する。』(山と溪谷社)、瀬尾まいこ『傑作はまだ』(文藝春秋)など。
X(twitter) : @ashiko

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